紙の本
風の人形
2006/02/03 10:47
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:つな - この投稿者のレビュー一覧を見る
ブレントは同級生のパーティーで、気になる女の子に肘鉄を食らわされ、赤っ恥を掻かされた。ハイスクールの二年生であり、転校生でもある彼にとって、これは死ぬほど恥ずかしいこと。今回の学校は、父親の仕事の都合で転校を繰り返した挙句の初めての私立校。今度は金持ちの仲間入りを果たしたと思ったのに! 結局彼ら金持ちは、ブレントのような平凡な人間を受け入れてはくれないのだ。ブレントはアルコールに酔ったまま、家へ向かうハイウェイをひた走る。そんな彼の心に、みじめな人生でいるよりも、この苦しみを終わらせてしまいたいという気持ちがよぎる。気付けば、彼は交通事故を起こしていた。
しかし彼は死なず、代わりに彼の事故の巻き添えを食った、後続の若い女性が亡くなっていた。自分が死ぬはずだったのに、若く優秀な彼女を死なせてしまったことに苦しむブレント。また、単なる飲酒運転による事故だと思い、様子がおかしいブレントを心配する両親や医者に、自殺するつもりだった、と打ち明けることも出来ない。
被害者リーの母親、サモーラ夫人は報復はまた新たな報復を生むだけと、彼に憎しみをぶつける事はしない。代わりに、償いとして、リーの顔をした風で動く人形を四つ作るように望む。それにリーの名前を書いて、アメリカの四隅、ワシントン州、カリフォルニア州、フロリダ州、メイン州にたててくれという。リーはもういないけれど、彼女がもし生きていたならば、大勢の人に微笑を贈ったはず。リーの代わりに、風で動く人形で、それをして欲しいのだ。サモーラ夫人にグレイハウンドのパスを渡されたブレントは、初めての一人旅、人形作りを経験する。
旅先で様々な人に出会い、その場所に風の人形を贈る事で、固く縮こまっていたブレントの心は再び呼吸が出来るようになる。ブレントは背負った重みを忘れることはないが、その心はようやく再生へと向かう。物語は一章ずつ、シーンが切り替わって進む。ブレントが語る部分に、風で動く人形が、見知らぬ誰かに何かを伝えた話が挿入される。風は誰かの思いをのせて吹き、人形はそれにあわせてくるくると回る。爽やかな鎮魂と再生のロードノベル。
紙の本
十八歳の少女の死に対する償いアメリカの四隅に風で動く人形をたてようとする少年の旅
2002/05/09 01:53
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:かけだし読書レビュアー - この投稿者のレビュー一覧を見る
転勤族の父親についてアトランタからシカゴに越してきた十六歳の男の子ブレンドが主人公。周囲になめられないようにと虚勢を張って生きていた彼だったが、あるパーティで失態を晒し、酔った勢いで自殺しようとするが、その行動の結果、彼は誤って見ず知らずの十八歳の女の子リーを死なせてしまう。罪悪感に苛まれるブレンド。そんな彼に対して少女の遺族が要求したことは、アメリカの四隅にリーの顔をした風で動く人形をたててほしいというものだった。こうしてブレンドの償いの旅がはじまるのだが。
ロードムービー調の淡々とした作品。物語の方はブレンドの旅と、彼以外の主人公が登場するパートが交互に語られる展開で、ゆったりとした雰囲気が心地良い一作。序盤は何処か自暴自棄だった主人公が、旅を通じて自分自身と向かい合い、変化する様子が細やかなタッチで描かれています。さほど派手さはありませんが、風に舞う少女の顔をした人形のイメージなど、叙情的な部分が美しいと思いました。読む人によっては心に残る物語になるのではないでしょうか。
投稿元:
レビューを見る
主人公のブレントは事故を機に、今までとはまるで違う方向に歩いていきます。ブレントが起こした行動もまた他の誰かを押して違う方向に歩ませていく。そのことを作中では風車のようだと描写しています。私は歯車がかみ合っている様子をイメージしました。
だれもがなにかをするたびだれかに、知らない間に影響を与えていること、とても不思議で素敵だなあと思います。
投稿元:
レビューを見る
ここにレビューを書きました。
http://blog.goo.ne.jp/luar_28/e/616a264fb2b9482a862c19a1e67dbd2d
投稿元:
レビューを見る
C.Wニコルの『風を見た少年』のイメージで読み始めたのでなんか違った。
(題名が似てるだけだから!!(笑)って、また違ったのか(^^;;)
飲酒運転で人を殺してしまった男の子が成長していく話。
しょっぱなの主人公のバカな行動に腹が立って本読むテンションじゃ無くなったので超流し読み。
とりあえずあそこの家の親は無責任だと思う。
児童書にケチつけても仕方ないか。
投稿元:
レビューを見る
