投稿元:
レビューを見る
読んで良かった。
日本は大なり小なりAC的要素を持っている人がほとんどだ。だからこの本の話は、ほとんどの人に通ずるものがあると思う。
厳しくもあり、その通りなんだろうなぁ、と納得もさせられる一冊。かなり濃い内容。
育児をしながら、何度も読み返していきたい。
乳幼児期の母親との関係性が、その後のその子の土台となり影響を大きく与える、という話は誰もがわかっていると思う。
そのうえで、ではどうしたらよいのか、を具体的に書いてくれている。
まとめると
・子育ては子どもと一緒に親も育つもの
・情緒的なつながりが重要
・自身の子どもを心を使ってみること
・見守ること
・待つこと
・答えは子どもとの関係の中にある
・大事なことは知恵をつけることではなく、生きていくために必要なことが身についていること
【引用メモ】
・子どもを授かるということは、それまで親に育てられrていた人間が、人を育てる側に立たなければならないという意味で大きな転換点といえます。
子どもを育てるということは、親があらためて子どもによって、それまでの自分自身の生き方を問い直されること。
自分が未解決のままにしておいた問題を、子どもにあらためてつきつけられるのです。
子どもを育てるということは、親自身の育ち直しのときでもある。
親は子どもを育て、また内なる子どもを育てなおしてゆく、子育ては自分育てなのです。
→これを痛切に感じるのはACの親ではないだろうか。
むしろAC的要素が無い人はここに対して大きな問題とも捉えないだろうし、自分自身を責めたり、プレッシャーに感じたりもしないように思う。
そういう意味で、この文章は正直きつい言葉だなと感じる。
このタイトルの本を手に取る親が、
AC的要素を強めに持ち合わせており、それを自身で理解していて、と考えるとちょっときつい言葉だなとも感じる。
でも子どもに対してうまく接することができないのもACの親だろうから、そうすると厳しいようだが、
ACの親に読んで気付いてほしい本なんだろうな、、。
・私たちはいくつになっても未完成品です。
なのに、子育てや教育と言うと、完成品として大人が未完成品の子どもを育てるという図式になっている。
人が人を教育することができるという考え方自体、おこがましいこと。
人には本来、育ちゆく力が内在化されている。
できるかぎりじゃまをしなければ、人は自然に育っていくもの。
親や保育者にできることは、その人がその人らしく伸びていくように、育ちゆく環境を整えること。
母も子も共に育っていく。
私たちは未完成品でよいし、未完成品であることを自覚し、どうしたら自分もまた、子どもとの関わりのなかでよりよく成長していけるかを考えながら子育てをしていきたい。
・親と子の情緒的な交流がいかに重要であるかということ
日本の社会が知的なものにのみ価値をおく、かたよった教育を続けてきた結果生じた弊害
・虐待を受けて育った母親は、自分の辛い経験の反動として、あまりに理想的な「よいママ」になろうとしすぎる傾向がある。
自分がされていやだったことを決して我が子にすまい、と力が入りすぎる。
虐待を受けた人は、叱り方とほめ方の両方の適切なモデルをもっていません。だからうまくいきません。
→これ言われると、つらいよなー。じゃあどうすればいいんだよ、って話。
必要以上に理想化した母親のイメージを自分に課し、
そうできない自分に自信を失っていくという
一人相撲をしている
→そうなんだろうけど。。
・「自分には何かがかけている」漠然とした不安感
心の通い合いのない、薄い関係性で結ばれたの家族。
母親との関係性の希薄さからくる、自分自身を母なる大地に根付かせられないでいるという不安をもっている
・子どもが2~3歳になる頃までに、精神的な母子一体性をしっかり体験することによって、「自我とセルフの間が通じる」とされている。
自我は意識の主体
セルフ(自己)は無意識的な心全体の主体
→無意識という目に見えない世界での影響力
・育児とは「与えることが得ること」になる魔術的な世界
「してやったから、してもらう」というギブアンドテイクの世界にいると、「与えることはへることでしかない」
・「関係性の世界」の住人
誰かが自分のこと、自分の子供のことを気にかけてくれている、大事にしてくれていると感じることが、
その人を関係性の世界に導く出発点になる
ほんとうに援助が必要な人ほど、援助を受けることが下手
・援助職に必要なのは
共感とは
その人のおかれている状況をそのまま受け止め、
喜びも悲しみもわかちあおうとする心のはたらきです。
マニュアルではなく、
相手の身になって一生懸命間あげ、何をどうしたらいいのかを考えてゆく心をもっていること。
「相手のために精一杯心をつかうことを惜しまない姿勢」
・例:「うちの子はミルクの飲みが悪いんです」
①子どもの吸い付く力が弱い
お母さんが下手だからではない。
②お母さんの抱き方が下手
こうすればお母さんもらくになりますよ。双方のメリットを伝える。
③ ①、②の話でもお母さんの不安が取り除かれない場合
その場合、世代間伝達の問題がひそんでいる可能性がある。
お母さんが赤ちゃんのときの授乳体験があまり幸せに満ちたものではなかった。お母さんがイライラしていたとか。望まれていない妊娠だったとか。そういう過去があった場合、記憶はないが、赤ちゃんだった自分が感じていた不満とか怒り、悲しみがずっととじこめられている。
その閉じ込められた感情が母親になったときに、もやもやっとわいてくる。結果上手にミルクを与えられなくなる。
これらは無意識の中のため、母親は気付かない。
