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紙の本
出世をしていくための処世術は、どの程度までなら良心が咎めないだろうか。そんな迷いを持たぬまま勤めていられる人はある意味で幸せ。ささやかな個人の生き様と心情を丹念にあぶり出す美文の時代物短篇集。
2001/11/20 12:21
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投稿者:中村びわ(JPIC読書アドバイザー) - この投稿者のレビュー一覧を見る
この短篇集では、いろいろな人間関係が設定されている。「ゆすらうめ」はいったんは素人に戻った女郎と、それを陰ながら応援する女郎屋の番頭の話。「白い月」は博打の深みにはまって首が回らなくなった職人と、苦労性の女房の話。「花の顔」は徐々に痴呆化してきた厳しい姑と、下級藩士に嫁いだ嫁の話。そして、「椿山」は上士の子に恥辱を受け出世を望む下級藩士の子と、彼を静かに見守って学問に精進する半農半工の倅の話。
人は生まれや育った環境、勤め先の様子、嫁ぎ先の家風によって相当程度に運命を規定されていくが、心のもちようひとつ、意思決定の下し方ひとつで、ずいぶん異なる道を進むようになる。それを真実といってしまうと「真実とは何か?」という哲学に向かう思いで反論も出てこようが、生活や体験を通して得ていくそんな「真実」がここには嫌味なく、あっさりすっきり、しかし温かに描かれている。現代でも何百年前の昔でも変わらない、人にとって普遍的なものがすくいとられている。達観もなく失望もなく、ただそういうものなのだという、言ってみれば素直な気持ちで…。
哀しいような切ないような、直視したくない生きていく上での皮肉な出来事を、私はせめて陰翳と呼びたいと思う。陽射しが強ければ陰は濃くなる。薄日でも陰翳はできる。それなくして存在し得ない明るい場所、明るい時間というものがある。乙川さんという作家は、これまで多くの作家が何回となく描いてきた日本的陰翳を、正しく受け継いで書いている人ではないだろうか。
表題作「椿山」がこの本の半分を占める。ほかの3作は、ほんの数日のなかに登場人物たちの人生を透視してみせる作りの短篇だが、この作品では、主要人物たちの少年時代から中年にさしかかるぐらいまでの半生が描かれている。少年の日に受けた屈辱がその後の道をどのように規定していくのか、少年の日の清く高い志がどのように汚れて曲がっていきやすいものなのか、持ち続けているつもりの誠はいざというとき発揮できるのか…。穏やかで味わいある文章のなかに、結構きつい問いかけが隠されている。
身分を問わず、男女の違いを問わず塾生を受け入れている藩の祐筆の私塾がある。塾頭の見識が高く金品を求めることもないことから、大変人気が高い。運良くそこに入門できた下級藩士の息子・才次郎は、寅之助という半農半工の家の子と気のおけない友だちになる。才次郎はあるとき、同じ塾生の上士の息子・伝八に因縁をつけられて喧嘩に応じる。孝子という、学才に恵まれた感じのいい塾頭の娘がいるのだが、彼女と自分が許嫁なのに才次郎が勝手に近づいたというのだ。相手がしかけた喧嘩に勝ってしまった才次郎は、しかし、下士の身分ということで卑屈な父親と謝りに出かける。みじめな思いをしたために出世を誓い、才次郎の学才を認めた塾頭の「養子に」という期待を裏切って藩のために働き始めるのだ。めきめき頭角を現して出世していく才次郎だが、藩の大物たちが大掛かりな不正事件に絡んでいる証拠書類を直属の上司に手わたされ…。また、孝子と友人・寅之助が結ばれることとなり…。
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