7年の間に4度の転校という流動的な環境に生きる16歳の少年ブレントは、常に自らを周囲の環境に合わせることで保身を図ってきた。そんな彼は、しかしある日新しい転校先のクラスメイトのパーティで恥をかかされたことから逆上してしまい、よりにもよって主催者を殴るという失態を犯してしまう。「もう終わりだ、自分の居場所はなくなってしまった」、そんな風に悲観した彼は、酒を飲んだ身で会場から飛び出し、そのまま自棄になって車を走らせて――。
自暴自棄から何の罪もない見ず知らずの少女を死なせてしまった少年が、遺族の母親の依頼によりアメリカ4州に"Whirligig"(原題、回転するおもちゃ、あるいは回転運動のこと)を立てに行く、その償いと自己回復の旅を追った青春小説。
訳が非常に読みやすくて好感触。主人公ブレントと、彼の作った人形に力を貰った人々の、それぞれの視点が入れ替わるように語られる構成も面白い。少女リーを死なせるまでは、ある意味「自分」というものを持ち得なかった不安定なブレントが、サモーラ夫人の願いや、旅先での人々との交流、自然の発見によって徐々に自らの輪郭を取り戻していく様子が丁寧に描かれている。私はあまりアメリカの地理に詳しくないので、この作品が持つスケールの壮大さという点ではいまいち理解を深めきれなかったけれど、傍らに地図を広げてブレントの旅路を一緒に追いながら読めると、また違った感動があるのかもしれないと思う。
一方で、作品テーマが「ブレントの救済」に終始するあまり、もう一人の影の主人公とも言うべきリーの影が極端に薄くなってしまったいたことはとても残念だった。何と言うか、全編通して妙に爽やかというか、作品の内容を考えれば本来もっと重々しく取り扱われるべき要素が全て取り払われ、全体的にコンパクトにまとまりすぎているのである。よく言えば読みやすい。が、悪く言えば現実味がなく、とにかく軽すぎる。
そもそも、自暴自棄になったうえ衝動的に自殺を企図して、結果何の罪もない赤の他人の、それも18歳の未来ある少女を飲酒運転で死なせてしまうというのは大変なことだ。ろくでもない行為で、それを犯した人物には情状酌量の余地もない(厳しいことを言うようだが、遺族の身になってみればそう思われても仕方のないところはあると思う)。けれども、いざ判決となってもブレントに科せられたのは「保護観察」の縛りのみ、向こうが面会を望んでようやく対峙した被害者の母親も、取り乱してブレントを罵倒するどころか、「自分は仕返しを望まない」と言い、全くもって理不尽な償い行為を要求するにとどめただけ。もちろん、サモーラ夫人の中にも、とても口では言い表すことができないような悲哀や絶望があったであろうことは容易に想像できるし、また償いというものも、道理が通っている通っていない以前に、まずは被害者の心の慰めとなることが最優先事項なのだとすれば、彼女の要求に従うことには何の疑いもない。とはいえ、それら全てを考慮に入れたうえでも、彼女のこの依頼はあまりにもブレントにとって「都合が良すぎる」ものなのではないか。サモーラ夫人の謎の依頼により、ブレントは鬱陶しかった親元を離れ、よそよそしい世間から解き放たれ、それまで見ることもかなわなかった新しい出会いや景色の中に身を投じていくことができた。彼は自らが犯した罪に対し、面と向かって責めなじられることもなく(娘の死に激高したというサモーラ氏は終に現れずじまいだった)、途中スリの二人組に荷物を掏られかけるハプニングこそ生じたものの、実際に旅の中で他人のむきだしの悪意に晒されるような事態もなかった。みんな優しく、みんな適度によそよそしくて、みんなそれぞれに良心的だった。これでは、まるで彼女の依頼そのものが、最初からブレントを救うための舞台装置として意図されていたようではないか。
それだけに、リーの死は、この物語においてさほどの重みを持たない。彼女を思うブレントの言葉からも、期待したほどの公開や罪悪感は感じられなかった。ひょっとすると、このある種軽すぎるようにも感じられてしまう、淡々とした作風そのものがこの著者の持ち味なのかもしれない。そうだとすれば野暮な批判をしているという自覚はあるが、個人的にはどうしても上に書いたような奇妙な非現実感を拭い去ることができず、良い意味でも悪い意味でも元がとても「良い物語」であるだけに、そのことだけが気にかかる点として心に残った。
ただ、行為者自身の見えないところで、まるで風がプロペラを回すように物事は連鎖し連動していくというテーマは、「風で動く人形」という印象深いアイテムを通じてブレることなく一貫しており、その意味では非常に読み応えがある作品だったと思う。それだけに、なぜ邦題で『風をつむぐ少年』としてしまったのか若干腑に落ちない部分もあるが…。何となく、バタフライ効果で言われる「一羽の蝶が羽ばたく時、地球の裏側で竜巻が起こる」という言葉を思い出す。また終盤のシーンでは、ラトゥールのアクターネットワーク理論が頭をよぎった。人間も人間でないものも、あるいは生きたものも既に死んでしまったものたちも、見えない風のような力を通じて網の目のように結び合わされた世界。そうした生きた交わりの中に、ようやく自分もまた存在していることを、ブレントは一人の少女を死なせるという犠牲によって、またその犠牲を以てしか理解することができなかったのだろう。もしかしたら、このことこそがサモーラ夫人の言っていた「宇宙にとって必要なこと」だったのだろうか。だとすれば、しかしそれはあまりにも哀しすぎる。
