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先にみたように、「家族のドラマ化」から「ドラマなき家族」のドラマ化へ。
家族という共同的枠組みへのこだわりが、子どもにおいてさえ摩滅しつつあることの証左
運命として与えられし家族が、その運命的な重しを早々と取り除いて、浮遊する自由を子供たちにゆだね始めた
こどもの内面世界がリアリティを喪失して空虚さや虚妄に満ちている。この空虚さや虚妄の中に、現代社会の歪んだ一面が映し出されている。
競争をバネにして功利性や合理性を原理とする社会の基本動向が、共同性を掘り崩し、家族までをも関係の病の中に投げ込み、人々の安住の地を奪い続ける一方で、豊かな社会を誇示し、消費的・享楽的風潮を醸成し、軽薄短小の文化を演出し続けるならば、この文化に絡み取られた子供たちの間にも、この文化に背を向ける子供たちの間にも、等しく生活に根差すリアリティ感覚が希薄になるということはありえよう。
子供の生活の場たる家族において、情の籠らぬ他者の目線と他者の言葉が漲るとき、子供の内部世界に住まう見知らぬ他者も冷ややかな空気を吸って肥え太り、自らの出番を待ち受けるであろう。そこに、「ドラマ無き家族」のドラマが上演される可能性があったのである。
たとえ現代の家族が、生活の共同性よりも、個の自由や自立に価値を置いているとしても、自由に浮遊する子供の帰り着く場として暖かい家族を用意するべき。傷ついた子供を癒し、保護膜として機能し、存在論的安定を与える場として機能するならば、子供の内面世界も豊かに安定して、自由なる浮遊を楽しむであろう。
見慣れた日常の風景の中にも歴史の変遷が刻み込まれており、日常の風景の外には想像も及ばぬような多様な人生がある。そうしたことを心にとめつつリアリティを穿つこと、そこに生きることの意味や真実を見出せるであろうこと
一方における放任と、他方における過保護や過干渉。
慈しみやいたわりの心を育てる環境が社会的に痩せ細っている。
最後の共同体たるべき家族においてさえ、アノミックでエゴイスティックな社会の影が映し出され、それが夫婦や親子という基本的な人間関係までもを攪乱している