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言葉が通じない多民族の街で、小さな切っ掛けから荒地が一日一日と菜園に様変わりしてゆく、皆に連帯感が生まれ仲間になってゆく様子に、言葉なくともコミニュケーションは成立することを改めて感じた。
登場人物各々の想いを理解することは出来ないこともあったが、温かい気持ちになり読了。
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多分良い本…
人種も違い、言葉も、生活も食べ物も違う人々が畑を通して仲間になる。
植物を育て、自分も育っていく。
それぞれの土地の背景も含め端的なのは児童書ならでは。
ただ好きか、と聞かれたらなんとも言えないので星3つかな。
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意図しない行動が誰かの心に種をつけ、芽吹いた花は、また誰かの心へ種をつける。
例えそれが良い行いでも悪い行いでも
きっと種の形は変わらない
綺麗な花にするための土と水を心に広く持ち合わせたい
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クリーブランドのゴミが捨てられている空き地に、女の子が豆の種を蒔いた。
近隣の人がドラッグを隠したのか?と疑い掘り返してみると、それは豆で、細いヒゲが出ていた。
他人の日記を見てしまいページを破ってしまったような気持ちになった。慌てて掘り返した豆をそっと土に戻して水をあげる。
始まりはそんな感じ。
畑に蒔いたものを世話している姿を見た人が、癒された気持ちになり、
希望を持ち、自分も働きたくなり、
ゴミの空き地は、
立派な畑に変わっていく。
クリーニング屋の女性は、自分の家にいるような気がして、心が温かくなり、畑で働いている人みんなが、家族のように思えた。
植物の世話、土いじり、働くことって、心に良い影響を与えるのかも。
そこに出てくる登場人物の考え方が爽やかになっていくのが良い。
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アメリカ北東部オハイオ州の工業都市クリーヴランドにあるごみ溜めの空き地を舞台に、貧民や移民や黒人の厳しい生活と輝かしい希望が描かれたフィクションの小説です。
アパートの間にゴミの不法投棄場所と化した空き地があり、アジア人の少女が豆を密かに植えることから物語は始まります。
コンクリートジャングルのど真ん中、人知れず野菜を育てる少女の周りには年齢や人種と問わず様々な人々が集まります。
生まれや育ちは関係なく、先ほどまで他人だった者がちょっとしたことで会話をするようになり、そして何事にも協力し合える仲間となっていきます。
小さな区画でのお話ですが、スケールを地球規模に変えたら不可能なことでしょうか。
本来あるべき人間の姿が、ここにあるように感じました。
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John Lennonの“Imagine”を聞いたときのような感覚に包まれた。
この本の物語は、ヴェトナム人の9才の少女が、近所のごみだらけの汚い空き地に、本国でお百姓だった亡き父の姿を追いたいと考えてライマメを蒔いたことから始まった。
少女は裕福でなく、母や姉たちと違い、自分が生まれる前に亡くなった父の面影すら持たない。
でも精神的な成長が芽吹いてきた少女にとって、ただひとつ自分の中にたしかに持っていたものがあった。
-想像力-
でも想像力だけではマメは芽を出さないし育たないって?確かにそう。だけどそう言い切ってしまうのは想像力が足りないな。
この本では、1人の想像力が別の人をひきつけて繋がっていく過程が本当にうまく書かれている。
この本を読んだ多くのアメリカ人は、自分たちの国が多くの国の人たちの想像力の結びつきによって形成されてきたという歴史的事実を思い出したんじゃないかな。
そんなことを考えながら“Imagine”の最後の節を聞く。やはりこの物語にぴったりだ。
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きっかけは女の子がゴミだらけの空き地にまいた種。そこに種をまく人たち。人種も歳も性別も境遇もそれぞれ。いつしかそこはそれぞれの居場所に。小さな一歩。それでも自分が動きだせばきっと何か変わるかもしれない。
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クリーヴランドの空き地に種を蒔き畑を作る人たち、あるいはそれを眺める人たちの話。
美しい寓話だった。
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一人の少女のほんの少しの行動が
様々な人たちに変化をもたらしたお話。
人種も、境遇も
全然違う人たち。
だけれども一つの種がたくさんの人たちを
つなげてくれるの。
言語も違う。
でもね、身振りだけでも通じるものはあるの。
どんなに心乱れていても
束の間の安らぎになる場合も。
植物は不思議だね。
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今私は暗中模索の中に居る。そんな時に本棚から手にした本である。何度読んだろうか。「種まく人になりたい」と思ったことだろうか。
現実には、一歩も踏み出せないまま茫然自失の状態である。多分私は最初に種まく人にはなれないだろう。だけど、耕す人をみつけたら、そっと仲間に入れてもらいたい、そんな風な時に手にする本である。