紙の本
入門書と辞典の合体
2004/07/02 21:01
5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:アルケー - この投稿者のレビュー一覧を見る
入門書としてはとてもよくできた本である。
まず、章の題の付け方がよい。
失敗した理由、建築現場、見学ツアー、動揺である。これだけでも失敗した結果カントが何をどのように実際に行い、そして動揺を招いたかがわかってしまう。
内容のまとめかたがとてもよい。
こんなことをいっている。
物があるから、見える。(=実在論的発想)
物をみるから、存在する。(=観念論的発想)
もうこれだけでも哲学上の重要な問題がさらりと述べられている。
また、これは一見見過ごされることだが、見開きページのレイアウトがとてもよいのである。適当な間隔をあけ、引用文がすっきり引用されて読みやすく、重要な事柄は簡潔な表題がふされ、どこで何を読むべきかが明確にされている。
そしてこれが肝心なことだが、とてもよい索引が添えられているのである。このような本は読み捨てにするものではない。だとしたら索引がどんない役立つことか。入門書に索引がついていなかったら、それは入門書ではない。一度よんだら、こんどは入門書は辞書に変わるのである。それに索引がついていなかったら、読者はどうしたらよいのであろうか。
私はこの本をカント辞典としてつかっている。なんど読み返してもよくできているなあ、と感心する。著者のちょったした整理と工夫が読者に多大の利益をもたらすのである。
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カント『純理』入門のための第一冊目。非常に分かりやすく書かれてある。悟性と理性の違い、感性、構想力について、など、まずもって『純理』を読む際におおよそ知っておくべき用語の説明から、純理の全体的な構造と、その問題点などがうまくまとめられている。これを読めば純理が身近に感じられることだろう。11.23-26.
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世界は主観による構成物だと考えることで、初めて客観的認識が成立する、という主張。
自分が十年以上前に、Newtonで「完全な客観性など存在しない」といった趣旨の対談を読んだ時の衝撃を思い出しました。
あれはここにリンクしていたんだ。
本の内容も興味深く、引き込まれました。
価値のある一冊です。
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*****
常識では,正しい認識とは,事物の姿を主観を交えずありのままにうけとること,と思われている。しかし,カントが『純粋理性批判』で明らかにしたのは,<あるがままの事物>をとらえられると考えるのはおろかな妄想にすぎず,認識は徹頭徹尾,主観的な条件で成立しており,そのことによってのみ,認識は客観性を有する,という主張なのである。つまり,素朴にありのままを認識しようとすれば,それは主観的なものとなり,逆に,世界は主観による構成物だと考えることで,初めて客観的認識が成立する,というパラドキシカルな主張こそ,『純粋理性批判』の根源的テーマなのである。(p.11)
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カント哲学は哲学の最終的な行き着き先であるため、カントを学ぶ前にプラトンやソクラテスは最低でも知って置く必要があるし、哲学とはと言う入門書は必ず必要となる。それ程までに純粋理性批判というものは取り扱うには難しい。ただ、ものすごく単純化すると、その存在の見る方向、その対象物からの方向がどちらに向いているのか、また、モノではなく事象としてどうなのか、だから、その事象は起こりうるのかなど、絶えず中心点は、軸をどこにおくのかだけ理解できていればなんとかなるかもしれない。本著については、入門書であるため、純粋理性批判がどのようなカントの生い立ちを背景にできたのか、カントという哲学者はどういったパーソナリティなのか、まずはそこから入るためには良著であると思われる。★を一つ減らしたのは著者がカントに傾倒しすぎて、感嘆文を入れているためである。
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一年に2度ほどは読み返さないと、だめだこりゃ。
あー大学のオープンキャンパスとか行ってみたい。
カント講義きいてみたいなぁ。
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「カント入門」よりもくだけた文章で、また初心者への用語の解説も丁寧なので、こちらのほうが理解しやすい。
「純粋理性批判」って響きがいい。「相対性理論」と並ぶくらい惹かれる。バンドの名前にしても面白いかも。
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カント二冊目。相変わらず難しくて文字の上を目が滑る滑るorz けれどそれなりに分かりやすく、所々砕けた文章で書いてくれているので読むこと自体は苦ではありませんでした。
個人的に後半(特に第三章)が難しかった;;
「時間・空間や因果関係などのカテゴリーは、人間の認識の成立の条件、つまり、現象の成立の条件なのであって、物そのものの成立の条件では決してないのである」という文章にはっとさせられました。まさにコペルニクス的転回!
