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日本に資本主義を根付かせようと尽力するも、財閥形成をかかげず、三菱などとは一線を画した渋沢栄一。彼を初代として、長男篤二、その嫡男敬三までの歴史を描く。三代の人間性が伝わってくる感じが良かった。
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★太郎君★
「知識をつけることは行動の始まり。そして、行動することによってその知識を完成させるのだ。」と言ったのは吉田松陰ですが、プロジェクトのアクションを促進していくためにもまだまだ知識が足りないし、メンバー個々のばらつきがあると思っています。
渋沢氏の「事業と道徳は一致してなくてはならない」という強固な信念はこのプロジェクトに通じる哲学だと思っています。
です。渋沢栄一単独の書籍は多く出ていますが
一族の栄光と没落を三代に渡って書いた本書は珍しいのではないでしょうか。
1840年埼玉県深谷市で地方の豪農として生まれた
渋沢栄一はご存知のとおり日本資本主義の父と呼ばれる存在でした。
設立に関与した企業は、日本興業銀行、朝日生命保険、東京海上火災保険、東京ガス、東洋紡績、清水建設、王子製紙、秩父セメント、新日本製鉄、キリン・アサヒ・サッポロビール、帝国ホテルなどなどおよそ500社。
また東京商工会議所、東京証券取引所の設立も彼の功績です。
また企業だけでなく非営利の社会事業にも力を注ぎました。
東京都養育院、盲人福祉協会、聖路加国際病院の設立などの社会福祉事業、一橋大学、日本女子大学、東京女学館の設立などの教育事業を手がけました。
それは彼の事業と道徳は一致してなくてはならないという強固な信念から生まれたものでした。
そして同時代に生きた有名な起業家として三菱財閥創業主の岩崎弥太郎がいますが直接彼と今後の経済について激論になり、喧嘩別れしたと言うエピソードもあります。
岩崎が三菱という一つの財閥の繁栄を中心に考えたのに対し、渋沢は「それは独占であって目のくらんだ利己主義だ」と批判し、彼は日本の近代化に必要な産業がを選び、あちこちから資金と人材を集め企業を設立するという方式を選びました。自分の出資は10%程度に抑え、頼まれれば社外役員になると言った形で財閥形成をしませんでした。
今流に言えば、岩崎はベンチャービジネスだったのに対し、渋沢はベンチャーキャピタルとしてのスタンスで日本の近代化を急いだのでした。
本書では彼だけでなくさらに二代目篤二、三代目敬三にまで記述が及びます。
二代目篤二は巨人栄一の重圧から逃げるため、放蕩に走った悲劇の人物でした。やがて一族から破門を受け、放蕩の世界で一生を終えると言う実業界とは無縁に生きた人物でした。
三代目敬三は日本銀行などの役職にはついていましたが、それはやはり祖父栄一からのたっての願いによって就いただけであって、彼は学問発展に尽瘁した一生を遂げました。その学問は民俗学でした。
そして彼が家主の時、戦後によるGHQからの財閥指定を受けます。当時、渋沢家は前述したとおり、あくまでベンチャーキャピタルとしての道を選んだため、決して財閥と言うものは持っていませんでした。
実際、その後GHQ側から間違いだったと言うことで財閥指定の解除の通告を受けます。しかし敬三はそれでは世間が納得しないと言うことで、その解除を無視し、結局財閥指定に甘んじました。こうして渋沢家はさらに���落の道をたどっていきます。
没落と言ってもあくまで一般市民のレベルからいえばまだまだ裕福なのは当然であって、今は五代目の人が金融業界で活躍されています。その著書の一冊がこれです。
シブサワ・レター 日本再生への提言 渋澤 健
http://www.amazon.co.jp/gp/product/440810583X/
事業と道徳の両立の原点ともいうべき人物の一人として渋沢栄一の存在、
そして渋沢家のその後の物語は非常に興味深いものだと思いました。
ぜひ皆さんも読んでみてください。
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「日本資本主義の父」渋沢栄一の業績は偉大だが、子や孫は大家長の重圧の下で押し潰されたのではなかったか。
