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小室直樹による宗教解体。
簡潔でわかり易い文体で、キーワードを反芻しながら進めてくれるのでかなりの収穫を得られる。
宗教ってなんだろー?と考えてる人には電撃が走ると思います!
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日本人は宗教を理解していないと言われるがこの本を読んで納得した。
また宗教がない国に生まれてよかったとも思う。強力な宗教が生まれる地域は環境が厳しく、救いとして宗教が生まれたと思うからである。
日本も宗教はあるがそれは外の世界において宗教とは違うものである。そして科学は宗教が深く関わっている。よって日本はその宗教がないので科学は無いとも言える。科学の精神が無いと思っていたがやはりと思った次第である。
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宗教音痴のための啓蒙書。碩学の小室が、いたって判りやすく、宗教を対比して述べているので、さらに易しく、宗教の齎す社会構成の違いから恐ろしさまでもが活写されている。■読み終えると、何故、ユダヤ教のイスラエルという国が存在し、アラブのイスラム教徒と対立するのかが、宗教の側面からも見えてくる。また、昨今のイスラム過激派とプロテスタントの米英の国家との戦闘の宗教的背景も判るような気になってくる、から不思議だ。それだけ、手際よくまとめられており、また、理解した体系から推測することが出来るという意味で、有意義な著作となっている。小室の諸著作は、そうした読者自らの判断を可能にさせるという意味で、好著が多い。
■主としてキリスト教、イスラム教、仏教、儒教、が取り上げられる。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、啓典宗教。啓典は、ユダヤ教の場合、旧約聖書。キリスト教は新約聖書となる。ユダヤ教は、集団救済。イスラム教とキリスト教は個人救済。仏教は、魂の除去による「悟り」のための修行が、必要となる。キリスト教、イスラム教は神の存在を信じなければならない。神の利用は神を冒涜するものである。よってそのような行いは、厳しく排除される。何らかのご利益を求め信仰は、キリスト教、イスラム教の信仰形態ではなく教義から排除される。イスラム教では、アッラーの神が唯一神であり、宿命的予定論のコーランには人間が守るべき戒律が、具体的に述べられており、それを守ることが絶対的に要請される。喜捨なども具体的に決められている。よって、世俗の生活も、その戒律によって行わなければならない。■キリスト教では、端折っていえば、神が光臨したというイエスが、唯一神である。戒律はなく、予定説に立つ新約聖書を信じることのみが要請された。信仰のみで成立する宗教である。戒律を設けたのは、後世の教会であり、また、その禁欲的行動を要請することになり、カトリックの堕落に繋がった。例えば、僧侶の妻帯である。
■キリスト教は、異教徒は人間ではないから鏖(皆殺し)にしても構わないという教義さえ演繹される。よって、十字軍のイスラム教徒に対する暴虐、宗教革命以後のキリスト教は、ラテンアメリカの住民を殺害しつし、米国の建国では先住民のインディアンの皆殺しも、この思想によって実行された。
■宗教は、救済でもあるが、他の宗派に対しては非寛容でもあり、「死」をも賭して省みない殺戮世界さえ現出させる恐ろしい原理である。それと同時に、宗教の「内部」理解に疎いければ、発生した事件での行動原理を間違って解釈し、間違った方策を立てしまうことにつながり、紛争をさらに過激なものに導くことになる。宗教を侮ってはいけないのだ。
■本作で、仏教の精髄である輪廻転生を語る作品として、三島由紀夫の「豊穣の海」を、小室は指摘していた。三島由紀夫が好きな筆者としては、「豊饒の海」をいずれ再読してみたくなった。
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3大宗教(キリスト、仏、イスラム)の本質を極めて明快に教えてくれる。極楽、地獄の概念があるのはイスラムだけなどはじめて知った。自分が知っている宗教の概念はかなり捻じ曲げられたものみたいだ。銃・病原菌・鉄と読み比べると、環境要因だけでなく宗教の違いも格差発生のメカニズムに寄与していることが読み取れておもしろい。(2006/5/20読了)
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キリスト教ユダヤ教イスラム教ヒンズー教仏教。どれがどう繋がってて、どれがどう特殊か。ちゃんと知っておくと、ちょっと見晴らしが良くなる、かな。
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世界三大宗教と呼ばれる、イスラム教、キリスト教、仏教について。ユダヤ教、ヒンズー教なども少し。
「宗教って何?関係ない」と思ってる人は読んでみるとおもしろいと思う。
本質的な概念について説明。
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本書は、まず宗教とは何たるものなのか、そして、それがいかに恐ろしいものであるかを論じた後、キリスト教、仏教、イスラームのそれぞれについて、彼らが信じるものは何かを「客観的かつ正確に」解明していく。この「宗教を正確に知る」ことは極めて大事だ。なぜなら、「行動様式」である宗教は、文字通りそれを信じる人々の行為に対する動機となるからだ。日本人が理解できない外国人の行動様式は、「宗教」で説明できることも多いだろう。おそらく、「英語」と並んで「宗教」の知識は国際常識のような気がする。
