「さわやか」や「感動」を「消費」するのはやめましょう!
2000/12/23 00:49
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:安藤哲也 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「書店の棚は"管理"ではなく"編集"するもの」をモットーに、日々店頭で書物と格闘しているが、その流れをせきとめる商品がある。いわゆるミリオンセラー本だ。
かの『五体不満足』もそのひとつだが、ほとんど売る気がしなかったので、他店のように一等地に山積みせず、レジ横の目立たぬ場所で訊かれたらこっそり売っていた。
「ベストセラー? ケッ!」というへそ曲がりな性格もあるが、この本自体がひどい本だというわけではなく、あの異常な買われ方、つまり"ブレイクのプロセス"にイヤ〜な感じがつきまとっていたのだ。だから「早くマトモな批評本が出ないかなあ、隣に積むのに」と思っていたら、1年以上たってようやく登場した。
本書はいわゆる「弱者聖化のからくり」、つまり「障害者」を描いた物語はすべからく「感動」せねばならないというメディアの押しつけや、あるいは私たちが「弱者」や「マイノリティ」について語ろうとする際、常につきまとうあの「遠慮する空気」の本質を、構造問題として鮮やかに解きおこしてくれるのだ。
「世知辛い現代にあって、こんなさわやかな話題はない」と『五体不満足』を購入した多くの人に、根源的な「弱者」問題に対する意識があったかどうかは定かではないが、ぜひ本書もあわせて読んでもらうことによって「障害者はすべて乙武君のように前向きに生きなければならぬ」という、"新たな障害者差別"を生み出さんことを願うばかりだ。(bk1コーディネーター)
※このレビューは『ダ・ヴィンチ』(メディアファクトリー)の「絶対読んでトクする20冊」に掲載されたものです
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差別的表現について研究する際に出会った本。
「弱者」とは固定された人の性質ではなく、さまざまな観点から見ることによって、時には弱者、時には強者といったように、立場の違いは流動的なものである。
老人は常に弱者ではないし、サラリーマンが常に弱者でもない。子供もある面では強者となる場合がある。といった具合。
非常に読み易い。
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この本は、偶然本屋で見つけたものです。精神障害者と呼ばれている人たちと接することを通じて、私自身がそれまでに「勝手に相手を精神障害者として分類し、カテゴライズしていた」事実をこの本を読んで改めて考えます。バリアフリーを考えるときにも、物理的バリア、制度的バリアをなくすことは良く話題になります。しかし、建物も、道路も、制度もみんな人が作っています。人の中にある差別意識について考える必要があります。なぜ人は差別するのかということについて、考えるきっかけになります。
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取り扱ったテーマも良いし、著者の言いたいことはわかるが、どことなく説得力に欠けてしまうところがあった。また、言いたいことにちょっと熱が入りすぎてしまったかなと思います。
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当事者のことは、当事者にしか語りえないのか。普段、その問いに「イエス」と答える人は、ぜひこの本を読んでみると良いと思います。明解な答えが出るとは思いませんが、何らかの形で、考える一助になると思います。
本文では、結構過激めいた発言もしていますが、ある意味ここまで「弱者」という言葉とその真意に切り込む人は、貴重だと思います。特に部落問題をとりあげ、「弱者聖化のカラクリ」を説いています。確かに、「弱者」とは絶対的なものではなく、相対的なものとして考える必要があるのかもしれません(著者の発言に全面的に賛成することはとてもできませんが)。
小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』への批判は、ちょっと大人気ない批判の仕方だな、とも思います。部落解放フェスティバルの真意は、小浜氏が推察するよりも別のところにあると、僕は考えます。
文体が気に触る人もいるかもしれませんが、参考程度に読んでみてはいかがでしょうか。
「むしろ私たちは、障害者の人たちの共同性のなかにも、健常者の人間関係と同じ問題(人間性のマイナス面)があるということに気づくべきなのだ。皮肉な話だが、そのことは、ただ同情心、道徳心から「あの人たちだってみんな同じ人間なんだ」といった美化の感情や一般化の論理に支配されている限りは、かえって見えてこない。ある世界、ある関係が持つ個別的な複雑さへの認識を深めることを通して、ほんとうの意味での「人間的共通性」を感じ取るべきなのである。」(p162-163)
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「差別」というわかりにくい概念を、そのわかりにくい部分について感覚的な視点から解明している本です。
弱者とかそうゆう問題ではなく、「自分はほんまにかわいそうな人間やねん」と思ってる人が一番かわいそうです。
差別問題に違和感を感じている人なら、大方同調できるのではないかと思います。
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弱者というか、この社会の人間関係などを書かれている本。
主に「弱者」=「差別」だとも感じられる内容で
よんでいて、心が痛くなったりもしましたし、いらだちを
感じる部分んもいくつかありました。
また、共感できるところもありました。
このような本はなかなか読まないけれども、
今回読んでみて、よかったと思います。
今まで、小説や物語などしか読んでなかったので、これを機に
このような本も読んでみて、社会のことをもっと知りたいと思います。
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20100114
