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昔は今の観念でいう「差別」はなかった。弱者利権が新たな差別を生み出している。語調がやや堅くとっつきにくかったのが難。
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原発事故や生活保護不正受給等々で「弱者」が騒がれるこの世の中、弱者ってなんなのかを考えた本。
読んで損はしないとは思う。もうちょっと踏み込んだ話を展開してほしかったが、それは新書の限界か。
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タイトルに惹かれ購入
内容は一般に考えられることに伍しており目新しいことは特になかった
また、極論になっていることもしばしばあり、やや反骨の念を抱かざるを得なかったが、本書の性格上、そして批判している相手が極論どころか暴論である場合が多いので仕方のないことか
(複雑というよりはむしろ)面倒くさい問題なので、内容が今ひとつなのはどうしようもないことであろう
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この本は「社会的弱者」の正体を明らかにするのが趣旨ではない。社会的弱者が発生する社会構造に焦点を置いて考察するのが狙いであり、優先席問題、五体不満足、子供、部落差別といった個々の事例を分析していく。あまり表立たない話題を取り扱っているため現実離れしているという感想を持つ人もきっといる。しかし、小浜逸郎の「何だかおかしいと感じながら、私たちがそれを表明したり追究したりしない理由」という問題意識は現在も共有されてもいいはず。
小浜逸郎の問題意識は内田樹『街場のメディア論』が引き継いで語っているようにも思える。内田樹は「定型」的な文章構成に頼りジャーナリスティックを失ったメディアの態度がメディアの受け手である私達の「知の不調」に繋がり、誰が言っても問題なくリスクを負ってまで自分が言う必要のない世論形成を助長する、と述べている。本書で本位的に書かれないメディアの存在については、内田樹『街場のメディア論』を読んでみるのがおすすめ。
個々の事例は小浜逸郎の「実感から立ち上る言葉」で記され、意識の凹凸が激しくて読むのに精神的な疲労が伴う。有益な知見は先に挙げた問題意識に集約されていると言っていい。したがって星3つ。
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社会的弱者がどういうふうに作られるかを考察した本。障害者をやたらと感動ものにするメディアの演出、ダウン症児を生んだ親の覚悟への違和感、被差別部落者が差別を恩恵として行政から手厚い保護を受けている事実、など公には言えないがなんとなく言いたいことを述べた本。
若干、ぶんぶんうるさい虫を叩くようなぴしゃりとした物言いに流れることはあるが、強いて感情的な批判ではない。
最終章での「生産年齢人口」(すべての15歳以上から65歳未満まで)ではなく、「就業人口」とみなし、むやみに若年者に進学させずに職業教育を行うという考えには同意できる。これは老人はみんな養われるべきという敬老に偏りもしない。
絶対的な弱者もいなければ強者もいない。弱者はある面では強者であり、既得権益を求めて「新しい弱者」の共同体が生まれるが、自己責任、自己決定をこころしていればいいと説く。
「煙草訴訟」の話など、まさに、博士進学しながら職が保障されないのは大学のせいという高等遊民の嘆きと似ていなくもない。
意訳すれば、弱者ー強者構造に巻きこまれないためには、多元的な共同体を背負いながらそれぞれの中での優位を認め合うのがよい、別の関係を持ちこんで寛容になる、ということだろう。要するに違っていてもいい、その人のいいところを別に見つけなさいな、ということ。
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まさに産経、といった感じ。
見田宗介の言う「弱者に少しでも自分の立場をゆるがされたときの抑圧者のルサンチマンは、一層醜く、危険なもの」のいい実例。
※引用(p.35,45,109)
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障がい者や出生前診断、部落差別問題などをめぐって、われわれが感じる「言いにくさ」「遠慮」にひそんでいる問題を率直に提出し、それを突きつめて考えようとしている本です。
われわれが「弱者」というレッテルを貼って「聖別」をおこなうことで、ひととひととのあいだに成り立つ自然な交流が疎外され、「こわばり」を生んでいることに対して、著者は批判の矢を放っています。「予想される不幸感や大変さを避けたいと願う気持ちは、現に障害児を持っている親が、この子の障害を今すぐ取り除いてやる方法があったら、何でも試してみたいと思う心情とも同じである」と著者はいいます。そして、逃れられない現実に向きあおうとする個別的な経験を飛び越えて、出生前診断に対する批判をおこなうのは不適切だと主張しています。
次に部落差別問題に対しては、部落出身者には居住地域以外の外的な指標が存在しない以上、「部落差別は、そういう指標で差別してはならないという近代社会の原理のよいところがほんとうにきちんと貫かれるなら、必ず解消されるはずの差別である」という原理が確認されます。そのうえで、部落のアイデンティティを強調する戦略がかえって差別を助長する危険性を孕んでいることへの懸念を表明しています。
「弱者」をめぐるさまざまな言説に対する批判をおこなったうえで、著者は「弱者」の聖別を乗り越える道筋を探ろうとしているといえるのではないかと思います。とはいえ、著者は差別を克服する新しい〈理念〉を掲げているのではありません。本書において提出されているのは、「自分がなぜそのことを気にするのか、自分がそのことを問題にしようとする必然性はどこにあるのかということを、自らの経験と感覚の中に問い尋ねてみる」という、聖別を克服するための具体的な〈手続き〉だと理解するべきでしょう。
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個性と平等、部落問題をしっかりと捉えるのに役に立つ書。大学教授にもなって、成績上位者の掲示に反対して、成績下位者の人権が保たれないという。成績が悪いことを明らかにするほうが、人権が確保されるとでも言うのだろうか?
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ずいぶん昔にこの著者のいじめについての本を読んでなるほどなあ!と思ってたところにたまたまこの本が目についたので。
そこまでおお!みたいなのはなかったけど、難しいテーマに斬り込んでいくのはさすが。(今ひとつ納得いかないのも多いけど)
世の中空気を読み過ぎて臭いものに蓋してばっかり、てのはほんとにそう思う〜