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王子の渋沢栄一記念館に行って興味を持ち読んだ一冊。面白かったけど記念館が面白かったからそう思ったのかなあ。
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第一国立銀行を創設した渋沢栄一。そのような印象しかなかったが、深く渋沢家の歴史、栄一の子や孫、篤二、敬三、そして義理の息子(穂積、阪谷)。
渋沢栄一の、資本主義至上として実業家ではなく、資本の文明化を目指す姿を知り、とても感銘を受けた。本当の意味での国家の発展を見通して対応しようとした姿はすばらしい。そのため「財なき財閥」といわれた。実際、敬三の代では、公職追放や財閥解体で、すべての財を捨て、四畳半の元執事の部屋に住んでいた時期があるらしい。渋沢栄一を題材とした、城山三郎「雄気堂々」を今度読んでみよう。
あと面白かったのは、陸奥宗光の話。2010年の大河ドラマ「龍馬伝」にでていて、海援隊で活躍したと描かれていた。この本では、なんと三井家のスパイであったと書かれていた。これは意外で、初めて知った。三井家は幕府との取り引きで成長していた。幕末の動乱の時期に、佐幕か新政府どちらについたほうが生き残れるかを判断するために情報収集としてスパイを送り込んでいたようだ。その新政府側が、陸奥宗光だったらしい。元々陸奥は三井家の書生であった時期があり、その縁でスパイをしていたらしい。すごいのは、新しい情報は半時間もしないうちに届いたということだ。電話も無線もない時代に、すごい情報網。。。
栄一の言葉が書かれていたので残しておこう。
1) 「土地を持つより利益は細かいかもしれぬけれども、真正なる利益厚生即ち直接の利益ある殖産工業の経営そして自ら土地の価値を高むるようにして、而して今の鼠を待つ猫に偶然なる利益を得さするとも私は少しも口惜しくもない。こういうのが私の主義である。」
2) 「義利両全」、道徳と経済の合一。
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[ 内容 ]
わが国に資本主義を産み落とし根づかせた栄一、それを継承し育んだ嫡孫・敬三。
その狭間にあって廃嫡の憂き目にあった篤二。
勤勉と遊蕩の血が織りなす渋沢家の人間模様をたどることは、拝金思想に冒されるはるか以前の「忘れられた日本人」の生き生きとした息吹を伝えることにも重なる。
この一族は、なにゆえに「財なき財閥」と呼ばれたのか。
なぜ実業家を輩出しなかったのか。
いま新たな資料を得て、大宅賞受賞作家が渋沢家三代の謎を解き明かす。
[ 目次 ]
プロローグ 「財なき財閥」の誇り
第1章 藍玉の家
第2章 パリの栄一
第3章 家法制定
第4章 畏怖と放蕩
第5章 壮年閑居
第6章 巨星墜つ
第7章 にこやかなる没落
エピローグ 深谷のブッデンブローク家
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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★2.5といったところ。
渋沢栄一は城山三郎の雄気堂々でその生涯が
詳しく書かれているので、渋沢翁自身を理解
するにはそちらを読んだ方がはるかに面白い。
この本は、巨魁渋沢栄一の家系がなぜに
栄えていかないかという部分を掘り下げていて
栄一家系および偉大な経済人のプライベートの
部分が垣間見えて興味深い内容になっている。
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本書のテーマを見て、最初は「何故渋沢家三代なのか?」と感じたが、本書を読んでよくわかった。著者は、ノンフィクションライターとして「人間が主人公の物語をつむぐことが実にうまい」と思った。
「渋沢栄一」は有名な人物であるが、本書の「公式伝記」などとは違う側面を赤裸々に描いた内容には実に驚いた。
財閥を形成した岩崎弥太郎とは違い、「渋沢栄一」は「論語と算盤」をモットーとし「日本資本主義のプロモーター」に徹したその生き方は、あたかも「資本主義の道徳教師」のようなイメージを後世に残したように思えていたが、本書のその三代に渡る血族関の歴史は、いやはや現在の観念からは、とても考えられない内容とスケールの大きさに驚くとしか言い様がない。
