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社会学がその研究対象としている「社会」は、その学的なまなざしのもとでのみ姿を現わすという立場から、主要な社会学者たちの学説を検討しなおしている本です。
著者は、カントやラカン、ヘーゲルといった思想家たちの議論を手引きに、社会学が研究対象とする「社会」とはなにかという問題に切り込んでいきます。カントは、超越論的な審級が統制的にのみ理解されると主張していました。またラカンは、主体(S)に斜線を引くことによって、超越論的な審級に位置する主体に裂け目が入れられることによって対象の認識が可能になることを論じました。さらにヘーゲルは、その無限判断にかんする議論に典型的に示されているように、経験しえないものを縁取りしつづける「媒介」の運動を、「同一性と非同一性の同一性」という弁証法的構造として解明しました。
著者たちは、こうした哲学者たちの洞察を踏まえて、「社会」もまたその実存が自明なものであるということはできず、社会学者の学的営みのもとでのみその姿を現わすものとして理解します。こうした視点から、デュルケムやウェーバー、パーソンズやコントの思想が読みなおされています。
実証主義的な社会学の提唱者として知られるコントを、上述のヘーゲルの問題意識を受け継ぐ社会学者として解釈する著者たちの見方は、かなり大胆なもののように思われますが、すくなくともその問題提起自体は興味深いものなのではないかと思います。