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砂のゲーム ぼくと弟のホロコースト みんなのレビュー

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紙の本

ホロコーストは決して「過去にあった」「外国で起こった」問題ではなく…

2000/12/26 02:18

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 弟とホロコーストに送られた経験を持つ作家の自伝である。
 だが、収容所での悪魔の業が子どもの目にどう映ったか、そこを逃れていかに生きのびたか、ナチに対する怒り−−など強いインパクトの連続を予想して読むと、かなり違った印象を受ける。

 8歳から14歳の子ども時代を、ウーリー少年はゲットーや隠れ家、アンネ・フランクもいた強制収容所などで過ごした。6年間に、開業医だった父が士官して連絡が途絶え、病で入院した母はナチに射殺された。
 ゲットーでは、チフスで死んだ人々が道に放り出されているのを、朝、個人教授の先生宅へ行く途中に見かけた。
 隠れ家の地下室では昼間は外に出れず、週一回、夜中の数時間だけ外で遊ぶ許しが出た。やせて、おできだらけの兄弟の遊びは、皮肉なことに、おもちゃの兵隊の戦争ごっこだった。
 ホロコーストでは、狭い棚に押し込められ、やっと生き延びられるだけの食べ物しか支給されなかった。
 3カ所での生活は、その年頃の子どもには過酷きわまりなく、読んでいるだけで胸に重いものが垂れ込めてくる。
 しかし、作家は淡々と客観的に、ルポルタージュを書く調子で記述するのみである。決して興奮しない。怒らない。父や母との別離でさえ、交わした言葉も、流した涙のことも描かない。
 過ぎた生活を、順を追って忠実に再現するように記していくだけなのだ。情に流されない強い手法だからこそ、こちらの奥深いところで、着実に切ないものが積もっていく。

 「訳者あとがき」にあるが、作家は記者のインタビューに応え、「あなたにとって『ホロコースト』はホロコーストに過ぎないでしょうが、わたしにとって、それは、子ども時代でした」と、述べている。きっとそれも、穏やかに語られたのだろう。
 つまり彼は、「戦争が日常」であったことを、誰にでもある子ども時代を単に記しただけだと述べている。ここに至り、戦争の中でしか生活できなかった子どもの存在に愕然とさせられる。

 戦争やホロコーストが、いかに多くの人間を殺したか…量で計れる犠牲に圧倒される記録文学とは異なって、この本は、もう一つの犠牲について語る。家族の愛、健康や日光、自然等、子ども時代に恵まれるべき大切な要素を抹殺されてしまった、そのことを書く。そして、それは子ども時代の不幸では終わらない。
 戦争が終わりイスラエルで暮らす兄弟の元へ、消息のなかった父から連絡がある。しかし、二人は亡母への思いから、再婚していた父との関係を絶つ。7年後に訪ねてきた父を、作家は許すことができなかったという。戦争は、幸せだった家族の絆さえ、このように分断してしまうのである。

 やはり自らの戦争体験を書いた児童文学作家・岸川悦子が、「戦争は子どもから遊びを奪う。でも、今だって子どもたちは遊びを奪われている。受験競争も児童虐待も同じ。社会に流されながら、大人は大切なものを子どもから奪うの」と言っていたことがある。今の日本の子どもは、遊びのみならず家族と過ごす時間や、日の下での自然との接触を奪われている。
 子どもにとって日常がどうあるべきかを考えたとき、「全体主義へのバッシング」と「平和への祈り」でこの本のテーマをくくることをしなかった作家の見識の高さや、時代も国もこえる普遍的なメッセージを発信した思いの深さに、頭が下がる。

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紙の本

ホロコースト──わたしにとって、それは、子ども時代でした。

2000/09/08 15:26

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:エーミール - この投稿者のレビュー一覧を見る

 子ども時代を幸せにすごせたら、その人はかなり運がいいのかもしれない。ワルシャワの裕福な医者の家に生まれて、自分が「ユダヤ人」であることをあまり意識しないで育った少年が、第二次世界大戦のホロコーストを生きのび、イスラエルのキブツで学校に通いながら成長し、作家となった。『砂のゲーム』は、1996年に国際アンデルセン賞作家賞を受賞したウーリー・オルレブの自伝的作品だ。

 副題が「ぼくと弟のホロコースト」とあるように、ホロコーストの6年間の生活が描かれている。その間の恐怖や困難や悲しみを、あえて「冒険」と言い、常に自分をハッピーエンドに終わるはずの冒険小説の主人公のように思っていたという。

 タイトルの『砂のゲーム』は、この本の冒頭にでてくる。冒険もののテレビ映画を見ていた息子に「父さんは、どうやってドイツ軍から逃れたの?」と聞かれて、たとえとして思いついた「子どもは何人」という砂場でやるゲームのことだ。砂をひとつかみ宙に放り投げ、落ちてくる砂粒を手の甲で受けとめながら、砂粒が十こ以下になるまでくりかえす。
 「コレラで死んだ」「水でおぼれた」「火事で焼け死んだ」「毒をのんだ」など言いながら。そうして、それが最終的に生き残る子どもの数になる。

 ドイツ軍はわたしたちを何度も「放り投げた」だが、わたしたちは─弟とわたしは─いつも安全な場所に落ちた。とオルレブは書いている。

 逆境の中でも、ウーリーと弟は、いろいろなゲームを考えだし、戦争ごっこをして遊んだ。夢みることやユーモアを失うことがなかったのは、すごいことだ。

 おとな(現在のわたし)の目で、過去のできごとを考えたりしゃべったりしないように、うすい氷の上で跳びはねたりしないように気をつけている。そんなことをしたら、氷が割れて底なしの沼に落ちてしまうかもしれない。そうしたら、決してはいあがれないだろう。
 と書いていることや、14歳でイスラエルに渡ってヘブライ語を学ぶうちに母語(ポーランド語)を失ってしまったことや、「砂のゲーム(子どもは何人)」の説明を読むと、オルレブの心の傷の深さが伝わってくる。が、オルレブの作品は重いテーマであるにもかかわらず、人間を否定的には見ないで、希望のある描き方をしていて、決して暗くない。

 ホロコーストを知るにも、オルレブを知るのにも、貴重な一冊といえるだろう。

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2009/04/24 14:58

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2015/08/09 10:03

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2017/02/21 09:20

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2018/08/26 18:15

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