あなたが想う本 みんなのレビュー

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投稿者：井上真希　-　この投稿者のレビュー一覧を見る

　相対する人間に見つめられた時、ひとは何を想うものだろうか。しかも、その眼差しが、この本のカバーにあしらわれている帽子の男のように、どこまでも透明で、深い静寂につつまれた水をたたえていたら。
　男のまっすぐな視線は、言葉を紡ぎだしている。決して饒舌ではないが、静謐な黒い森の奥からこだまするように、魂を揺さぶる声が聞こえてくる。それがどんな言葉であるかは、ひとそれぞれに、また、その時々で、違うはずだ。
　私には作者である舟越桂氏自身とだぶって見えてしかたがない、この作品のタイトルは、『言葉の帽子』（1998年の作品。技法はエッチング、ドライポイント、スピットバイト、ソフトグランド、アクアチント）。本当は人物の周囲にもっとたくさん薔薇色の空間が広がっていて、こちらにも考える余地を十分与えてくれる、やさしい印象のある作品なのだが、このカバーのように顔の表情を中心にしてトリミングされると、本来この瞳が秘めている力が際立つ。

　本書には、1990年から1998年までに制作された舟越桂氏の、リトグラフ、エッチング、木版、ソープグランドなどの技法による47点の版画が収められている。モチーフはすべて人物だ。
　その版画を見つめたなかから生まれた７つの物語を、天童荒太氏は添えた。だが、どの物語にも結末は示されていない。どこまで、どんな形に行き着くのかは、完全に読む側の想像力に委ねられている。実際、天童氏は、物語を幾度も濾過したのだ。その結果、エッセンスとして残ったものが活字となった。「言葉を手がかりにして、読者がさらに想いを深め、版画に込められている豊かな力や祈りを感じ取ってもらえれば」（天童氏の謝辞より）とあるように、ほんの糸口だけが示されている。
　まさに本書は「あなた自身が想うことによって形作られる本」なのだ。天童氏のプロットに肉付けするもよし、新たなストーリーを組み立てるもよし。作品に描かれた人物たちと対話する「あなたを想う本」であってもいい。

　本来、美術作品を前にして、「これは何を描いたものか」「何を意味しているのか」について、他人にガイダンスを求めることに、あまり意味はない。正しい鑑賞の仕方というものは存在しないのだ。その意味において、本書は、天童氏の想いを横目で見ながらも、舟越氏の作品を自由に堪能させてくれる。
　超然とした男、目を伏せる男、遠い目をした女、うつろな男、憂いのある女、埋もれた男、くずれゆく人間……。舟越桂氏の版画は、クスの木の人物彫刻と同じく、沈黙のなかに絶えず湧きあがる無数の言葉を含んでいると同時に、見る側の心を映す鏡だと私は想う。

　なお、2000年9月29日〜10月11日まで東京・渋谷Bunkamuraギャラリーにて、本書の出版を記念して「舟越桂版画展」も開催される。　（bk1ブックナビゲーター：井上真希／翻訳・評論　2000.07.17）