「妻妾同居」とその多くの子どもたち。「一説には栄一が生涯になした子は20人近くにのぼるといわれる」。いやはや「お盛んなことで」と思わず思ったが、その影響としての後継者「篤二」の廃嫡と孫の「敬三」の生き方にまでかかわる「影響力」。歴史上の有名人の子孫は決して楽なものではないと、この「物語」を読んで思った。
そういえば、勝海舟も徳川慶喜も「妻妾同居」であったようだし、慶喜も多くの子をのこしていたことを思えば、幕末・明治期の上層階級においては、あまり希な事例ではないのかもしれないが、現在の価値観からは、なんとも違和感が残る。
本書は「栄一、篤二、敬三の渋沢家三代の歴史には・・・幕末から高度成長期までの約一世紀におよぶ歴史が凝縮されている」とまとめているが、まさにその通りと共感できる、実に面白い本であると思う。
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初代栄一の幕末の攘夷の志士から将軍・慶喜の家来、大蔵省、民間実業家、実業界の大物という波瀾の生涯。2代篤二の重圧と放蕩、3代敬三の文化人としての歩み、単なる財閥家族でなく、身内(穂積、尾高家他)から文化人を輩出した一族の歴史を教えてくれました。それにしても、栄一と運命を分けた従兄弟の喜作、そして渋沢家に流れる遊楽の血を受け継ぎ、溺れていった篤二と2人に人生の不思議さを見ました。
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先日論語と算盤という本を読んだ際に、気になった本です。
非常に面白かったです。
栄一という近代日本資本主義の父の実の子たちに降りかかる重圧。
それを女性であったり、学問に救いを求めたり、とにかく厳格に、
渋沢の家の人間という事を誇りに思い、重視したりと
何かバランスを崩してでないと生きていけないような姿を
様々な文献を読み解き、抜粋し伝えてくれる一冊。
昔の住所を調べてみたり、名前は歴史の時間に聞いたことがある、
レベルの人について調べてみたりしながら、
夢中になって読みました。
江戸時代末期から昭和にかけての人物像がくっきりと浮き上がる中、
自分の今までの不勉強を恥じ、このような人が生き生きとしている本と
出会って、歴史を自分の中で認識していくしかないな、と思います。
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近代日本の経済・産業界を創造した渋沢家の評伝。初代栄一が興した企業や組織は、第一国立銀行、朝日生命保険、東京海上保険、東京ガス、東洋紡績、清水建設、王子製紙、秩父セメント、新日本製鉄、キリンビール、アサヒビール、サッポロビール、帝国ホテル、東京証券取引所、東京商工会議所、東京都養育院、結核予防会、盲人福祉協会、聖路加国際病院、一橋大学、日本女子大学、東京女学館、etc。
また、黎明期の大蔵省時代には、富岡製糸場の設立に従事。
ってか、これだけの人物なんだから、ちゃんと歴史の授業で取り上げろよ…。
こりゃ2代目3代目はキツい訳です。
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国立民族学博物館の前身を作った日銀総裁も務めた渋沢敬三って、その祖父である明治財界の大立者渋沢栄一とどんな関係何だろうと手に取った。二人の間に挟まれた父、篤二を通してこの偉大な家系の資質も苦悩も分かった気がした。
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資本主義の父と民俗学のパトロンの生涯をまとめて読めるのはお手軽と思ったが、あとがきにも書かれている通り、敬三の民俗学へのパトロネージュについてはほとんど触れられておらず、『旅する巨人』を読めとのこと。そりゃそうだ、とは思ったが、渋沢家の生い立ちから没落への歴史を学ぶことができたのはよかった。
