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中央線の「呪い」というのは薄れてきたとはいえ、今も残ってますね。サブカルチャーの温床、抜け出せない魔窟、排他的コミュニティとして、禍々しくも魅力を放ち続けるエリア。かくいう私もこの地に憧れ、飛んで火にいる夏の虫のごとく移住をキメ込みました。もちろん「中央線ね(笑)」的な嘲笑も受けましたが、それをものともしない程一途に想い続けてきたわけです。
でも冷静になってみると、なぜここまで中央線にこだわってきたのか。この本の言葉で表すなら「呪い」にかかっているのでしょう。中央線に住むことが「文化的」コミュニティの一員の証明だと思っているフシが私にもあります(あんまり認めたくないけど)。
「呪い」っていうのは要するに、こういうゲスい選民思想に起因するもんじゃないだろうか。自覚しながらもこの暮らしが心地よかったりするから仕方ない…。
「世田谷が”騎馬民族”文化圏であり、中央線は”採取民族”文化圏なのである」この表現には妙に納得するものがありました。ハイ。
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出版から10年以上がたち、中央線はどこがどう変わったのか、そして変わっていないのか。その視点から沿線をぶらりすると楽しそう。
三善さんは、まちの特徴をはかるものさしの1つとして、古本屋をあげているが、これは確実に減ったと思う。そんな中でも、吉祥寺のバラサブックスや、三鷹の上々堂など、ここ数年で開店した古本屋もある。
お店は入れ替わっていくのが常だけど、それでもまちの集合意識のようなものは引き継がれながら、ゆっくりと変化していく。だから、2010年代の中央線の呪いみたいなサブカル的ポジションからのまち本が必要だと思う。
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この世の中、この社会を良い意味、悪い意味で変えているのがこの路線の地域住民だと誰それから聞いた。そしてこの本にたどり着いた。そして確信した中でも阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪ここら辺が呪いの中心点だということを。
現在の国を壊すためにうごめいている何かが怖い。