投稿元:
レビューを見る
自分がやりたいことをうまく言語化できないほど、言葉や自分の能力の不完全な部分に気づく。
実践と理論という二項対立の違いでは言えないような部分に「気になっている」ということがあるということが漠然とわかった。客体へと向かうことによって主体を再び見出すこと、魔術へに隷属を揺さぶり、「理性による理解」をさらに先に進めること。
フランソワ・ダゴニェの表現では
精神に対して文字を、内包に対して外延を、期間に対して空間を、水底に対して水面を讃える
表面、インターフェイスにこだわり、深部へ向かうことを嫌悪する。見えるものをみる。
理性的理解の範囲を更新する
言葉で言えないことを言葉で言えるように、納得いくようにすること?
「気持ち」みたいなどろどろした部分をなるべくフラットな事実から外延的にマクロ的に説明したい。
古典的人間主義と最新未来主義の対立に第三の批評の道が想定される。つまりわれわれの持つ曖昧さと潜在性に注意をむける慎重な立場。
もっとも重要な問題は「人間とは何者か、その本質とは何か」から技術生成が突きつける「何が可能で将来の人間はどうなるか」にかわる
ただしhowに特化する上で本質追求は必要では?そこをおろそかにしてコミュニケーションが内部化/人間や本質の存在自体が魔術化している節がある-学際性の必要
イデオロギー的なものはイマイチ確定されないけど複合的でもいいのだろう。というか最後の付録の政治的分類はイマイチすぎる。