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第4章「仏教」は近代科学の先駆けだった が興味深かった。
仏教の目的は、悟り、すなわち諸々の煩悩をなくして、
解脱して涅槃に入ること。
その煩悩が生じるというのも、「われが存す」という迷妄が
根底に存するから。
ゆえに、「われが存す」という迷妄を断ずれば、涅槃に直行
できる。
空(くう)とは有無を超越し、相互依存と同義。
同時因果関係
経済学の例でいえば、ケインズモデルがこれに当たる。
消費関数
Y(国民生産)→C(消費)
←
有効需要の原理
縁起
因縁 因=主原因、縁=補助原因
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個人的に覚えておきたいことを雑多に。
<全体>
・宗教=行動様式(ヴェーバー)。神や仏の有無は関係ない
<キリスト教>
・「イエスは主であると口で言い表し、神はイエスを死から甦らせたもうたと心で信ずる」(117)だけでよい。行動規範はない
・パウロによって信仰(内面)と行動(外面)が切り離される
→予定説によって神に選ばれたと信ずる人々が新法を設立していく
→資本主義の精神が醸成されていく
・隣人愛を説くが異教徒に対してはこの限りではない
・ファンダメンタリストはキリスト教にのみ存在する
∵聖典を徹底的に信じ、かつその信仰のみを問うこと、だから
∴「イスラム原理主義」は存在しない
<イスラム教>
・コーランを全面的に信じイスラム法を遵守して初めて教徒に
・イスラム教国ではコーランと法律が一致する
・ジハードによる戦死は自動的に天国行き
<仏教>
・仏は存在しない。絶対的なものは法(ダルマ)のみ
・煩悩をなくし解脱して涅槃に入ることが目的
日本は本当にアノミーに陥っているのだろうか。学校や就職活動など、「連帯」を常に求められる場でこれまでの人生の多くの時間を費やしてきたおかげで、その「外側」が見えていないのかもしれない。
その疑問について考える例として、先日の震災が挙げられると思う。「がんばろう日本」「自粛ムード」「節電」などといった言葉が、日本人全体の連帯感を引き出しつつあるように見える。しかしこの連帯感はどこか表層的ではないだろうか。アノミーを解消するほどの「宗教」たりうるのか。不祥事を起こした者に対する、即座に辞任せよ、との大合唱からは、日本の将来に対する思考停止が透けて見え、結局はその場しのぎの群れ合いという感がある。このことはアノミーの証拠と言い得るのではないか。
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小室直樹さんの本は何冊か読んでいるが、どれもすごい。ここまで断言していいのかというほど、明快な切り口と論理。
本書は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、儒教の成り立ちの歴史、論理構造、そしてそれから影響を受ける人間の文化、思想の特色について鮮やかに解き明かしてくれる。
特に他の著作でも解説されていた、キリスト教の思想がいかにして資本主義を生み出したかという点については、今回、他の宗教との比較において、いっそう納得感を感じた。
さらには、日本独自の宗教観についても一刀両断。神道をベースに仏教などの宗教をロジックを分解して吸収したその柔軟性。明治以降ではそこに天皇を現人神として祭り上げて作り出した天皇教。戦後、天皇制が崩壊したことによるアノミーの発生。それが現代日本の精神的混乱の原因のひとつであるという指摘は私には新しく、思わず唸ってしまった。
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信仰によってだけで宗教が成立する。これがキリスト教の根本である。(…)ルターがローマ法王を非難する最大の理由もそこにあった。ローマ・カトリックには秘蹟(サクラメント)という儀礼がある。簡単にいうと、洗礼や聖餐などの、神の恩恵を信徒に与える儀式のことを指すが、信仰だけで救済されるというのがキリスト教であり、秘蹟で救済されるなどとはとんでもないことであると主張した。58
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キリスト教の場合には、「神」とは何か、細目の規定は何もない。天地を創造した全知全能偏在の人格的唯一絶対の人格神、それだけである。イスラム教の神とは違って、神がどんな人格を持つ能力を持つか詳しくは述べられていない。(…)ヤハウェは、絶対的唯一神で人格神である。人格神であるから心理を持つ。ねたみもするし、熱心にもなる。ヤハウェは煩悩をはっきり持つ生きている神なのである。117
