紙の本
21世紀の先生たちへ
2001/05/02 11:18
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投稿者:ジョー・駿府 - この投稿者のレビュー一覧を見る
旧・文部省(現・文部科学省)は「基礎的・基本的事項の重視」および「抽象的部分の比重を落とし、具体的な事象との関連や観察・実験等の重視」を「ゆとり教育」として推進しています。
要するに「子供のうちに教わっていた、一般的に難しいとされる算数や数学の問題を、削ったり、高校や大学に先送りしたりして、子供たちに余裕を持たせ、皆がわかる問題だけやっていこう。」ということなのです。
このことは、公立の小・中学校では、基礎・ミニマムのことしか教えないと断言していることになります。
この本は、そんな現在の「教育改革」といわれるものに一石を投じています。
中でも興味を引かれるのは「教育学部系学生」に対する「数学力調査」の結果です。この調査を受けた学生たちは、将来、小学校の先生になろうという人たちであります。大学入試に数学がある・無いに関わらず、信じられない結果が記されています。
この結果について筆者は「私立のトップ校や国公立の教育学部の学生の中に、総点が15点前後の学生が多くいる。小学校では大学での専攻に関わらず、全教科の指導を行う。初等教育の教育志望者の中に初等的な数学ができない学生が多く存在することは、将来の日本の経済・技術の基盤を揺るがす問題と思われる。」と語っています。
今、現在、学校の先生の数学力はどうですか?
今、現在、我々大人のの数学力はどうですか?
数学について「好き」とか「嫌い」だけで話をするのは、もうやめませんか?
そこまで、問題は危機的状況なのです!
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著者の一人である西村和雄は経済学者で、彼の『ミクロ経済学入門』(岩波書店)は経済学部生必読書です。そういうこともあってか経済学の視点から書かれている観が強くて、自分としてはすごく読みやすかったです。
「経済学は数学の一分野である」という人がいるほど経済学は数学化されていて、とても数学の理解なしには経済学の本質を理解することなんてできません。
それなのに数学ナシで経済学部や商学部に入学できるシステムをつくってしまった。これがこの本に書いてあるとおり、科目数を減らして偏差値を実際よりも高く算出させ、優秀な学生を集める目的で行われたのだとすればまさに「本末転倒」。なんのための制度改善かわからない。もはや制度改「悪」。
状況を打開したいのであれば制度として数学を受験科目に戻すより他に方法はないと思います。「うちだけ数学を義務化したら学生が集まらなくなるから足並み揃えて全ての大学で数学を義務化するようでないとムリだ。囚人のジレンマの状況にある」という慶應の大山道広氏の意見には賛成しかねます。
数学があるから…という理由で志望大学を変更するような人はそもそも優秀じゃないと思うんですが…。受験料収入を確保したいだけではないの?
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分数も出来ない今時の大学生!数学者の告発
読了日:2006.07.17
分 類:教養
ページ:302P
値 段:1600円
発行日:1999年6月発行
出版社:東洋経済新報社
評 定:★★★
●作品データ●
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テーマ:数学教育、学力低下
語り口:複数人の独立章立て
ジャンル:教養
対 象:一般向け
雰囲気:数学は大事だ!
結 末:-
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---【100字紹介】----------------------
分数の計算など小学生レベルの計算もできない大学生が
2割もいる!?日本人の学力低下は、
大学入試の少数科目化にある!?
諸外国の入試制度などと比較しつつ、
日本数学会などのメンバーが
「数学は何故必要か」を語る
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最近読んだ「「負けた」教」以上にショッキングなタイトルですね。今度は分数が出来ないんですって!しかも大学生が!最初、タイトルを見たとき「それは流石にありえないのでは…」と思ったのですが、実際に読んでみると「ああ、そういえば…」と思い当たる節もいくつか。特に私立文系へ行く人は、「数学なんていらない」の一言で片付けられていた気もしますね。先輩の中には、高校時代に定期試験の数学で0点をとる人が、難関と言われる有名私立大学の経済学部に合格した、と聞いたときには呆れました。経済学部でも数学が必ずしも入試科目ではないのですね、推薦などだと。みんなが凄い!と喜んでいましたが、よくよく考えてみると、大学に行ってから苦労したんじゃないかと思います。本人もそうですが、何よりきっと教官が…。何しろ経済ですから、数学が出来ないのでは話にならないのでは、と思うのですが。
進学校の高校生にとっては、大学に入ることがゴールであって、そのあとどうなろうと、そんなことは考えの外なのです。だから、ここを受ける、と決めたからには入試科目でないものはどんどん「切り捨てて」しまうわけです。本来は、小学校、中学校、高校で、基礎的な教養を身につけ、大学ではそれを基礎として専門分野を学んでいくはずなのですが…。
近年の「ゆとり教育」により、学生の学力低下が叫ばれて久しいですが、本書のテーマはまさにそれ。1999年の発行ですから、7年ほど前の本ですね。7年前にすでに、大学生の学力が低下している、日本の教育に異変が起こっている、と警鐘を鳴らしているのです。
「でも、数学なんて世の中に出てしまってから使わないよ」と言う大人が沢山います。それに呼応してか、算数・数学嫌いの学生が「何のために数学なんかやらなきゃいけないの? こんなの生活の役になんか立たない」と言ったりします。菜の花の中学時代は、数学の先生は必ず、その質問をぶつけられて困惑していました。計算が出来なくては困るでしょ、くらいのレベルならいいのですが、確かに因数分解が出来なくても、二次関数が解けなくても、あんまり日常生活には支障がないような気がしませんか?
