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養護教諭の先生に勧められ、読んだ。
育児って、子どものココロの成長段階って?
色んな疑問の指針がこの中にはある。親としての自分の視点からはもちろん、自分が育った環境について振り返ることもできた。名著!
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本当に素晴らしい本。”ぐりとぐら”の山脇百合子さんが画を描かれているので、惹かれて、ウェブ上の古本屋さん”たのしい川辺”さんから、取り寄せた本。私は友達がお母さんになることになると、整体の”子育ての記”、”育児の本”、”誕生前後の生活”などを贈ることにしているのだけれど、分かりやすさからいって、今後はこの本を贈りたいと思う。
つい子供にヤツ当たりしてしまった時に何度も読み返している。、ブクログに引用文をどんどん登録している。
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乳幼児期は子どもの要求や期待にこたえてあげることが大事。、親が子の最大の理解者であるということが通じれば、子どもに生きていくための自信を持たせてあげることができる。
「待つ」「ありのままを受け入れる」姿勢を忘れないようにしたい。お母さんを信頼できる子どもは信頼できる子は人を信頼するという言葉が胸に刺さる。
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なんとなく図書館で借りて読んでみたのだが、子供の育て方という意味で非常に勉強になる一冊ですね。子供には過保護なくらいがちょうど良く、過干渉はあまり良くないというのは深いです!
また人とのコミュニケーション(人に接すること)の大事さも学びました。
まさに子育ては無償の愛ですね!
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子育ての基本的なことを教わった。子供との関わりは量より質だということ。働きながら子育てする背中を押してくれ、勇気づけてくれた。
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乳幼児の育児は建築の基礎工事のようなもの
☆乳幼児(二歳くらいまで?)は子どもの要求や期待にできるだけ十分に 応える 自分の要求に応えてくれるという親への信頼感がもう少し大きく なってからの自分を信じられることに繋がる
☆親が豊かな人間関係のなかにあること 夫と、両親と、近所の人と、友 人と・・・ 親子関係だけ一生懸命やっても親子の関係はうまくいかない
いろんな人間関係の一部が親子関係
☆いまこの瞬間を、子どもが幸せに過ごすことができるように
いろんな気づきがある本。読まなければ、親子関係だけ一生懸命やろうとするところだった。
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母親が幸せでないと、子どもも幸せになれない。
人のために何かをして喜ばれることが、自分の幸せになる。
自分のやりたいことばかりをしても、それが本当に幸せだとは限らない。
子どもの要求にできるだけたくさん応えてあげること。
子どもの笑顔を見ることが親として最高の幸せなんだよ。
小さい頃にたくさん要求に応えてもらうと、自分を受け入れてもらえた、という気持ちが強くなり、自律もできる。
小さい頃の受容が大切。
友だちと遊ぶ楽しさを知る、友だちから学ぶことはたくさんある。親から学ぶよりもたくさんのことを学ぶ。(小学生の間は特に)
色々と心に留めておきたいことが書かれています。
なかなか実践できないけど、少しずつ変われたらいいなあ。
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妊娠~出産~乳児期での親や保育者の心構えを心理学見地から分かりやすく優しい話口調で伝えようとしていて読みやすく理解しやすかった。
子どもに親の愛情を依存させてあげる、過保護で構わない、過干渉、放任より過保護が良い。
じっと良く見て待ってあげるこれが親のできること。
続編も出ているようなので気になる。
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[私の場合、この本を読んでから、嫁さんに、「がんばれ」と言わなくなりました。子どものケアは二人で出来るけど、ママのケアはパパしかできないから。
だから、全ての新米パパさんに読んで欲しいかなーと思っています。](http://www.mypress.jp/v2_writers/romi_esk/story/?story_id=293423 "図書館へGO! / 妊娠・結婚・出産??")
この本を紹介した当時1ヶ月の子の母親のブログに、スゴ本のDainさんがつけたコメント
コメントのやりとりのなかでDainさんが紹介してる以下の詩もグッとくる。
[赤ちゃん /浜 文子 作
あわて者でもいい
泣き虫でもいい
手先が 不器用でも
音痴でも かまわない
もちろん
人が振り向くほどの
美人である必要もない
とりたてて特技がなくても
高尚な趣味も
噂に上がるほどの博識も不要
おまけに
学歴
職歴
賞罰
一切不問
そのままのあなたがいい
そのままのあなたが好き
赤ちゃんは そう言いたくて
あなたに両手を伸ばしてくる
浜 文子著/「お母さんと呼ばれるあなたへ」P2・3掲載/学習研究社より
](http://www.geocities.jp/feel1017jp/HAMAsan3-akatyann.htm "浜 文子さんの詩の紹介「赤ちゃん」")
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何度読んでも、たくさんの言葉が胸に響く。
とてもよく理解、納得できる。
そして、励まされ、反省させられる。
子どもが赤ちゃんの時も、小学生になってからもそれは同じ。
ずっと大事にしたい良い本です。
....