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神の恵みを受けて救われるためには修行したり善行を積んだりする必要は少しもない。(…)初め修道院はキリスト教としては異端的であったが、神に身を捧げた人間が極度に禁欲的な生活をする場所として修道院が制度化されるとエリートの養成機関になった。初代法王といわれるグレゴリウス一世(五四〇頃~六〇四)はじめ修道院出身の法王も多く現れた。修道院は、善行の積み上げと厳格な修行を重んずる所である。キリスト教では、本来必要でなかった外面的行動重視の傾向がここに侵入してくることとなった。121
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キリスト教が本当に西欧社会のすみずみにまで行き渡りはじめたのは、宗教改革のエネルギーが動き出した時代であった。「宗教改革」とは、実は、本格的キリスト教の創造であった。本格的キリスト教の布教開始であった。(…)ヴェーバーは、宗教改革によって世の中が世俗化して宗教の影が薄れたという説を否定し、逆に宗教改革によって、世の中は徹底的にキリスト教的になったことに注目して、読者の注意を喚起している。キリスト教の徹底化こそが資本主義の精神を準備した。164
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ペラギウス論争でわかるように、ただ神の意思のみを認め、人間には意志の自由はないとしたキリスト教に対し、イスラム教では人間の意志の自由というのを認めている。(…)イスラム教の予定説は、現世限りの予定説である。現世で幸福になるか不幸になるかは、神がすでに決めてしまっている、ということだ。しかし、来世で天国(緑園)へ行くか地獄へ行くかは、現世でよいことをするか悪いことをするかによって決まる。つまり因果律であり、この点は仏教と同じである。 ― 284
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イスラム教の信仰とは、信心という内面的行動(六信)と、勤行という外面的行動(五行)の両方が揃ってはじめて信仰たりうるのである。(���)キリスト教徒は信仰を内に秘め、外面はとぼけていれば教徒だとは露見しないが、イスラム教徒は隠しおおせない。信仰告白は声に出さなければならない、礼拝はしなければならない。しかも、信仰と行動をはっきりさせなければ信仰したことにならない。289
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イスラム教には決定的な弱点があった。それは、マホメットが最後の預言者であったことである。したがって、新しい預言者が出てきて、マホメットが決めたことを改訂するわけにはいかない。つまり、神との契約の更改・新約はありえない。(…)イスラムにおいては、法は発見すべきものとなり、新しい立法という考えは出にくくなった。必然的に中世の特徴である伝統主義社会が形成され、そこを脱却できる論拠を持ちえなかった。これが、イスラムが近代を作れなかった最大の理由である。324
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パウロはキリスト教において最重要人物の一人であるが、最大の功績は、人間の内面と外面は全く違うということ、すなわち、内面と外面の二分法を明らかにしたことである。(…)原始キリスト教は、ローマの法律に反するとの理由で大弾圧を被った。(…)キリスト教では、この二分法によって、信仰と人間の行動を全く別個にしているため、信仰を変えることなく、外面的行動を変えることができた。資本主義を成立させるための、法律、規範、人々の行動様式は、すべてこの外面的行動だけを規制している。326
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仏は人間の主、君主ではない。人間は仏の臣下、下僕ではない。その範疇は、全く違うのである。教団(サンガ)のなかでさえも、釈迦が主人、弟子が僕であるというわけではない。釈迦は仏教の戒律を制定し、悟りへと弟子たちを導く。けれども決して主君として命令を下していたわけではない。あくまで対等な導師として弟子を導くのである。(…)仏教では仏罰はありえない。なぜなら、仏は神(主)とは違って意思決定して罰を下すことはしないからである。128