しかし、それは大きな間違いだ、と本書は指摘します。数学は論理的な思考法の���練であるという主張です。また、中学生・高校生時代という早い段階で、将来の選択肢をせばめるのは不幸なことだ、と言います。それは確かに。中学生くらいでは、これから先のことなんて分かりませんし、何か特定の職業に就こうと決心していても、その職業の訓練に本当にまったく数学がいらないか?なんて判断できるはずがありません。実際に、意外なところで意外な学問が使われているものなのです。菜の花も大学に入って初めて、この分野にこんな学問が…!と、驚いたものでした。それに、こんなご時世ですから、望みどおりの就職がかなうとは限りませんし、折角就職しても、何らかの理由で解雇されることだってありうるわけです。そんなとき、数学がまったく出来ない、または苦手意識があって、仕事で数学的なことを求められても出来ない、ということだってありえなくはないわけで。数学を学習することにより、将来得られる所得の期待値が上がるとか。
そして、これは数学だけの問題ではない、とも主張します。学習の基本は「読み、書き、そろばん」。すなわち、国語力の低下も思考力の低下に大変深く関わっていると言います。うーん、なるほど、そうですか。理系の院生は数学力はまあまあですが、国語力がまったくない人がちらほら見受けられます。大学院生にもなって、誤字脱字が多いどころか、「てにをは」もあやしい人も。本書では「数学を捨ててきた私立文系」を主に問題視しますが(しかし理系ですら、数学力が落ちてきているという指摘も本文内にある)、「国語を捨ててきた理系」も大いに問題だなあと思う今日この頃。
とにかく、問題は「とにかく大学に入れればいい」という風潮と、それに迎合するかのような政府の教育方針と入試制度、「とにかく卒業できればそれでいい」という、教養獲得への意思の薄い今時の大学生の考え方、でしょうか。うーん、菜の花もなかなかに耳の痛い話で。なるべく幅広く学ぶ、というのは心がけてきたつもりですが、それでも全然一般教養のない人になってしまいました。(一応、自覚はあるのです)。こんな非社会的な学生を作り出してしまう今の教育制度、どうなのでしょう…。とか言ってみる。でも、まず変わるべきは学生本人の気持ちかも。教育制度は確かに悪いかもしれませんが、それに完全にもたれかかって、自ら考え、自ら知識の吸収にいかないのは、学生の側の問題であるはずです。まあ、小中学生の場合は、きっと教育制度と親の問題でしょうけど。
もっと頑張りましょう、大学生、社会人。…なんて、ちょっと反省させられた一冊でした。僅かでも興味を持ったら、是非手にとってみて下さい。特に第1章や第5章を読むと、本書のイメージが掴めるでしょう。
●菜の花の独断と偏見による評定●
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文章・描写 :★★
展開・結末 :★★★
キャラクタ :★★★
独 自 性 :★★★★
読 後 感 :★★★
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私が深刻に考えていた「数学の力」についてかなり詳しく書かれた本。とくに私大文系大学生の数学力については興味深かった。
私の見解としては、私大文系でも数学の試験を課すべきだと考える。しかし、それは何も難問である必要はない。比較的平均点が高く得意な人とそうでない人の差があまりでないもので良いと思う。だがここで注意しなければならないことは、公式暗記だけで通用するものは意味がないということ。それからこの試験は本試験とは別にセンター試験のような感じで行う必要があるということ。
詳しいこと知りたい人は直接私まで笑
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タイトル買いしました。
日本の学生
の学力低下が言われて久しいですが、なかなか刺激的なタイトルですね。
帯には
「信じられないでしょうが 大学生の10人のうち2人は小学生の算数ができません」
などと書いてあるわけです。
さすがにそれはないやろ〜〜
と思い読んで見るわけですが、実際にあることらしいんですね。
このタイトルをみますと、中身は大学生への学力調査か、アンケート調査か
などと思うわけですが、内容としては大学教育への警鐘を鳴らすというシンプルなものです。
しかしそのシンプルな問題が、根が深くやっかいなわけです。
数学教育に関わっている先生方が
・大学教育の現状(昔とくらべてど
うか現状を細かく分析)
・数学力の低下の原因はなにか(小中レベル・高校レベル・大学レベル・社会レベル)
・数学力の低下が何を招くのか
こうしたことをテーマに様々に意見を述べます。
要約しますと、