追記。
子どもが小さい頃何度も読んだ本。
そろそろ手放しでいいなと思いさっと読み返しました。
思春期の子どもたちは
ダラダラと一緒にいるように見えるけれど
実はお互い承認しあうことで自己を確立している。
大人からみたら無駄に見えることも
子どもの成長にとって大切なこと、
というようなことが書かれてました。
昔は読み飛ばしていた章だけど
今読むとすごく刺さる。
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これは買って読んでいる。一気読みしなくても、少しずつじんわりと読んでいけばいいかなと思っている。講演をおこしたものなので、語り口調で、内容も重複した部分もあると思うし。今の1歳の保育、NさんやMさんの保育について、なんだかなあ・・・まあ、ああいうスパルタなやりかたも一つとしてあるんだろうけど・・・。という思いがどうしてもあったんだけど、それは数年前??10年くらい前?になるのかなあ???この先生の話を聞いて、そうだよな、と思ったことがあったからかもしれないな、と読んでいくうちに思い出してみた。やっぱり、1歳児にあんなきちきちやらせ、だだこねたり頑固をやったら怒鳴っていうこと聞かせるなんて、やっぱりおかしいよなーと、理論武装?というほどかなあ?根拠?を得られた、思い出せた、と言う点ですごく良かった。これから自分の子育ても始まるし、Rの知人が動物の訓練士で、そのやり方で子育てしていい子に育ってる、どうすりゃいいんだ?といってたけど、まあ、それは些末なことかもしれないよな。形からはいればそりゃちょっと子どもにとっては厳しいかもしれないけど、そこに親の愛情がたくさん感じられるのであれば、それでいいのかもしれないし。ただ、よっぽどうまくやらないと、やっぱり人間は動物(ペット)と違い、一生ご主人様の言うとおりに従順に暮らしてればいいわけではなく、成長して自分の意志で人生を切り開くというか、とにかく自分で生きて行かなきゃならないんだからな。そこは大きな違いだよな、と思う。となると、子どもの頃のその子の気持ちを認める育児=自分を信じられる子=信念を貫ける人=頑固、となり、それはそれで社会で生きていくのにちょっと摩擦もあったりしつつで大変かもしれないけど、ふにゃっとして、自分が何をしたいのかもわからない、なんでもいい、みたいなのとどちらがいいかといったら・・・。でも、佐々木先生の子育てでは、そういう事を言ってるんだと思うけど。まあ、いくら頑固でも、やっぱり社会、人と人の間で育っていくうちに、やさしくしてもらったりもする経験も積んで、程よく折り合える人間になっていく、というのが理想なんだろうなあ。うーん。難しい。それにしても、やっぱり小さい時に望みをかなえてあげてる方が楽、というのはわかるけど、やっぱりたいへんだよなあ、 親って。
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最近では、発達障害の分野でよくお名前を見かける先生だなと思って、本書を読んでみました。
・・・これは子育てのバイブルかもしれない、と強く思いました。
ものすごく、暖かく優しい語り口で子育てについて語られています。
幼児期の教育は、法隆寺の土台や柱を作るようなもので、とても大事な時期であるということ。
感謝することなしには与えることや喜ぶこともできない。
甘えさせてあげることの大切さ。
現代の豊かさや便利さが破壊したもの。
自分が幸せでなければ、子どもも幸せにできないし思いやることもできないということ。
ぜひ、小さな子どものいらっしゃるお父さんお母さんには一読して欲しい本です。というか、手元に置いて欲しい本です。
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児童精神科医が語る乳幼児期の育児の大切さ ― http://www.fukuinkan.co.jp/bookdetail.php?goods_id=975
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おじいちゃんが書いているので昔は良かった的な記述がありますが、現場での体験と長年の研究に裏付けられた大変良著だと思う。
子供(乳幼児)の要求には全部答える。親の都合は全て後回し。というの理想だと。月齢3ヶ月までに読んでおきたい。
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知人に紹介されて、またまた育児書を読了。
著者は児童精神科医であり、保育園、幼稚園、学校、児童相談所、養護施設、保健所など
30年以上前から子どもの臨床にたずさわっている一方で
保育の現場で働く保母さんや幼稚園の先生方などとの勉強会を、20年以上続けているという方だ。
本書は著者の活動のなかでこれまで行ってきた講演の内容を
テーマごとにまとめて書籍にしたものである。
数々の経験から語られる知見は、簡易な言葉でありながら奥深い。
しかし、著者の主張も多岐に渡っており
かつ印象に残ったエピソードも多いため
ちょっと書評が書きづらいというのが正直な感想だ。
本書の内容というよりは、本書から私が感じ取った事を書くことしよう。
あ、いつもの事か。
(1) 過保護について
本書に一貫して書かれている事。
たったひとつ、私はこれだけは間違いないと思うのは
子どもを過保護でだめにした例というのは、ぜったいないのだということです。