違う考え方を知る本。買った方がよい。買え。
鋭い指摘で「弱者」への「差別」を疑う本。
エリートの弱者切り捨てな話ではない。
在日・同和の「しるし」や、ハゲは性的問題だから差別じゃないとか。脳みそコネコネな論点提示が気持ちいい。
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弱者、この本が取り上げるのは例えば被差別部落出身者や障害者なんだけど、彼らについて語るときに感じる遠慮みたいな、それは何だろうから始まる。
三つ挙げていて、その一つがある時代で広く支配的な「正しさ」の共通観念に人々は支配される。言ってみればちょっと流行った「空気」ってヤツ。
二つ目が「言ってみても問題は解決しない」とゆうあきらめ、もう一つが切実さの欠如、メディア情報の氾濫。
現代社会のいたずらな弱者の記号化みたいな、例えば電車の優先席とか、そこを問題にして何が弱者かを問うことから始めるべしとする。
情緒のファシズム、ことさらな言挙げや賛美が「弱者」に聖痕を残し不必要な境界線を引く可能性を指摘。
出生前診断と中絶について、それは障害児を持つ親と同じ直線上にある考えで、ナチスの優生思想的な差別には直結しないとゆう議論。『五体不満足』のことさらな明るさに対しても。
それとアイデンティティの主張で差別が不可欠になってしまいつつある被差別部落の話。マルクスが指摘した下部構造が上部構造を形作るとゆうものについて。差別ー被差別のパラダイムで物事を考えているのは現在のおれたちでその考えを過去に戻ってあてはめることはできないこと。小林よしのりの部落フェスの主張が現在では意味を持たないこと。
個別性と普遍性、言葉狩り、生産年齢人口の見直し、ハゲ、デブなどのエロス的領域の弱者など幅広く扱っていてとてもおもしろかったし勉強になった。
たださーっと読んだので細かいところの論理の整合性とかはあまり見なかったですけど。例えばガラス張りになった駅とか。ありゃ誰かが落ちたら他の客や経済全体への悪影響があるからと思うんだけど。
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[ 内容 ]
「弱者に優しい政治を」「差別のない明るい社会を」といった、だれも異議を唱えることのできないスローガン。
しかし、現代社会における「弱者」とは、ほんとうはどういう存在なのだろうか?
本書では、障害者、部落差別、マスコミの表現規制など、日常生活で体験するマイノリティの問題について、私たちが感じる「言いにくさ」や「遠慮」の構造を率直に解きおこしていく。
だれもが担う固有の弱者性を自覚し、人と人との開かれた関係を築くための考え方を「実感から立ちのぼる言葉」で問う真摯な論考。
[ 目次 ]
第1章 「言いにくさ」の由来(「弱者」というカテゴリー個別性への鈍感さ ほか)
第2章 「弱者」聖化のからくり(建て前平等主義部落差別をめぐって)
第3章 「弱者」聖化を超克するには(共同性の相対化言葉狩りと自主規制問題)
第4章 ボクもワタシも「弱者」(既成概念の見直し新しい「弱者」問題)
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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事例によって共感できる箇所とできない箇所があった。
でも読んでるときに沢山考えた本だった。
結構昔に出された本だったのね~。読んでよかったとは思うけども。
「今の時代誰でも‘弱者’になりうる」かぁ…うーむ…
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(「BOOK」データベースより)
「弱者に優しい政治を」「差別のない明るい社会を」といった、だれも異議を唱えることのできないスローガン。しかし、現代社会における「弱者」とは、ほんとうはどういう存在なのだろうか?本書では、障害者、部落差別、マスコミの表現規制など、日常生活で体験するマイノリティの問題について、私たちが感じる「言いにくさ」や「遠慮」の構造を率直に解きおこしていく。だれもが担う固有の弱者性を自覚し、人と人との開かれた関係を築くための考え方を「実感から立ちのぼる言葉」で問う真摯な論考。
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著者は右翼よりなだけあっていうこともぐっときます。ぼかさずはっきり述べる点で〇 マイノリティーを受け入れる社会であること、マイノリティー自身が内部から自分で解決できないものを発していく勇気をもっていくことが 弱者をなくす近道。
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読みやすくて、興味深いことが書かれていました。
中でも興味深かったのは、マスコミの言語規制のこと。いきすぎた言語規制は、本来の意味を見失いつつあるように思います。「肉屋」では駄目で「精肉業者」にしろなんて、なんておかしな話だろう。表面だけを変えたところで意味はないし、そうすることで糾弾から逃れようとしているかのようにすら見えます。
あとは、逆差別の問題。被差別者に対して保護を、と優遇措置が行われている。しかし、これも言語規制と同じように目的を見失っているように思いました。弱者というのは、「社会で生活する上で何かしらの不利を生じるもの」という意味では、支援が必要な場合もあるでしょう。けれど、何が必要で何が不必要かをしっかり見極めるべきではないでしょうか。弱者を聖化するのは違うと思うんです。
「平等」が叫ばれる中、差別を許さない雰囲気が高まっています。それ自体はとても良いことだと思うけれど、差別対象を見つけ出して保護するよりも、共に歩んでいく道を探すべきではないでしょうか。異なる共同性同士であれ、長く一緒にいて "慣れる" ことがその一番の近道になるのかもしれないと思いました。
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すかした感じでクールな人というのが、著作のイメージです。
弱者問題はきれいごとばかり言ってられない。
一筋縄に明るいイメージを持たすことできない。
著作の主張には賛成です、冷笑家みたいで少しイラっともしましたが。