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紙の本
ニーチェが泣くとき
2006/11/30 19:06
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:コマツバラ - この投稿者のレビュー一覧を見る
昨今、テレビでは精神科医が次々に登場する。あなたなら、誰に治療を依頼したいだろうか?香山リカ?斉藤環?それとも、フロイトやユング、ラカンに想いを寄せるかもしれない。
この小説では、「ヒステリー研究」をフロイトと編んだ、ブロイアー医師の元に、大哲学者ニーチェが偏頭痛の治療にやってくる。もちろん、フィクションで、こんな事実はない。つまり歴史小説でもないし、サイコセラピーや精神分析の入門書でもない。
この小説で描かれるのは、「生きるのが苦しいのはなぜか」という普遍的な人間の問題に取り組む、二人の中年男性の葛藤である。ブロイアーは、ニーチェを騙すために、自らの悩みを吐露し、「私の魂を救って欲しい」と願い出る。ニーチェは自分の思想を通して人を救うことができるのかという、実験を始める。ところが、思惑とは裏腹に、二人は探求にのめりこみ始める。ブロイアーを悩ませる女性の妄念は、ニーチェを苦しめる女性の妄念と重なり合い、いつしか、二人はお互いを鏡のように、人生の模索を映しあうのだ。
著者は有名な心理療法家でありながら、その限界に挑戦しているようにみえる。治療者こそが、クライアントに癒され、癒された治療者に、クライアントは癒される。相手が問いの答えを探すのを辛抱強く待ち、苦痛に耐えられるように励ます。そして、治療者とクライアントは、共有できない孤独を抱えながらも、点と点で触れ合う一瞬の接点に希望を見出すのだ。
ここには、現代の精神医療への鋭い指摘が垣間見えないだろうか?治療者が癒し、クライアントが享受する。その一方通行の中に回復はありえるのか?私はニーチェに治療を依頼したいと思った。
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