おんぶとか、だっこというから、そのたびにしてあげたからと言って
子どもが歩かない子になったなんてことは、みたことがありませんね。
おんぶといった時には、おんぶしてもらえる。
だっこといったときには、だっこしてもらえた子どものほうが
本当は安心してしっかり歩くようになりますし、精神的に自立していくのです。
親のひざの上にのって、テレビを見たがる子どもがいたとします。
いつでも自由に乗せておいてあげると、いつまでものっているのかというと、そうではないでしょう。
すぐにあきてしまうのです。
安心してあきてしまって、その後、そんなことはめったに要求しない子になるのです。
子どもというのは、要求が満たされると、それ以上要求をエスカレートさせてこないのです。
ですから、ひざにのってこようとする子どもに、暑苦しいとか、重いとか
そんなことするのは赤ちゃんだからおかしいとかいって拒絶していると
いつまでも要求し続けるのです。
私は常々「人を育てるという事は、相手が大人でも子供でも本質は一緒である」と思っている。
やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。
山本五十六
誰もが知っている有名な格言であり
多くの人が同意するにも関わらず
世間では、あまり実行されていない。
なぜか。
それは
「手とり足とり過保護に育てるとワガママになってしまう」
「自立的な人材が育たなくなる」
という価値観が根強くあるからだと思う。
なぜそう思うのだろうか。
力道山が猪木をスパルタで育てた、というような美談があるからだろうか。
落���博光の息子、落合福嗣くんみたいになってしまうと心配しているのだろうか。
私はそうは思わない。
猪木さんだって、力道山に褒めて育てられたら
もっと凄いことになっていたに違いないと思っている。
ローマ人の物語の中で、著者の塩野七生は
ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)についてこのように書いている。
<ローマ人の物語>
彼の誕生は、当時のローマのごく普通の男子の誕生と変わりなく
両親とまだ幼い姉と、親族と家庭奴隷たちの祝福を受けてのものであったろう。数年して妹が生まれるので
カエサルは姉と妹に挟まれた一人息子であったことになる。
それゆえか、母の愛情を満身に浴びて育つ。生涯を通じて彼を特徴づけたことの一つは
絶望的な状態になっても機嫌の良さを失わなかった点であった。
楽天家でいられたのも、ゆるぎない自信があったからだ。
そして、男にとって最初に自負心をもたらせてくれるのは、母親が彼にそそぐ愛情である。
幼児に母の愛情に恵まれて育てば、人は自然に、自信に裏打ちされたバランス感覚も会得する。
そして、過去に捕らわれずに未来に目を向ける積極性も、知らず知らずのうちに身につけてくる。
ちなみにカエサルは、若いころから借金王として有名だったそうだ。
ローマの国家予算の10%を超えていたと言うから、スケールがでかい。
今の日本で例えれば、9兆円以上にものぼる。
<ローマ人の物語>
あの人が、カネの問題で訪れた連中相手にどう対するかを目にするたびに
わたしの胸の内は敬意でいっぱいになるのだった。
それは、あの人がカネというものに対してもっていた、絶対的な優越感によるのだと思う。
あの人は、カネに飢えていたのではない。他人のカネを自分のカネにしてしまうつもりもなかった。
ただ単に、他人のカネと自分のカネを区別しなかっただけなのだ。
あの人の振舞いは、誰もがあの人を支援するために生まれてきたのだという前提から出発していた。
わたしはしばしば、カネに対するあの人の超然とした態度が、債権者たちを不安にするよりも
彼らにさえ伝染する様を見て驚嘆したものだ。
そういうときのあの人は、かの有名な、カエサルの泰然自若、そのものだった。
自信が確立して、初めて自立できる。
自信のない人間に、いくら自立せよと言っても無意味なことだ。
命綱を不安がっている人間にいくら催促しても、バンジージャンプは飛べない。
(2) 遺伝と多様性
以前の書評で「子は親の鏡」という詩を引用した。
私の親はけっこう放任主義であり、自分も自我が強かったため
これまで、親から受けた影響なんてほとんどないと思っていた。
しかし、自分が親になって、よくよく考えてみると
それでも随分と影響を受けていると感じる。
本当に、子どもというのは、無意識のうちに親を完コピしている。
まあ確かに、同じような生活環境で365日一緒に暮ら���ていれば
思考回路や行動様式も体型もウンコの匂いも似てくるのは致し方ない。
という訳で、そのままにしていると
親の欠点と能力の限界値がそのまま子どもにコピーされてしまう。
自分の欠点をコピーさせたくなければどうしたら良いか
自分の能力以上のことを学ばせたければどうすれば良いか。
それは、閉じた空間に多様性を導入する事である。
本書では、著者は一貫して
近所づきあいや親戚づきあいを疎ましがる風潮に警鐘を鳴らしている。
他者との付き合いを疎ましがって
コミュニケーションの範囲を狭めると
多様な価値観に触れる機会も減ってしまう。
しかし、多様な価値観こそが
親の欠点や能力の限界値を、子どもが認識できる唯一のカギなのだ。
「友達のお父さんに髪の毛が生えててびっくりした。」
「お父さんというのは髪の毛が生えていないものだと思っていた。」
私だけでなく、私の兄達3人も口を揃えて子どもの頃の思い出を話してくれる。
多様性がもたらした、マツモト家のパラダイムシフトの瞬間である。