投稿元:
レビューを見る
ずっと探していた作品。
◇あらすじらしきもの
死と再生のイニシエーションを通して少年の成長を描いた作品。
父親の転勤によって転校を重ねている少年ブレントは、カッコいい自分を造り上げることに神経をつかっていた。ある日、パーティーで赤っ恥をかいたブレントは、自暴自棄の末の飲酒運転で少女リーをひき殺してしまい、償いのためにアメリカ大陸の四隅に《風の人形》を立てに行く。
…………………………
最後まで読むと青空の下でクルクルと回る羽が見えるイメージがあったのですが。はじめて読んだ頃のように入り込むことはもうできません。
解決したものは何もなく、けれど何かが変わっていて毎日は続いていく。そんな物語。
でも、この人のようになりたいと思った瞬間のブレントとか、手引き書の書き込みとか、ホステルのフロント係の対応とか、トリシャの代わりにメッセージをくれた人の言葉とか、逆から挿入される《風の人形》から広がるエピソードとかが好きなのです。
風の人形を見たおばあさんが、作った人はいい人だという。そういう場面が好きです。
原書で読みたい本。
10年前、塾の本棚から見つけ出して読み。また読みたいなぁと思いつつ、あらすじ(固有名詞がない割に妙に詳細)しか覚えてなくて読めずにいたのですが。
市の図書館の司書さんに1年半前に尋ねたところ探し出して下さり、そして今日借りに行ったという…気の長い話があったり。しかもタイトルを微妙に間違って覚えていたにも関わらずあらすじでさっと見つけ出して下さった司書の皆さまはプロだと思うわけです。心の底から大感謝です。
投稿元:
レビューを見る
88点。「種をまく人」だと、小学校高学年からすすめられるが、こちらは中学生から。「種をまく人」をさらに進化させたような構成。
まさにロード・ムービーって感じ。
罪を犯した少年が、アメリカ大陸の四隅に木でできた「風の人形」を作り立てる話だが、地図などがついていないので、アメリカの地図がついていた方が親切だと思った。
子どもたちには読む時に、地図を見ることをすすめたい。
投稿元:
レビューを見る
罪と罰、贖罪というものに、昔からひどく関心があった。
この物語も、ある罪を犯した少年が、アメリカ中を贖罪の旅をする物語だと言える。
自分を赦すことが、一番難しい(人によるけれど)。
そのために何をするか。
「人間の行為はさまざまな結果をもたらします。そのすべてを知る力は人間にはありません。行為の結果は目に見えないところにまでおよびます。未来にまで、誰も行けない遠くにまで、それは旅をするのです」
良くも悪くも、人の行為は、誰かの何かに作用する。人も自然も、繋がっているから。
そう思うと、生きているのが楽しくなるか。辛くなるか。
投稿元:
レビューを見る
『種をまく人』がソロパートのあるオーケストラ曲だとすると、これは協奏曲のような作品。タイトルは「少年」となっているから何となく小中学生のように思っていたが、車の運転もするし、酒もマリファナもやる高校生で(アメリカでは普通だろうけど)、日本だったら大学生に設定するだろう。青年に近い。
『種をまく人』より、良かった。
未熟さゆえに罪を犯してしまった若者は、収容施設に入れるより、この主人公のように自力で旅をしながらいろんな人とふれあい、経験を積むことが更正につながるかもしれない。
また、広大なアメリカの四隅にwhirligigを作って設置してくるというミッションも象徴的で考えさせられる。
ただどうしても(故意ではなかったにしろ)「殺した」ということに対しての行為としては軽すぎる気がする。例えば、リーが一生車椅子の生活になった程度ではいけなかったのか。これくらいで許してくれるとは親としては寛大すぎないか。「殺した」にしては、主人公の悲しみ苦しみは浅すぎないか。最後にスッキリしすぎではないか。一生背負っていくには明るすぎないか。
それからwhirligigというものも、上手く作るのは難しそうなのに、一度も作ったことのない主人公が一回失敗したくらいでできるようになるのにも違和感があった。四つも違うデザインで、かなりもつものが作れるだろうか?
こういう細部に目を瞑れば、いい作品だと言える。ただ、個人的にはちょっと信用出来ない作家だなと思ってしまった。
子どもを殺された親の絶望の深さはウェストールなんかを読むとこんなものではないと思う。
投稿元:
レビューを見る
主人公は16歳。飲酒運転による過失致死により人を死なせてしまった少年が、被害者の死を悼み罪の重さを知るまでの家庭を描いた作品。
「読後の心地よさは、被害者からも加害者からも距離を置いているからだろうか。加害者への憎悪をリー(被害者)の母親はどう乗り越えたのか、もっとその葛藤を描いてもいいのではないかと思う。しかし、自分の娘を殺された時、リーの母親のようになれるかと問われたら、そうでありたいと答えたい。」
(『子どもの本から世界をみる』かもがわ社 の紹介文より)