漠然とした不安感となってでてくる。
そしてそれが赤ちゃんに現れる。
お母さんがゆったりするように育児書には書かれているが、どうしたらゆったりできるのかが���からない。
ゆったりしなければしなければと思うときりきりしてしまい、それが赤ちゃんに伝わる。悪循環の相互作用。
・母親の不安や抑うつの波を受けると
子どもはささやかな症状を出す。
むずがったり、一日中泣いていたり、奇妙な癖が出たり。
そういったことが見えたときは、母親との関係に目を向けてみる。
・援助者としては、
子どものために、ではなく「子育ての主役であるお母さんのために」という視点で考える。
それが結局は「子どものために」なる。
てがかり、答えは相手そのものとの対話の中にしか見いだせないもの。
子育ての過程で不安になったとき、母親は外にその答えを求めに行く。育児書を読んだり、講演会に行ったり。
わが子を知ろうとしているのに、わが子をみることをせず、「いわゆるこの時期のこどもについて」の話に手がかりを求めて、わが子から離れてしまう。
「青い鳥」の話と同じ。
・幼い子どもは、自分が何をしたいのか、何をしたくはないのか、よくわかっていない。
親が潜在的に望んでいることを、子どもが察知して言っていることはとても多い。なぜなら子どもにとって親は世界でいちばん大切な存在だし、「これは自分には合わない」と言えるほど自分の思いをよくわかってはいないから。
子どもは「とりあえずやってみている」だけ、親が自分によいと思っていることなら、きっとよいのだろうと考えている。
・親が自分のした失敗を子どもに繰り返させたくないと思っても、結局子ども自身もまた自分の体で体験し、遊び、納得していく過程が不可欠。
・人は一生をかけて心理的変容をとげていく
ここでいう「心理的変容」の過程が最終的に目指しているのは、「自分になる」ということ。
「他にはない、かけがえのない自分として自分らしく生きる」ということ。
・大人が子供より勝っている点があるとしたら、
生きている年月が長い分、子どもよりいろいろな体験をつんでいるということ。知恵が多いだけで、大人のほうが完成品に近づいているかはわからない。
◎未完成品の親が子供にできることは、
失敗し、傷を受けてもつぶれてしまわずに立ち直り、一生懸命にもさくしながら生きる、その姿を見せることではないでしょうか。
親もまた失敗してよい。
・人は、自分がしてもらってうれしかったことを人にもしたいと考えるようになるもの。
母親との間でうれしい体験がたくさんある子どもは、それとは反対の自分がされて嫌だったことは人にしないという気持ちが育っていく。
・育ちのための模索(幸せモデルに縛られることは手抜き)
子供と真剣に向き合う
じっくりと心と使う
言葉で早わかりをしようとしたり、すぐ行動に移そうとする。親がじっとしていられない。待てない。
それらの行動は、子どもを置き去りにする。
しっかりと心をつかって受け止める。
・赤ちゃんが望むのは、じっと見守っていること
「何もしないで見守る」
身体を使って行動をしていると、「何かをしている」気になれる。不安を紛らわせること��できる。
「見守る」ことは、一見何もしていないので、手抜きをしているような気持になる。
子どもなりに楽しんでいる世界を、機会を奪わない。
・「心をかけて、手をかけず」
・人生80年だとして、80年後まで自分をささえてくれるのは、物事に対す興味や好奇心を失わず、主体的に探究していく意欲を持ち続けること。
失敗してもくじけず、やり直していけること
人とのよい関係を形成し、
それを通して自己を表現してゆく能動性がはぐくまれていること。
足し算や引き算や読み書きは、能力の一部でしかない。
主体的に生きる自分、自分の内側からあふれでてくる興味や好奇心こそが、学力や知力の源になる。
それらを育ててくれるのが、乳幼児期の緊密な親と子の情緒的なやりとりの世界。
・親に愛されているという気持ちが、自分を愛する気持ちを育て、人にたいする思いやりの気持ちへとつながっていく。
・情緒の発達が、知的な発達を引っ張っていく
楽しさや喜びの感情を誘発し、維持させる最大のものが、お母さんの情緒的な応答性。
・赤ちゃんの情緒を自分に向けられたサインとして受け止め、メッセージを読み取ってゆく感受性をもっていること。試行錯誤しながら、子どもの要求にあわせようとしていく調節力が求められる。
・心の「ぴったり感」
わかってもらえたうれしさと、わかってあげられれた喜びが重なる。
自分がだれかと「共にある」「わかちあう」「共有する」という感覚が芽生える。
・ほったらかされているのではないけれど、余計なことはされない、という体験が、現代は足りない。
・援助職として
漠然とした不安感を受け止める。
だれかが自分を理解しようとしてくれている、自分の気持ちをわかろうとしてくれているという感覚は、人の心を開かせる。
それが母親自身の自助作用の活性化を促し、心の欠損感を回復していくことにつながる。
・子育ては、相互的・互恵的な関係性の過程
・子どもは不思議なもので、育ててもらいながら、育てている側をも育ててしまう。
・人と関わりたいけど、悩むことが怖いから、悩まないようにして生きている若者たち。「関係」のなかに身をおくことによって生じる軋轢や摩擦をさけるために、
「関係」によって得られる、かけがえのない、精神的に豊かな世界から離れてしまっている。
苦しいからこそ、深い喜びがある
・子どもを授かることによって与えられた不安は、
子どもと自分自身との関係性を見直していくことによってしか、解決しえない。
人間であるかぎり不安はなくならない。