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仏教は釈迦の教えではなく、絶対的なものは法(ダルマdharma)、すなわち道徳法則のようなものだけであり、これを悟った者が仏になる。故に、仏が出現してもしなくても、法そのものは厳然としてあると考える。法がなにより第一で、仏はその次にくる、いわば「法前仏後」の構造をとっており、まず神が優先する「神前法後」の構造である啓典宗教とは根本的に違う。だから「神は存在しない」といえばキリスト教にならないが、仏教では、「仏は存在しない」といったところで何も困らない。199
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社会科学系学者の小室直樹氏による宗教原論。キリスト教、仏教、儒教、イスラム教の違いを解説している。日本人は日常生活の中で宗教を意識することは少ないかもしれないが、現代においても大きな影響を与えていることを指摘。
上記の4宗教の中で日本人に一番なじみのないイスラム教が宗教としては最も分かりやすい教義をもっていることに驚き。他宗教の国家がイスラム教に改宗した事例は多いが、その逆は少ないという。小室氏はイスラム教が日本に入ってこなかったことを驚くべき事と指摘しているが、もし日本にイスラム教が入ってきていたら今頃どうなっていらだろうか?
また、キリスト教の予定説が近代資本主義の原型となったというマックス・ウェーバーの説についても分かりやすく解説。米国のキリスト教保守派と市場原理主義者が重なるのも、キリスト教が資本主義の母体になったことを裏付けなのだろう。もし、カソリック教会が堕落しなかったら、宗教改革が起きなかったら、一体世の中はどうなっていただろう?宗教の影響は計り知れない。
宗教が世界に大きな影響を与えている一方で、日本では様々な宗教や時の為政者の意図が入り混じり、自分達自身のアイデンティティが揺らいでいる。小室氏は理由なき凶悪犯罪の増加やカルト宗教の登場もアノミー(無規範)の蔓延が原因と指摘。最近、日本で起きている様々なデモはきっかけは様々だが、ある種の連帯を取り戻そうとする反作用なのかもしれない。
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小室は社会科学的アプローチで五大宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教、儒教)を読み解く。その合理性が曖昧さを退ける。「日本人のための宗教原論」というタイトルに偽りはない。
http://sessendo.blogspot.jp/2012/04/blog-post_05.html
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小室直樹は物事の本質をスパっと言ってのける。この本はキリスト教、仏教、イスラム教、儒教を取り上げているが、内容はあくまで宗教の本質を描いている。宗教は恐ろしい、これが宗教の本質だ。
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かなり厚い本だが、読みやすいし面白い。
哲学や宗教の本はやたら難しく書かれていて
読むとすぐ眠くなってしまうものだが、この本は違う。
しかも内容が深くポイントがはっきりしてくる。
キリスト教って、イスラム教って、仏教も
「へぇ~そうだったのか」と目からウロコ。
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私達日本人にと宗教との結びつきは他民族に比べて極めて薄い。
そんな私達でも「そもそも宗教とは何か」、各宗教について、「日本人と宗教」など多角的に学べる一冊だ。
ちなみにほとんどの漢字にルビがふってあるので中学生くらいでも読めるはずだ。
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分かっているようで分からない宗教。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、儒教、それに山本七平氏の名づけた「日本教」。
世界の主要な宗教と、日本独自の宗教観を噛み砕いて解説してまります。
全体的に興味深く面白かったのですが、最後の日本人の宗教観が特に面白く感じました。
なにはともあれ、宗教とは恐ろしいものです。
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タイトルからして難しそうで、これ最後まで読めるんだろか?と不安だったんですが、読み出すとメッチャ面白い一冊!
