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手塚治虫作「火の鳥」の文庫版。オークションで購入した「ブラック・ジャック」におまけでついてきたので、3,5,6,9,10,11,12と中途半端な巻しか持っていません。
BSでアニメをやっていたのはチラッと見た事はあるけどあまり興味なかったんですが、読んでみると面白い!魅力的なキャラクターがたくさん登場します。左近乃介やクチイヌやカジカが特に好きv6巻「望郷編」の"エスケーピング"にブラック・ジャックが出てきて嬉しかったです。髭がステキv(笑)
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僕が初めて読んだ手塚治虫作品は、『火の鳥 異形編』でした。当時小学校低学年だった僕にとっては、『火の鳥』は怖い作品、そして大人の漫画として印象づけられ、その後、そのスケールの大きさに圧倒されながらも読み漁ったものです。
日本人はなぜこんなに漫画が好きなのか、外国人の目には異様にうつるらしい。なぜ外国の人はこれまで漫画を読まずにいたのだろうか。答えの一つは、彼らの国に手塚治虫がいなかったからだ。
1989年2月10日、手塚治虫が亡くなった翌日の朝日新聞・天声人語のこの一節を、彼のライフワークであった『火の鳥』を読み返すたびに思い出します。
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1巻と2巻を読んだときほどの衝撃はなかったが
それでもやっぱり面白い
2作入ってたが特にヤマト編のラストは
やるせない思いになった
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もしかして、いたら?
と思うと色んな選択肢が出てくるのかもしれません。
ただ、ないから精一杯自分の力を出し切ろうともするような気もします。
何事も長所の裏には短所があるものですよね!???
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火の鳥3巻に突入。
とにかく奥が深くて文字数が多い。^^;;
八百比丘尼を殺す左近介の話は、因果応報についてとても考えさせられました。
自分が犯した罪は、そのまま自分に巡ってくる。
犯した罪が、全て自分に巡ってくるのだとしたら恐ろしくなります。
罪を犯すことが悪いことだと分かっていても、罪を犯してしまうのが人の業なんでしょうね。
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異形編の無限ループはいまいち理解できません、が面白いです。勝ち気な女の子が好きなんでヤマト編好き(^∇^)
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ヤマト・異形編
どちらもインパクトがあったけれど、特にヤマト編が好き。
「おれの生きがいとはいったいなんなのだ!」と悩むオグナが印象的。
ヤマトとクマソの間で葛藤する姿に引き込まれる。
ラストの終わり方がせつなくて、ついついカジカに感情移入してしまう。
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ヤマト編
黎明編の続きの話。クマソとヤマトの話。
人間の葛藤と命がテーマと思う。
異形編
終わることのない無限ループ。
人は罪を犯すとここまで過酷な償いをしなければならないのか?
と思った。
罪と罰がテーマと思う。
左近介はカワイイ。
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巻末にある竹宮恵子の「DNA手塚治」と銘打たれた解説に納得した。「手塚治って、もう私たちのDNAに刷り込まれてるよね」と解説が始まる。そうなんだなぁ。特に火の鳥が残したものは、哲学的命題、つまり人の生死と宇宙の生命にかかわるストーリーなんだと思う。竹宮恵子は、それを「彼が全てのカードを開き、私たちは開かれたカードの意味を読んで歩いてきた」という。それぞれが、それぞれの意味を考える点に、ばら撒かれたカードの偉業が隠されていると思う。
いまになって読み直し、ようやく『火の鳥』の面白さ、問題提起を考えた。
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「とんど見崎の蓬莱寺に
住いさっしゃる 尼御前さまは 尼御前さまは
いくさ嫌うて 衆生をご加護
やけど斬りきず 万病平癒
験みたけりゃ 男もござれ 女もござれ」
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今回スポットを当てられたテーマは「生きる意味」について。
ヤマトの国の王は自らの権威を示すため大きな墓を建設し、多くの人間を人柱にしようと計画します。その子供で第5王子のオグナは、葛藤の末「父を欺くための偽の墓造り」を自らの生きる意味としました。折角作った物も偽物だとバレたら壊されるだろうし、自分も殺されるだろう。しかし父が死ぬまでの時間稼ぎができれば、人柱に捧げられるはずだった人達を救える。結局父の死後オグナは人柱として生き埋めにされてしまうのですが、愛する女性カジカと土の中で満足して死んでいきます。
