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はたから見ると、自分から破滅への道を辿っているような人や、自分からより悲惨なもへ突き進んで行くようにしか見えない人たちがいる。
なぜ彼らは、不幸になりたがるのか?
春日氏は精神科医という仕事柄、かなりの奇人変人を診てきているのだが、自分もどこか一歩道をそれれば、そんな「おかしな」彼らと同じような道を辿ってしまうのでないかと心配になるそうである。
その気持ちは私にも結構覚えがあって、親がテレビで異常な事件を観ていて「なんでこんなことするのかわからない」「人間じゃない」などと言っているのを聞くと、「自分の娘(私のことです)も一歩間違えばそうなるかもしれないのに、のん気な人たちだなぁ」なんて思ってしまう。
不幸や狂気というのは、他人事だから私の親のようなことが言えるのであって、自分の身近にそんなものが転がっていて、それに関わらざるを得なくなったら、否定はできない厄介な代物だと思う。
事件や事故は1件2件と数えられる。しかし不幸や狂気とは、1回2回とカウントできるものではない。狂った人はある日を境に狂ってしまうわけではなくて(中にはそういう人もいるかもしれないけど少数派だろう)、狂っている間は狂っているし、狂っていない間もいつ狂うかわからないのだ。また、狂気が治る・治まるということだって、急によくなるわけではないだろう。なんだか最近治まってきたな→最近狂わなくなったな→なんだか狂わなくなったみたい、というふうな――それこそ風邪の治りを見るみたいな、ゆるーいものだという気がする。
不幸や破滅というのは、本人やその周りの人々から見れば、決して劇的なものなんかなのではないのだろう。それこそ、「もういい加減にして」だとか「わがまま言わないで」というものなのだと思う。なんともロマンのない話だが。
私がこの本で一番「なるほど」と思ったのもそういう「怠惰」や「惰性」とも言える不幸の「面倒くささ」だった。
人は何かをするのが面倒なゆえに、ほかの人から見れば遠回りにも程がある、ということを平気でやってのける生き物なのだ。
たとえば、電球が切れたけど電球を買いにいかないで、わざわざ暖房のつかない寒い部屋で本を読むとか。この場合だと、ちょっと走って電球を買いに行けばいいのに、震えながら本を読むほうを選んでしまうというのが不幸の「怠惰さ」なのだ。ほら、こういうこと身に覚えがありませんか?
狂気や不幸は何の回避にも逃避にもならないという本書は、ある意味なんとも悲しいことを言っている本である。
狂気に夢を見られないというのは、フィクションにとって痛手だとは思わないけど、大いなる悲しみだとは思うなぁ。
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春日武彦の不幸になりたがる人たちを読みました。精神科医から見た不幸になりたがる人たちの分析です。二十歳頃に心理学に凝っていたころに読んだエーリッヒ・フロムの自由からの逃走で解説されていたものと通じる自己破壊の性向をわかりやすく説明しています。不幸な状態から抜け出すことが必要だとわかっていても日常を変えるのが億劫で、結果として不幸な状態のままとどまってしまう、という人が意外と多いという指摘はついうなずいてしまいます。
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長期的困難から目を逸らすために、
奇妙な方策で敢えて不幸になろうとする人々の様態をレポート。
「一体どうしてそんなことをするの?」と、
首を傾げたくなってしまう自虐的エピソードの保持者は、
逆説的だが、本人にとって最大限の不幸を回避するための
魔除け・悪魔払い的行為として、
おかしな真似をしでかしているのでは……というお話。
なかなか興味深い。
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タイトルに惹かれて読まずにはいられなかった一冊。
不安に囚われて気付くと自滅に向かっていることもしばしばの私にとって、共感する部分が多くて少し泣きそうにもなった。
「不幸や悲惨さを自分から選びとっているとしか思えない人たち」の、奇妙ではあるけれど当事者にとってはすがるほどに強烈でしかも素朴なロジック。彼らは、発狂する一歩手前でそのロジックにしがみ付いて何とか日常をやり過ごしている。
豊富な事例でそのロジックを解き明かしてみせるが、それらに対して私たちはどう向き合っていけばいいのか…。その答えはわからないままだった。
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私に該当することも書いてあったかな。
営利誘拐した女二人組みのおとなしいほうは、自分の気持ちを表す適切な言葉を持たなかったのかもね。
ヒトはあまり環境を変えたがらず、不幸にあまんじる。
普通だった人がおかしくなるんじゃない。もともとおかしくてもそろを漏らさずに生きてける人がほとんどだって話。だから精神系の医師であるこの人は自分のところに来る患者にえもいわれない感じをうけるんだろうなぁ。
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前書きで著者が言うように、確かに「後味の悪い読後感」がある。不安感と言葉に変換しがたいおそろしさと…。それでも、その内容を読み取りにかかってしまうあたり、著者がこの本に記したことが一つの真実であると証明しているみたいだ。
不幸になりたがる人は存在する。社会人になってはじめて、その色が濃すぎる人物に会った。その人物に対してずっとずっと嫌な感じがあったのだが、適当な表現が見つからずモヤモヤし続けていた。止まらない微妙な違和感、常識外の世界観、言葉が通じていない感覚、成立しない意思疏通、思考不足で怠惰な依存性。得体が知れないのだ。不可解で不快極まりないのだ。苦手だからあまり関わらないようにしようとか、嫌いだから考えないようにしようとか、迷惑だから接点を少なくしようとか、そういう自分の能動的な意志でコントロールできないのだ。これがノンフィクションであることが怖い。