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世界の人々はこの世は苦しいから来世はいいところへ行きたい
日本人はこの世が一番来世なんかない
仏教・・実在論を否定。人間の心の外に実在するものは何もない。
religion繰り返し読む
マックスヴェーバー
宗教・・エトス・・行動様式
存在論オントロジー
人間が生きるために神を利用する・・・×
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とにかくわかりやすい。日本人は宗教に疎いが、人類の歴史あるいは現代社会を見る上で宗教は欠かせない。宗教に関して興味があるなら、先ずこの本を読んで、その上で高度な専門書を勉強することをおススメする。
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宗教というものを学ぶ上では多大な書物や歴史を学ばないと本質部分には辿り着けないと思う。
しかし、小室直樹による本書は一冊の内容で各宗教の本義、世界観、歴史背景、本質部分をあますことなく見事に論じている。
これだけの内容であれば、小難しい記述になるのが常だが記述面に関しても大変わかりやすい内容であり、内容も決して阻害されていない。
宗教をきちんと知る上では絶対に外せない一書だろう。
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多少、宗教のことはわかっているつもりでしたが、実は全然わかっていなかった、ということが認識できました。
宗教とはこの上なく恐ろしいもの、しかし、社会にとっては欠かせないもということも理解できました。
個人的には仏教の「空」を始めてわかったような気にさせてもらえました。
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第4章「仏教」は近代科学の先駆けだった が興味深かった。
仏教の目的は、悟り、すなわち諸々の煩悩をなくして、
解脱して涅槃に入ること。
その煩悩が生じるというのも、「われが存す」という迷妄が
根底に存するから。
ゆえに、「われが存す」という迷妄を断ずれば、涅槃に直行
できる。
空(くう)とは有無を超越し、相互依存と同義。
同時因果関係
経済学の例でいえば、ケインズモデルがこれに当たる。
消費関数
Y(国民生産)→C(消費)
←
有効需要の原理
縁起
因縁 因=主原因、縁=補助原因
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個人的に覚えておきたいことを雑多に。
<全体>
・宗教=行動様式(ヴェーバー)。神や仏の有無は関係ない
<キリスト教>
・「イエスは主であると口で言い表し、神はイエスを死から甦らせたもうたと心で信ずる」(117)だけでよい。行動規範はない
・パウロによって信仰(内面)と行動(外面)が切り離される
→予定説によって神に選ばれたと信ずる人々が新法を設立していく
→資本主義の精神が醸成されていく
・隣人愛を説くが異教徒に対してはこの限りではない
・ファンダメンタリストはキリスト教にのみ存在する
∵聖典を徹底的に信じ、かつその信仰のみを問うこと、だから
∴「イスラム原理主義」は存在しない
<イスラム教>
・コーランを全面的に信じイスラム法を遵守して初めて教徒に
・イスラム教国ではコーランと法律が一致する
・ジハードによる戦死は自動的に天国行き
<仏教>
・仏は存在しない。絶対的なものは法(ダルマ)のみ
・煩悩をなくし解脱して涅槃に入ることが目的
日本は本当にアノミーに陥っているのだろうか。学校や就職活動など、「連帯」を常に求められる場でこれまでの人生の多くの時間を費やしてきたおかげで、その「外側」が見えていないのかもしれない。
その疑問について考える例として、先日の震災が挙げられると思う。「がんばろう日本」「自粛ムード」「節電」などといった言葉が、日本人全体の連帯感を引き出しつつあるように見える。しかしこの連帯感はどこか表層的ではないだろうか。アノミーを解消するほどの「宗教」たりうるのか。不祥事を起こした者に対する、即座に辞任せよ、との大合唱からは、日本の将来に対する思考停止が透けて見え、結局はその場しのぎの群れ合いという感がある。このことはアノミーの証拠と言い得るのではないか。
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小室直樹さんの本は何冊か読んでいるが、どれもすごい。ここまで断言していいのかというほど、明快な切り口と論理。
本書は、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教、仏教、儒教の成り立ちの歴史、論理構造、そしてそれから影響を受ける人間の文化、思想の特色について鮮やかに解き明かしてくれる。
特に他の著作でも解説されていた、キリスト教の思想がいかにして資本主義を生み出したかという点については、今回、他の宗教との比較において、いっそう納得感を感じた。
さらには、日本独自の宗教観についても一刀両断。神道をベースに仏教などの宗教をロジックを分解して吸収したその柔軟性。明治以降ではそこに天皇を現人神として祭り上げて作り出した天皇教。戦後、天皇制が崩壊したことによるアノミーの発生。それが現代日本の精神的混乱の原因のひとつであるという指摘は私には新しく、思わず唸ってしまった。
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信仰によってだけで宗教が成立する。これがキリスト教の根本である。(…)ルターがローマ法王を非難する最大の理由もそこにあった。ローマ・カトリックには秘蹟(サクラメント)という儀礼がある。簡単にいうと、洗礼や聖餐などの、神の恩恵を信徒に与える儀式のことを指すが、信仰だけで救済されるというのがキリスト教であり、秘蹟で救済されるなどとはとんでもないことであると主張した。58
