紙の本
美しい庭園が思い描ける
2020/04/19 23:40
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投稿者:つきたまご - この投稿者のレビュー一覧を見る
大人になって、初めて読みました。
本には小学5・6年からと書いてあり、確かに内容的に小学校高学年くらいから読めそうですが、子供のとき読むのと大人になって読むのとでは、印象がかなり違いそうな話だとも感じました。
物語の美しさももちろん感じたのですが、時の残酷さ、トムが大人になることなど、大人だったからこそ感じることもありました。ときどき、胸が締め付けられるような。。。
自分が子供の時に読んでいたら、どんな気持ちになったのか知りたいです。
紙の本
「じぶんの中の子ども」と出会う
2004/03/12 23:24
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投稿者:Leon - この投稿者のレビュー一覧を見る
弟のピーターのはしかが移らぬよう、親戚の家にしばらく預けられる事になったトム。
叔母さんも叔父さんもトムに気を使ってくれるのだが、本人は不満で仕方が無い。
古い大きな館を幾つかの小部屋に分けたアパートには、トムの遊び相手になるような年頃の子供もおらず、遊び場所になる庭すらないのだ。
元気を持て余し気味のトムが深夜になっても眠れずにいると、玄関ホールの大きな古時計が13回も鐘を鳴らすのが聞こえた。
「十三時だって?」
存在しないはずの時間の中で、トムが裏口へと通じるドアを開けると、そこには大きな裏庭が広がっていた。
夜にのみ現れる庭で、トムはハティという名の少女と出会うのだが…
1958年のカーネギー賞受賞作品。
ハティ以外にはトムの姿は見えなかったり、トムが1日しか経っていないと感じていても庭では何年もの時間が過ぎ去っていたりと不思議な要素が幾つもあって引き込まれる。
実際のところトムはタイム・トラベラーなのだが、自身にそのような自覚はなく、子どもらしく単純に「遊びたい」という欲求があるのみ。
巻末にピアス自身による解説があり、「私たちはみんな、じぶんの中に子どもをもっているのだ。」との言葉で結ばれているが、トムの自分に素直な態度を見ていると、確かに「じぶんの中の子ども」が感じられた。
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真夜中の庭で出会った少女の時間は、トムを置き去りにしてどんどん流れていく。せつなく、ほろ苦く、そして幸せな物語。
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これは多分私が生まれた頃から家にあった本で、小学生の頃に読んだ記憶があります。
てか、カバーの無い文庫って、、、相当古い?
挿絵がなんとも言えずコワイです。
時間の流れがもたらすものや、子供が大人へと成長するに連れて何処かに置き忘れてきてしまうもの。
当時の私は主人公のトムの視点で読んでいたけれど、最近読み返してみると
ハティの視点になっていた事に気付きました。
これは私が大人になってしまった、ということなのかな。
狂った時刻を告げる大時計や真夜中の大広間は怖いけど、
何よりその時存在する庭の描写が素晴らしいですね。
幼い私にも、月明かりの冴える夜の庭園がハッキリ見えていました。
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子どもはいつか大人にならねばならない。でも、大人はいつだって子ども時代にもどることができる。いつまでも子どものままでいようとするのはやめよう、いつだって子どもにもどれる、きちんとした大人になりたい、とそう思わされました。思い出は常に美しく、でも「今」だって本当は美しい。時は永遠。[2004.11.18]
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13時の鐘とともに出現する庭は子ども時代の表象。いつまでもそこにいることはできない。
流れ続ける時の中、現実にはありえない裏庭で交錯することになったハティという少女の“すでに尽きた子ども時代”とトムの“これから尽きようとする子ども時代”が人生とは何かというテーマに迫る。
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ひと夏を親戚の家に預けられてしまう トムのいらだち、真夜中にこっそりと抜け出すドキドキ、夜の庭園の風のにおい、置いてきぼりにされてしまう 焦燥感、大きな古時計の重たい音…。もどかしさや甘酸っぱさや、もやもやした気持ちでいっぱいになる本です。最後は嬉しくて哀しくて、複雑な涙だな…。小学生の頃に読んで以来、未だに読み返す本です。