『キリスト教』『仏教』『イスラム教』をメインにユダヤ教、儒教などにも触れており、新興宗教やカルト教団の矛盾みたいなものも書かれています。
一つ一つの宗教のことが一冊の中に書かれているので、様々な点を読み比べることが出来るのがすごくイイですね☆
ボク個人としてはやっぱりテレビなどの影響なのか『イスラム教』=『怖い』と思っていましたが、読み終えた後は『イスラム教』=『すごい』と思いました!
宗教のことを知りたいけど、知らない人には必見です(^-^)/
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『アノミーとは何ぞや?これはフランスの社会学者エミール・デュルケムの用語であり、普通「無規範」「無秩序」などと訳されるが、それはむしろアノミーが引き起こす結果である。そこでこの言葉を一言で定義すれば、「無連帯」というのがその本質である。人と人とを結びつける連帯が失われ、人々は糸の切れた凧のようになり社会をさまよう。孤独、不安、狂気、凶暴。気弱な人は死にたくなる。いや、死んでしまう。アノミーはどんな病気よりも恐ろしい。』
宗教原論の各論は非常に面白かったが、日本人の無宗教性の原論が論拠として弱い気がする。そこから全共闘、家庭内暴力、校内暴力、カルト教団の話への繋がりが飛躍しているように思える。
世界的宗教を換骨奪胎してしまい、もはや宗教でなくしてしまう日本人の無宗教性の本質は何なのか?そこをもっと深掘りしないと、ぼんやりとした類似性しか見出せない。そういう意味で不完全な論考だと思われ。
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とまれ、面白かった。
日本人に馴染みのあるキリスト教、仏教、儒教、そして宗教のかたちとして避けては通れないイスラム教についての、よどみない解説。この「よどみない」というのが我々おつむの弱い読者には大事で、なるほどそうかそうかと理解った気になるところに面白さを感じるのです。
で、次はこの本に関するそれぞれの(経験な信者の方とか、専門職の宗教学者の方とか)意見やレビューを見て、ああでもないこうでもないとするのがたぶん面白いのであろう。
と、そういう本です。文字通り宗教原論。たたき台として讀むのもいいかも。
基礎教養としておすすめしておこう。
ここから各宗派の詳細に向かうもよし。「ほほう」で済ませるもよし。
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アノミーという単語が一番心に残った。
あー沢山の本を読むたびにどんどん自分の知識のなさに気がつく。
この本はまさに盲目だった自分の目を開かせてくれた。
これからもいろんなことを知っていきたい。
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書店で、宗教入門書と宗教文化解説書の間隔を空けてほしいと思った今日この頃。
日本という国が、世界的に見ても明らかに異質な国の体系を持っている理由として、宗教の本質を理解していないことが挙げられる。
オウム真理教に代表される(インチキ)新興宗教が引き起こした事件は記憶に新しいが、こうした団体の発生原因もまた、日本人の宗教に対する理解のなさにある。
キリスト教、イスラム教そして仏教といった、世界的に広い範囲で信仰される宗教の特徴や台頭の背景を追いつつ、日本人の宗教理解を深めようとする書籍。
キリスト教の「予定説」、イスラム教の「アッラーの慈悲」がそれぞれ非常に論理的な構成になっていることが興味深かったです。
儀礼による救済を否定するキリスト教が、教会の都合で原則ごと歪められた反動のために厳格な「予定説」を再構築された因果な歴史。
他宗教ではあくまで人間の欲を否定したり重視しない中で、来世で娯楽を約束し現世の禁欲を戒律として義務付ける、人情を逆手にとったイスラム教のしたたかさ。
確かに日本人には理解しがたい考え方も多いですが、体系的に解説を加えるとともに宗教同士の比較をふんだんに使っているため、ただ特徴を箇条書きにされるよりも分かりやすく感じます。
日本が宗教に傾倒していないことを一概によろしくないとは言えませんが、自身の文化になじまないから、よくわからないからといって倦厭・抑圧してしまうのは余計に危険ですね。