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敗戦後ソ連、次いで中共の支配下に入った大連で12歳の少女が経験した記録である。20年以上前に読んで現在手元にないので、印象に残ったことを書いてみる。
戦争につきものとはいえ、無法者ばかりのソ連兵のならず者が暴虐の限りを尽くしており、完全ではないとしても旧日本軍や戦後のアメリカ軍の規律に比べると、目を覆うばかりである。流石に書きにくいことも多いだろうから、全てがありのままに書かれているわけではない。
あれから80年も経とうと言うのに、未だにウクライナで同じことが行われるのは民族的な欠陥というほかない。今後中露に対し、日本が不戦で降伏しても国民の生命・財産は保証されないだろう。
本書に戻ると、敗戦直後には日本人と支那人ばかりが住んでいたわけではなく、欧米人も住んでいた。金髪の女の子が叫び声を上げながらソ連兵から逃げ惑うところを著者は家の窓から見ている。同じ窓からは、別の日に隊列を組んだコサック兵の見事な合唱も聞いている。音楽的なDNAは浪花節の世界とは全く違うようだ。
日本兵が民間人を置いて逃げていった後、自治会が組織されてそのリーダーがソ連軍と折衝している。何とか民間人の婦女子を暴行から守るために、慰安婦にお願いしてソ連兵の相手をしてもらったりしているが、プロの女性たちも相手の精力には音をあげている。
大連には大連神社があったが、その御神体の日本への還御を行う際、現地の司令官が御神体を見せろと凄んだ話もある。
ともかく、貴重な経験談だ。ぜひご一読を。