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紙の本
不思議な懐かしさを感じさせる「失われた東京」たち
2002/03/03 01:06
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投稿者:河野弘毅 - この投稿者のレビュー一覧を見る
銀座の町並みというのは、新しい店と古くからある店、新しいビルと古くからあるビルが混在してしかも活気がある。新しい風俗だけなら銀座よりもピカピカした街並みはあちこちにあるが、古い風俗は一朝一夕には人造できないから、銀座という街の醸し出す独特な活気はなかなか他の街が真似できるものではないだろう。そのような街を作ることができた大きな勝因のひとつがこの道幅の広さだろうと思う。
田中聡著『名所探訪・地図から消えた東京遺産』によると、現在に続く銀座の街がうまれたきっかけは明治五年に銀座から築地にかけての一帯を焼いた大火によるそうだ。この火事のわずか四日後に井上馨や渋沢栄一により東京府全域に煉瓦家屋を建築する都市計画が決定され、これを受けて銀座煉瓦街の計画が進められたらしい。この際に、それまで八間(一間=約1.8m)だった銀座通りの道幅を十五間に拡幅したそうだ。
銀座は新橋と築地の間に位置する。当時、新橋-横浜間を結ぶ鉄道開通が予定されており、築地には外国人居留地が設けられていた。なぜ築地に外国人居留地があったかというと、1858年に江戸幕府が米国政府との間に日米修好通商条約を結んで江戸の開市(かいし=貿易のための市場を開くこと)を約束していたためである。ちなみに日本最初のホテルは築地に開業したらしい(同書「築地・外国人居留地」より)。そしてご存知の通り、この条約では神奈川(横浜)の開港も約束していた。
要するに蒸気船に乗って横浜港に着いた外国人は、鉄道に乗って横浜新橋間を移動し、新橋から馬車に乗って築地の居留地まで移動する、その移動の途中にある銀座が江戸時代のままの街並みでは外国人にバカにされるので、バカにされないように煉瓦の街並みにした、とこういう背景らしい。この田中聡さんの本を読んで、はじめてなぜ最初の鉄道開通が新橋横浜間でなければならなかったのかがよく理解できた。外国人の通り道に沿って精一杯「日本人ってこんなの作れるんだぞ〜、なめんなよ〜、そう簡単に植民地にはならないぞ〜!」と突っ張る必要に迫られていたのだろう。
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この本にはこの他、鹿鳴館、日本橋・白木屋、浅草凌雲閣、本郷・菊富士ホテル、新宿・ムーラン・ルージュなど、東京のレトロな横顔になぜか惹かれる人にとって不思議な懐かしさを感じさせてくれる名所がぜんぶで二十カ所、紹介されている。下町情緒が好きな人にお奨めしたい一冊だと思う。
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