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児童文学の名著です。タイムトラベルものとして、SFファンが読むのもOK。「大人の中の子供」と「子供の中の大人」。遠いようで近い存在を、鮮やかに繋いで見せてくれます。互いが引き合うのは、同じような孤独を抱えているからでしょうか。めぐり逢うことで、欠けた歯車が噛み合うように、人は互いの孤独を癒すものなのかもしれません。
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知り合いの家に預けられたトムが、13時の鐘を聞いたとき、不思議な庭を発見する。読後感がたまらなくせつなく、それは少年から青年に変わって行く時代に必ず誰もが通る道の痛みかもしれない。
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「裏庭」同様、心の中の「庭」を描いた作品だと思います。
一人の女の子が女性に成長していき、そして現在の老女になるまでの人生に子供のトムが立ち会うことで、お互いに不思議な結びつきと成長をしていくお話。変わっていくことの悲しさと喜びを感じる本です。
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何度も読み返したくなる本のひとつ。
真夜中に古時計が十三の鐘を打つ時にだけ現れる庭園。幻想的な物語はやがて意外な結末へとたどり着きます。まるで庭園が目の前に広がっているかのような錯覚に陥いる見事な描写に、ついつい引き込まれてしまいます。
カテゴリで分けるなら児童文学になりますが、大人が読んでも十分読み応えアリ。
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昔の家が見たくなった。昔自分が借りて住んでいた家が今まだあるものなら一目見てみたいものだと思った。特別なノスタルジィというわけではなかった。不図午後の時間が出来てなぜか急にそうしたくなった。そう思えてしまったのだ。『トムは真夜中の庭で』という喩えようもない傑作に出会えた余波なのかも知れなかった。ともかく私は漠然と今にも小雨のぱらつきそうな小さな駅に降り立っていた。そして曲想を練るベートーヴェンのように独り黙々と気難しい後手で歩いた。《どんな方法でそうなったかは知らないが、ここで両方の時間を数えている大時計のこと》を思い出していた。庭の向こうにそういう別の時間があるということ。思うこともしなかったその時間を。自分の知っている人がもうみんな死んでしまって自分だけがぽつんといる世界とか。そうなってはじめてああそうかそういうこともあるのかと解るようなことをあらかじめ解ってしまった時間とかを。なぜなのだろう。本当に昔の家が見たくなった。昔は毎日帰っていた場所に。でも本当にそこに行くには川を渡らなくてはならなかった。楽聖はなぜもう一度ハイリゲンシュタットに行く気になったのだろうか。…《「またあしたね」「あんたはいつもそう言うけど。何か月も何か月もたたなきゃ姿を見せないじゃないの」ハティは笑った。》ハティ捜し?…自分で驚いた…気取りたいわけじゃない。気取れるわけじゃない。しかしがむしゃらに涙を泥に汚してみたって誰が受け止めてくれる。
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最初読みにくいし、名作と言われるものはあんまり面白くないという偏見のため期待してなかった。けど、途中からは凄く夢中になれたたし、最後まで読んで、読んでよかったと思いました。中学生くらいに読んで欲しいです。
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中3のとき、図書室の先生に「あなたの好みじゃないかしら」と薦められて読んだ本。本当にその通りでした!とても素敵なお話です。
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知り合いに紹介されたが翻訳物はね〜〜っとしばらくこまねいていたが、意をを決して
ネットで中古本を買い、詠み始めると、
吸い込まれるように一気に読んでしまった。
トムと老婆のいきさつもおもしろい
内容はあえて言わないほうが読む人の興味をそそるだろう。
何しろ面白かった。
老若男女問わず楽しめます。