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チリ人作家。
タイトルから受けたファンシーな印象とは違って、重厚な内容。
舞台は、開発の波が忍び寄るエクアドル東部のアマゾン上流。
外国人や金鉱が目当ての山師も出没し、アマゾンに生きる先住民や動物たちは奥地へと追いやられていく。そんなときに外国人の惨殺体が見つかる。頭ごなしに先住民のせいにする市長。森を知り尽くしている一番古い入植者の老人は、傷の特徴から大型の山猫の仕業だと考える。
さっそく人間たちによる、山猫狩りがはじまる。
しかし、動物たちに非はあるのか。
アマゾンに侵入した人間たちのほうにもともとの非があるのではないか。老人は悩む・・・。
筋はこんな感じ。
自然と人間の根源的な関係について問うています。
でも私自身、物質主義に侵された都会で生まれ生きてきたので、いまいち実感としてこの問題を考えることができませんでした。
侵食する側の一員として、知ることも第一歩になるなら有益な小説だったと思います。
UN VIEJO QUE LEIA NOVELAS DE AMOR
1989
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タイトルから、ジャングルでの老狩人とオセロットの一騎打ちの物語とはとても想像できないでしょう(笑)
物語は環境破壊へのメッセージのようにも読めますが、むしろ核心はそこではないように思います。主人公が森の先住民と共に暮らす経験を持ちながらついに彼らの一人にはなれず、さりとて文明社会の一員となることも拒んだ主人公。その百戦錬磨の主人公の趣味がメロドラマ的な恋愛小説を読むこと、主人公とオセロットが愛と悲しみにより互いに「通じ合う」シーン、このあたりに愛に重きをおいたセプルベダらしさを感じます。
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私はせつなかった。それは誰でもない私が愚かだからである。愛はいたる所で誰でもない彼らが営みぽっぽ睦みあっているにもかかわらず、ろくでもない私は誰でもない彼らを殺しのうのうとこの本を読んでしまった。彼らは本当に美しかった。だからこそ余計せつなかった。ラブ・ストーリーを読む老人が目にした愛もきっとせつなかったんだと思う。
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ある本を読んでこの本を知りました。題名から勝手に想像していたロマンティックな話しではなく、自分勝手な我々に警鐘を鳴らす示唆にとんだものでした。思い込むというのは、つまりは身勝手だと言う事でいり、自然の摂理を冒涜する行為なわけです。とはいいながら、アマゾンの自然を想像しながら最後はラブストーリーを愛読するに至った人生を考えると、我々は何とスケールの小さい生き方かと思わずにはいられない。
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『#ラブ・ストーリーを読む老人』
ほぼ日書評 Day682
松陰神社側の"100人の本屋さん"で、装丁に惹かれて手に取った本。
チリ人の現代作家だが、舞台設定は1世紀以上前、南米に白人入植者が急増した頃の話である。
某国営放送の連続ドラマでも明治・大正期の"ヒューマンドラマ"が扱われることがあるが、それらとは全く異なる何とも「男臭い」物語で、タイトル(邦題もほぼ直訳)から想像される余生を読書三昧で過ごす老人の話では全くない。
冒頭に語られる、入植者たちに子供を殺された山猫と、ひょんなことから原住民に森の知恵を授けられた「老人」の命懸けの物語なのだ。
もはや新刊では入手も難しい本であるが、現代日本人の対極にあるライフスタイルを垣間見るためにも、図書館等で探してみてもらえればと思う。
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