けれど、この本でかなり理解できた。つまり“そういう”性質が強い人なのだと。人間に潜在する性質であるからこそ、本人はその気はなくとも、「生・進歩・向上」とは真逆のそれを何も考えずに表に出し続けているのを見るのは、とても不快なのだと。受動的で言いなりで特に何か思ったり考えたり自ら行動することもなく人からのアクションをただ待ち続け漫然と生きている人のことは、私には理解できないのかもしれない。そして、できることならばもう関わりたくないのが本音である。
不幸になりたがる人たちについて書き記されたもう終盤の184頁、「危うい芽が自分の内面にびっしりと植わっているような気がして、私は息苦しくなってくる。」という文を読んだ時、昆虫や爬虫類が枝や葉に隙間無く植え付ける大量の小さな卵のようなものが自分の皮下にびっしり広がっているグロテスクな想像が浮かび、まるで体の内側に鳥肌が立つような気色の悪い感覚を覚えた。本当に読後感はよくない。
ただ、いかにも現実離れしたホラーやサイコサスペンスより、よほどおそろしいし興味深い、と思う。
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非常に面白い。松沢病院の医長を務める著者が長年の臨床経験から気付かされたもの、それは無意識に自らの不幸を臨んでいる自虐的な患者が一定数以上存在することだった。犯罪報道等を通じてそうした人々の内面に迫った一冊。
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フォトリ20冊目。auブックパス。
事故破滅的な人々の理解を試みる。許容範囲のプチ不幸や他者のには理解し難い儀式に頼ることで、死への欲動から自身を守りこの世に踏みとどまる。本格的狂気に駆り出される突き進まないように、わかりやすい神経症状を示す。狂気でさえ、生きるための本能的手段。
シニカルな物言いの先生ですが、パーソナリティ障害や狂気の存在を認め、彼らの生きるための特異なロジックを理解しようという姿勢を感じます。
※極端な内気はコミュニケーション障害の可能性あり
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きわめて後味の悪い読後感。
と、確かに、著者が”はじめに”で予言した通りだ。
それでも書かずにはいられなかったとのこと。
精神病を直視し、正常といわれるものの境界があいまいな部分に焦点をあてているところもあって、辛くなる。
みんな自分ではコントロールできない何かを抱えているんだろうか?
意味もなく、生産性もなく、破壊的・・・、正常の領域から見るとそう映る行動の背景にある心理は、みんなの中に埋め込まれているものなのか、それとも病理として特定の個に埋め込まれたものなのか・・・。
グロテスク。
現代の新書なんだけども、読んでいてなんとなくレトロ感を感じた。
夢野久作『ドグラ・マグラ』を思い出しながら読んだ。
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【内容(「BOOK」データベースより)】
虎に喰われたかったのに熊に喰われて昇天してしまった主婦、葬式代がないからとアパートの床下に妻の遺体を埋めた夫、電動式自動遙拝器を作ってただひたすら「供養」する男などなど―世の中にはときどき、不幸や悲惨さを自分から選びとっているとしか思えない人たちがいる。しかし彼らは、この過酷な人生を生きてゆくために、奇妙なロジックを考えだし、不幸を先取りしなければ生きてゆけなくなった人たちなのだ。あなたの隣の困った人たち、それはもしかしたら私たち自身の姿なのかもしれない…。
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【著者略歴 (amazonより)】
春日/武彦
1951年京都府生まれ。日本医科大学卒業。医学博士。精神科医。都立中部総合精神保健福祉センター、都立松沢病院、都立墨東病院精神科部長などを経て、東京未来大学教授
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【目次】
第1章 理解しかねる隣人たち
・不自然な人たち
・ああ、そうですか
・大晦日の電車
ほか
第2章 奇妙な発想・奇矯な振る舞い
・幸運の法則
・運勢曲線
・不幸の先取りについて
ほか
第3章 悲惨の悦楽・不幸の安らぎ
・熊に喰われる
・虎と熊
・二十六時間の誘拐
ほか
第4章 グロテスクな人びと
・変人たち
・狂気予備軍
・供養する男
ほか
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驚いた。これは精神科医師による単なるエッセイでしかない。2000年の文春新書だが、この頃出版社が点数を増やすべく粗製乱造していたのではないか、と勘ぐりたくなる。
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他の人も書いているように、この本は著者の主観を綴ったエッセイにすぎず、客観的な根拠は何もない。
ただ、これは無意識下の傾向を実証的に検証、証明できないことが一つの要因であると思う。逆に言えば無意識に関するどんな仮説も絶対に反証することができない。オカルトが堂々と生存を許される領域でもある。だからあれこれ妄想を巡らせるのは面白い。
自分や他人を顧みたときに、著者の主張通り不幸への志向でしか説明できない行動は存在するような気がしてならない。そもそも「おれは心の底で不幸を望んでいるのでは」と考えてこの本に辿り着いたのでそう結論づけたくなるのは当たり前といえば当たり前だけど。