「こわくないよ ぼくは満足してる ぼくの一生はちからいっぱい生きてきたんだ
悔いは無いよ それに…きみがここにいっしょだから」
オグナの願いが聞き届けられ、その後は墓には人柱では無く土偶を代用することになりました。
また、ヤマト王は死ぬ時になって初めて、これまでの自分の人生を「墓を作るためだけの人生だったのか。なんてくだらない人生だ」と後悔します。
私自身、もし今死んだら何のために生きていたと言えるんだろうと考え恐ろしくなりました…。
黎明編のラストで1人穴の外へ出た子供が、クマソの国の最長老として出てきます。
「お若いの 人間はな 死なないことがしあわせではないぞ
生きているあいだに…自分の生きがいを見つけることが大事なんじゃ」
異形編は因果応報のお話。これまでのシリーズとは少し毛色が違う印象を受けました。火の鳥は罰を与えるために現れる。
病気の父に死んでほしいと願った左近介(女)は、父の病を治す力を持つ尼御前を殺そうと決意する。左近介が尼御前を殺すと、その罰として時間が戻り、左近介自身が尼御前として生きることとなる。彼女は火の鳥の羽根を使い、長い年月人々の病を治すことに従事する。そして最期、左近介は過去の自分の手で切られ死んでいく。途中で逃げようと思えば逃げられたのに、あえて罰を受けることを選んだ彼女。これもある種永遠に生きるということなんでしょうか。逆行する時間の中で、一人の人間が生まれて死んでを繰り返すというのは数奇で新しいパターンです。
「あなたは人殺しの父を憎んだ
それなのにあなた自身人を殺したではないか?」
「…でも父が助かれば もっともっと大勢の人間が殺されたわ」
「だからしかたがなかったというのですか?罪は同じです!
だから裁きを受けるのです」
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「ヤマト編」
ヤマト VS クマソ
王子オグナ → 兄タケル・妹カジカ
「正史」古事記 VS 残されなかった歴史
「異形編」
時代は応仁の乱あたり、八百比丘尼を殺した女の話。
時が逆行し繰り返す。
罪の命題。
「未来編」よりも身に迫る恐ろしさ。
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ヤマト編
クマソとヤマト、それらにまつわる人々を描くことで、伝えられている「歴史」に作為があることの示唆、生きがい、何のために生きるのか、ということを問うている。
殉葬のシーンは、子どもの頃に観てすごく怖かった記憶がある。
勧善懲悪だけでない、残酷なこの世界を、よく描いていると思う。
異形編
因果応報を、わかりやすい形で描いている。ずっとこの時間の中に閉じ込められて何度も繰り返すのかと思うと、ぞっとする。
これも、読後に考えさせられる作品だ。
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ヤマト編も異形編もどちらも深い話で、ラストシーンがとてもせつなかった…
【ヤマト編】
ヤマト編の生きがいや生きる意味に悩む少年オグナの葛藤。
オグナに恋をしたカジカの兄をオグナが殺し、とてつもなく憎いけどオグナを愛してるから復讐できない葛藤。
同じ葛藤でもそれぞれのもがき苦しむ姿が丁寧に描写されていて、漫画なんだけど漫画を越えてる手塚さんの偉大さをこの3巻でも体感しました。
殉葬のシーン…
この時代の現実、痛々しかったです。
【異形編】
因果応報をリアルに分かりやすく表現されてる異形編に登場した火の鳥は、1巻や2巻や3巻のヤマト編とは違う。
火の鳥は救世主としてではなくて、
異形編の主人公である左近介に重い罰を与える。
やはり、火の鳥は神さま??
左近介の生涯も、せつなかった…
時間の世界に束縛され、輪廻転生を受けるという重い罰…私だったら恐ろしい。。。
もがき苦しむ我を忘れるかのように、左近介が尼になり切って、火の鳥の指示を受け入れて尼の業を必死に全うし、やがて輪廻転生の現実を真摯に受け入れて前を向いて日々を生きる心の変化。
左近介の心の強さみたいなものを感じました。
まだ3巻目ですけど、
火の鳥って本当に奥が深いですね〜
あまりに深すぎて、恐れおおくて完全に理解できてないかもしれませんが^_^;
人生観を日々くすぐられ、感化されています。
もっと早くこの火の鳥を読んでいたら、私の人生も今とは別の生き方をしていたんだろうか?
なんて…ふと、感じる今日この頃です。
でも今からでも遅くはないのかな?と、悔いのない生き方を自分も起動修正して模索して見つけたいなと感じるようにもなりました。
次の4巻はどんな舞台でどんなストーリーなのか、楽しみです。
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なんとなく手塚さんの作品が読みたくなって、人は何のために生きるのかをテーマにした火の鳥を読みました。
ヤマト編は飛鳥に残る石舞台が、異形編は八百比丘尼さんがモチーフになっています。
手塚さんの作品は歴史的には?って部分もあるけれど、輪廻転生とか解脱とか、いろいろ深いところを考えさせてくれるよ。
火の鳥では異形編がかなり好きなので、また読みたいです。