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紙の本
周縁からの楽の響き〜美しい音楽のような書物
2003/03/09 21:59
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:桃屋五郎左衛門 - この投稿者のレビュー一覧を見る
さまざまな趣向を凝らした中沢新一の11の物語やエセー、その軽やかで緩やかな語りのリズムを線に置き換えたような山本容子によるエッチング、これらを瀟洒な装丁に封じ込めた美しい書物、それがこの本を端的に言い表す言葉だ。この美しい書物がクラシック音楽ファンだけに向けて書かれたものと思いこむのは何とももったいない話だ。
「音楽はそもそも、つつましさへと向かおうとする美徳を、内在させた芸術」であると考える語り手によって選ばれた<近代>以降(音楽史的な区分でいえば、ロマン主義以降)の十一人の作曲家たち、あとがきの中の表現を借りるならば、「近代に突入した西欧の音楽が、ふくらんでいくエゴと、『創造』へのパラノイア的熱狂につきうごかされていたときに、これらの作曲家たちは、自分にあたえられた才能を、もっとつつましい音楽を作り出すことに向けようとしていた」作曲家たちなのだ。したがって、この中にはベートーヴェンもシューマンもヴァーグナーもいない。
ここで取り上げられているのは、たとえば、「謎をはらんだヴェール」としての音楽を書き、謎の死を遂げたショーソン、音楽とは「人生のすべてではなく、人生の一部であるからこそ」美しいと考えた日曜作曲家ボロディン、「光を音につくり変える技を、自分の肉体を通して、伝える」「五千歳の老人」ハチャトゥリアン、「なによりもまず人間の声に耳をそばだて、そこに音楽の発生のみなもとをみいだし」ていたヤナーチェク、光を「歓喜と官能の源泉」と捉えていたディーリアス、「純粋なる夜の音楽」「純粋なる室内の音楽」を書いたフォーレ、自己の内部で「弁証法と装飾という、二つの原理」を戦わせて「音楽の第三の道を探った」チャベス、「人を裸のまま、宇宙の流動の前にさらそうとする」「おとぎ話としての音楽」を書いたチュルリョーニスといった、西洋近代音楽史の中でもどちらかといえば傍系に位置する作曲家たちばかりであり、その多くはロシア、東欧、中米、英国といった具合にクラシック音楽においては周縁的な地域の作曲家たちだ。
しかし、彼らはまた、チャベスのエピソードや、何よりロシア滞在中の山田耕作とスクリャービンの音楽との一瞬の邂逅のエピソードが如実に示しているように、いずれも西洋近代音楽の文脈に位置しながら、西洋近代音楽を構成する「ロジックの彼方」に「別種の音楽が生まれる可能性を秘めた場所」を見出そうとしていた作曲家たちとも言い換えられる。つまり著者は、音楽を通じて、西欧近代に対するもう一つの方向性を提示しようとしているともいえる。その意味で、本書は確実に中沢新一のこれまでの仕事の流れの中に然るべき位置を与えられるものだ。
だが、もっともらしい理屈はこれぐらいにして、まずは冒頭のコダーイのエピソードを読んでみよう。この作曲家のためにハンガリー民謡を吹き込んだ女性のスピーチの形をとった、中沢新一が類稀な物語の語り手としての手腕を存分に発揮した物語を読み終えたとき、誰もがすでにこの本を手放せなくなっている自分を発見するに違いない。
中沢新一は作曲家たちの人生や音楽を共感にみちたまなざしのもとに語ってみせる。しかも、そのひとつひとつのエピソードが彼らの生と音楽の本質を的確に映し出すものであるがゆえに、それが既知の作曲家であれば、一篇読むごとに手がついCD棚の方に伸びてしまい、未知の作曲家であれば、また一人親しみを覚える作曲家が増えることになる。そう、この本に欠点があるとすれば、まさにその点で、一冊の本を手にしたおかげで何枚ものCDを買う羽目に陥ってしまうのだ!
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