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紙の本
1999/12/20
2000/10/26 00:20
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投稿者:日経ビジネス - この投稿者のレビュー一覧を見る
後に松平定信が寛政の改革の手本にしたという藩政改革。それが、肥後熊本54万石の6代目藩主細川重賢による“宝暦の改革”である。赤字財政で崩壊寸前だった一国を再建した知恵とは何か。本書は「夕刊フジ」に連載された読み物に加筆・修正を加え、今日の大不況と酷似するという熊本藩の危機的状況と、その打開策を丹念に追ったもの。
江戸時代中期の熊本藩は、毎年10万石近い赤字に苦しみ、大坂の商家からの融資も限界に達していた。この状況下で重賢は、一見奇異な人材登用を行う。「非常事態にこそ力を発揮する“非常の才”」を抜擢したのだ。
改革の陣頭指揮者に、変わり者の中級藩士であった堀平太左衛門を据え周囲を驚かせた。裕福な上級藩士に比べ、藩の窮状を我が身のことと感じ取る人物だと判断したからだ。堀は、“人斬り”と呼ばれ領民に恐れられている郡頭を球磨川の改修工事責任者に抜擢。更には、“酔いどれ”と蔑まれる儒学者に人材育成を目的とする藩校を開かせるなど、“非常の才”を要所に据えて藩を再生に導いていく。
失策と紙一重の登用術だが、その独創性には学ぶべき点がありそうだ。
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