・昔は文系も理系も数学を必修化していた
・現在は文系では選択化し受験でも用いなくなり、著しく数学力が低下
・理系でも選択化がおき、能力の低下がみられる
・数学ができないことで論理的思考力が養われない
・数学への挫折感から、多面的な興味が削がれる
・理科離れは現行の「暗記型」カリキュラムにある
おおよそこのような内容です。
いろいろな先生が寄稿しておりますので、いろいろな意見があります。
中には「昔の学生は意欲的で我慢強くて」などと懐古ばかりしている先生、
「数学とはかくありき」「数学の本質をまるで理解していない」などと
なんも建設的ではない話をする先生もおられます。
書中に「凶悪事件が起こってからその背景をもっともらしく説明する評論家の話には耳を傾けるものの、そのような事件が今後起こらないようにするためのさまざまな対策の話にはあまり興味を示さないようである」
という一文がありますが、これをまんま聞かせてあげたい気持ちにもなりました。
しかしやはり多くの教育者は、この現状への打開策を模索しているようです。
たいていの場合は、丁寧な授業設計と、時間確保ということになるのですが、
個人、あるいはクラスレベルでの対策では焼け石に水のようです。
まず、忘れてはならないのは、子どもたちというのは「社会の鏡」であることです。
子どもたちが数学離れを引き起こすのは、その土壌が必ずどこか社会にあるのです。
例えばそれは学校教育であり、家庭教育であり、カリキュラムであり、受験情勢でもあるわけです。
時勢によって、「数学嫌いの遺伝子が増える」などということはありません。
そこを忘れてやたら昔の学生を持ち上げて、今の学生を貶したのでは何も解決しません。
この本の中には、その原因を探るヒントがあります。
「答えだけが出せればそれでいいという、そうした教え方がいつのまにか学校での数学教育をも支配していた」
「数学という学問の性格を正しく捉えている���も少なからずいた(中略)そのほとんどが学校または予備校での特定の教師との出会いによって得られている。(中略)数学が心から好きで、熱意をもって教える教師の存在がいかに大事であるかを教えている」
「(中略)高校生はどうしてもわかりやすい情報を利用するわけで、「数学がなくても受験できる」などの情報のもつ影響は結構大きい」
「生徒の興味を引きそうな話題を一生懸命準備していっても、受験に直接関係がなさそうだと、とたんに教室がしらけてしまうそうである」
「受験の範囲に入っていないことは「知らなくてもよい」とされているようである」
子どもたちのまわりを取り囲む一大イベントの「受験」
どうもこれが子どもたちの学力を左右し、教育の意義をも左右するイベントになりそうです。
私個人としては、これから教員になる身として、
親身でいて、それでいて興味が湧き起こされる授業というものを理想としていますが、
それだけではこの問題への答えにならないのだと感じました。
もっと大きなスケールでのアクションが必要そうです。
「ゆとり教育」の改善がいままさに議論されていますが、
この中で述べられている形と比べると、やはりどうも的外れな施策も多いように見られます。
教育改革に関わる人、そして実際に教育現場にいる人に、なにかヒントを与えられる一冊だと感じました。
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日本の教育界に一大センセーションを巻き起こした本。
教職の授業をとり始めた頃(2年前)に読んだ。
タイトルをはじめて見たときは「そんなわけないやん!」と思ったものだけど、著者たちの調査では、私立のトップ大学の文系学生のうち約2割は小学校レベルの計算ができないらしい。
この結果、「たった2割で、しかも文系やん」と甘く見てはいけないと思う。
数学は、論理的思考を身につけるために学ぶものであるということがよく言われる。
それはその通りなのだけど、「数学は人生に必要ない」と思っている人にとってこの答えがどれくらい意味があるのかはちょっとわからないな。
今の自分にできるベストな解答は、「別に数学ができなくてもいいけど、できたらちょっとカッコいいよね」ということ(たぶん何年かしたら違う考えも持っている気がする)。
この本の最後の章で、「人間の心の優しさみたいなものは知性なり教養なりで身につくわけです」とおっしゃっている先生がいて、僕はこの言葉がとても素敵だなあと思っている(教育学ではこのような考え方は「形式陶冶」と呼ばれる)。
田中くんが言っていたように、数学を受験で点を取るための道具と考えるのもありだと思う。
その道具を通じて、学ぶ楽しさやわかる喜び(つまりは感動)を得ることができるのなら。
「何のために数学を勉強するのか」、これは僕にとっての一生のテーマかなあ。