栄一は1940年に血洗島の中ノ家に生まれた。現深谷市のこの地は中山道と利根川にも近い交通の要衝で、家はそのメリットを生かした藍玉生産で富をなした。藍の栽培に必要な干鰯は、九十九里から利根川で運ばれた。栄一も14歳になると、単身で藍葉の仕入れに出ている。21歳で江戸に遊学に出て、学問や剣術の修行をする一方で、高崎城乗っ取りのクーデター計画を進めたが、激論の末、中止となる。その後京都に出て、温情を受けた一ツ橋家に仕官することになり、慶応2年に慶喜が将軍職に就くと、陸軍奉行支配調役となった。その1か月後、パリで開かれる万国博に派遣されることになった水戸の徳川昭武の庶務と会計役として随行し、遊学して資本主義を学ぶことになる。帰国後、静岡で謹慎中の慶喜を訪ね、そこで商法会所を開いて、明治政府が全国の諸藩に強制的に貸し付けていた新紙幣を基に、合本法を用いて殖産興業を図った。その1か月後には、新政府の大蔵省租税正に任命されて東京に赴くが、内閣と対立して明治6年に退任すると、在任中に自ら作成した国立銀行条例に基づいた第一国立銀行を創設した。
栄一は、古希を迎えた明治42年にほとんどの関係事業から身を引き、喜寿を迎えた大正5年には第一銀行の頭取をやめて、すべての企業との関係を断った。その後は社会事業に情熱を注ぐ一方、民間経済外交にも献身し、日露戦争後に変調をきたした日米関係を修復させようとしたが、満州事変が勃発した2か月後の昭和6年に91歳で生涯を閉じた。
敬三は明治29年に生まれた。中学時代から生物学に心を寄せ、大正10年に銀行員となったが、柳田国男らの影響を受けて民俗学に興味を持ち、屋敷車庫の屋根裏部屋にアチック・ミュージアムをつくっている。栄一の死に付き添った過労によって糖尿病を患い、療養のために過ごした伊豆の三津浜で、古老の家に伝わる400年の歴史と生活が記された古文書を見せられた。それを筆写して、3000ページに及ぶ「豆州内浦漁民資料」をまとめ、この頃から多くの民俗学者へのパトロネージュを始め、自らも土日曜を利用して52年間に480回もの旅を続けた。昭和12年には、アチック・ミュージアムに収蔵されていた民具を保谷に誕生した民族学博物館に移し、その40年後に開設された大阪の国立民族学博物館の母体となった。
敬三は昭和17年に日本銀行副総裁に任命され、昭和19年には日銀総裁に就任し、終戦後は幣原内閣の下で大蔵大臣に任ぜらた。自ら導入した財産税を納めるために三田の豪邸を物納し、GHQの財閥解体も後に「相当せず」との通告を受けたものの、それを放置して同族会社を解散した。渋沢家に代々仕えた杉本行雄は、敬三が「ニコニコしながら没落していけばいい」と口ぐせのように言っていたと伝えている。物納された渋沢邸は、40年余り6省庁の共同会議所として使用された後、道路拡張工事によって取り壊される際、���本が払い下げてもらって三沢に移築している。
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渋沢栄一、敬三はよく見るが、篤二についてこれだけ書かれている読み物はなかなかないのでは。面白くて飽きずに読んでしまった。3代を追うことで幕末から戦後までの社会を外観できてしまうのもよかった。
星1つないのは単に歴史の本を読み慣れた自分の好みで、セリフがあるとその出典や史料を確かめたくなってしまうということだけなので。もちろんこういう本なら無くてもいいと思ってますが、あくまで個人的に。
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次回大河ドラマの主役渋沢栄一、その息子で廃嫡される篤二、民族学で名を残す敬三。渋沢家の三代を通じて見つめる日本近代史。
渋沢栄一だけでなく、その子、孫。さらに一族本家まで俯瞰した新書としては守備範囲の広い意欲作だろう。
何代かに渡って一族を眺めると、勤勉と遊蕩の血が交互に出てくるのが面白い。渋沢一族としてみるとむしろ著名な栄一が異例でありどちらかというと学術、芸術家肌が多い。渋沢敬三しかり本家筋の澁澤龍彦など。
渋沢栄一の志士から一点一橋慶喜に仕えパリへ。官僚から実業界という波乱の人生。そのサクセスストーリーの陰で犠牲となったとも言える篤二、そして日銀総裁などを務めつつも柳田国男との出会いを機に趣味の民俗学を極めた敬三。
豊富な資料から冷酷なまでの鋭い視点は筆者の独壇場。敬三を主題とした「旅する巨人」のアナザーストーリーとして楽しめます。