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キリスト教の場合には、「神」とは何か、細目の規定は何もない。天地を創造した全知全能偏在の人格的唯一絶対の人格神、それだけである。イスラム教の神とは違って、神がどんな人格を持つ能力を持つか詳しくは述べられていない。(…)ヤハウェは、絶対的唯一神で人格神である。人格神であるから心理を持つ。ねたみもするし、熱心にもなる。ヤハウェは煩悩をはっきり持つ生きている神なのである。117
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神の恵みを受けて救われるためには修行したり善行を積んだりする必要は少しもない。(…)初め修道院はキリスト教としては異端的であったが、神に身を捧げた人間が極度に禁欲的な生活をする場所として修道院が制度化されるとエリートの養成機関になった。初代法王といわれるグレゴリウス一世(五四〇頃~六〇四)はじめ修道院出身の法王も多く現れた。修道院は、善行の積み上げと厳格な修行を重んずる所である。キリスト教では、本来必要でなかった外面的行動重視の傾向がここに侵入してくることとなった。121
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キリスト教が本当に西欧社会のすみずみにまで行き渡りはじめたのは、宗教改革のエネルギーが動き出した時代であった。「宗教改革」とは、実は、本格的キリスト教の創造であった。本格的キリスト教の布教開始であった。(…)ヴェーバーは、宗教改革によって世の中が世俗化して宗教の影が薄れたという説を否定し、逆に宗教改革によって、世の中は徹底的にキリスト教的になったことに注目して、読者の注意を喚起している。キリスト教の徹底化こそが資本主義の精神を準備した。164
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ペラギウス論争でわかるように、ただ神の意思のみを認め、人間には意志の自由はないとしたキリスト教に対し、イスラム教では人間の意志の自由というのを認めている。(…)イスラム教の予定説は、現世限りの予定説である。現世で幸福になるか不幸になるかは、神がすでに決めてしまっている、ということだ。しかし、来世で天国(緑園)へ行くか地獄へ行くかは、現世でよいことをするか悪いことをするかによって決まる。つまり因果律であり、この点は仏教と同じである。 ― 284
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イスラム教の信仰とは、信心という内面的行動(六信)と、勤行という外面的行動(五行)の両方が揃ってはじめて信仰たりうるのである。(���)キリスト教徒は信仰を内に秘め、外面はとぼけていれば教徒だとは露見しないが、イスラム教徒は隠しおおせない。信仰告白は声に出さなければならない、礼拝はしなければならない。しかも、信仰と行動をはっきりさせなければ信仰したことにならない。289
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イスラム教には決定的な弱点があった。それは、マホメットが最後の預言者であったことである。したがって、新しい預言者が出てきて、マホメットが決めたことを改訂するわけにはいかない。つまり、神との契約の更改・新約はありえない。(…)イスラムにおいては、法は発見すべきものとなり、新しい立法という考えは出にくくなった。必然的に中世の特徴である伝統主義社会が形成され、そこを脱却できる論拠を持ちえなかった。これが、イスラムが近代を作れなかった最大の理由である。324
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パウロはキリスト教において最重要人物の一人であるが、最大の功績は、人間の内面と外面は全く違うということ、すなわち、内面と外面の二分法を明らかにしたことである。(…)原始キリスト教は、ローマの法律に反するとの理由で大弾圧を被った。(…)キリスト教では、この二分法によって、信仰と人間の行動を全く別個にしているため、信仰を変えることなく、外面的行動を変えることができた。資本主義を成立させるための、法律、規範、人々の行動様式は、すべてこの外面的行動だけを規制している。326
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仏は人間の主、君主ではない。人間は仏の臣下、下僕ではない。その範疇は、全く違うのである。教団(サンガ)のなかでさえも、釈迦が主人、弟子が僕であるというわけではない。釈迦は仏教の戒律を制定し、悟りへと弟子たちを導く。けれども決して主君として命令を下していたわけではない。あくまで対等な導師として弟子を導くのである。(…)仏教では仏罰はありえない。なぜなら、仏は神(主)とは違って意思決定して罰を下すことはしないからである。128
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仏教は釈迦の教えではなく、絶対的なものは法(ダルマdharma)、すなわち道徳法則のようなものだけであり、これを悟った者が仏になる。故に、仏が出現してもしなくても、法そのものは厳然としてあると考える。法がなにより第一で、仏はその次にくる、いわば「法前仏後」の構造をとっており、まず神が優先する「神前法後」の構造である啓典宗教とは根本的に違う。だから「神は存在しない」といえばキリスト教にならないが、仏教では、「仏は存在しない」といったところで何も困らない。199
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