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カント哲学が、肯定否定含めてざっくり概観できます。
日本語ばかりなので初心者でも読みやすい。ここで引用されている坂部さんやヘーゲルの著作も読んでみたくなりました。
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入門という名の通りに、著者が簡略的にして重要な概念を伝えてくれていてとても読みやすく、またわかりやすかったように思う。
カントについて知るには不十分だと感じたが、入門書として読む本の中の一冊にこれがあっても良いなと感じた。
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岩波の翻訳で何度か挫折していたので手に取ってみたが、序文から秀逸であった。著者曰く、解説書において大切なことは原書との距離感であるということだ。単なる目次や経歴の列挙でもなく、あるいは訓詁学のような詳細な解説書でもない。その絶妙な距離感が必要だと述べられていて、本書はその距離感を忠実に守っている。
世界の現象は客観的だが、認識は主観的。
認識は悟性(理性)と完成によって補完的な産物
などといった、現代的な感覚すれば、当たり前な気もしなくもない命題を導いたことにカントの本質があることがわかった。その時代からすれば、人間が神から心理を取り返した大事件だったのだろうと想起できる。
理性と悟性との違いなど本質的かつ詳細な解説もあり、岩波の翻訳を読んでいた時の多くの疑問が氷解した。もう一回、岩波を読めば違った世界が開けるのだろう。その意味で優れた入門書であった。
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「主観(私)」は「物自体」ではなく、その現象を認識する。その限りにおいて、人間のカテゴリーが適用できる。また、感性によって知覚、受け取った現象を悟性によって認識するというプロセス。
「純粋理性批判」を書く前に、10年間何も著作を出さなかった時期がある。この間にカントの思想が熟成したという。
また、晩年に向かうにつれ、「悟性一元論」へ傾くなど「思想の衰退、退化」がみられるという。これは、カントがのぞき込んで尻込みしてしまった「超越論的構想力(≒想像力)」の問題と深い関わりがあるらしい。カントは真面目すぎて、下ネタに赤面するか怒りだすような、冗談が通じないようなひとなのだろうか。
かなりわかりやすくダイナミックでユーモアにも富んだ解説書。
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入門という名前だが、この本自体が非常に難解である。とはいえ、ツアーガイドとして、その醍醐味を伝えることには成功している。カントの内面と言うよりは後進がどのようにカントを捉えているかという内容となっている。
この本を読んで思い浮かんだのは、映画「マトリックス」である。映画の主人公たちはマトリックスと呼ばれるコンピュータの作り出す仮想空間にいるという設定であった。
本書で言うところの「現象」は、コンピュータが作っているのだが、その事実を知って、抜け出そうとするヒトもいたし、とどまることを選択したヒトもいた。感性と悟性の合一が、現象の理解を得るとした時に、選択の優劣があると言うよりも、本人の経験と価値観の問題に還元されるのだろう。
工学、エンジニアリングの世界に生きてきた自分としては、哲学の答えのなさや実用性の無さは理解しかねるものであった。しかし、工学も経験を積むにあたり、評価のパラメータが多くなれば、ひとつの答えが正解とは言えないという事実に数多くぶつかってきた。
工学では数学という道具を用いて、曖昧性を排除する。しかし、その数学を適用するために、実態の一部をある観点で切り取る。その時点で本質から離れているのだ。
一方哲学は、経験と論理のみでモノゴトの本質を捉えようとする。言葉の定義という曖昧さは内包しつつも、出来るだけ捉えようとする学問なんだと改めて思った。
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全体的にカント哲学を感性と悟性の二元論から止揚する観点で読み解く試み。
「建築現場」の章を読み通すのが困難だった。その後は著者も言うとおり、読みやすかったが。
ハイデガーやヘーゲルの内在的な矛盾をつくのとは次元が違い、ニーチェはカント哲学の限界に決定打を打ったんだな。超越論的構想力の改編を吟味する中で、カントは劣化しているとの指摘に、カント哲学を学ぶ意欲が萎えた。
全体的に良書で本質的な記述だと思うが、最後のカントの姿勢を批判する部分が、哲学を学問として専攻しない人間にとっては、繰り返すが萎えるものがあったので、入門書ととしてはどうかという意味で☆3つ。
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(2016.10.14読了)(2005.08.21購入)(2004.03.30・第九刷)
Eテレの「100分de名著」で、カントの『永遠平和のために』が取り上げられました。『永遠平和のために』は、既に読んでいるので、この機会に以前から気になっている「プロレゴメナ」や『純粋理性批判』を読みたいところですが、とても歯が立ちそうもないので、とりあえず入門書を読んでみることにしました。
カント以前の哲学は、カントに流れ込み、カント以後の哲学は、カントから流れ出しているのだそうです。哲学の歴史を考える上で、カントを避けて通れないということのようです。
カントの哲学と同様、ヘーゲルの「精神現象学」も気になっている本なのですが、『精神現象学』が、カントの『純粋理性批判』の流れをくんでいるそうなので、ヘーゲルを読むうえで、参考になりそうです。また、三木清の本も積読しているのですが、三木清の主著の「構想力の論理」も、『純粋理性批判』の流れをくんでいるということですので、ヘーゲルや三木清を読むうえでもこの本は、役立ちそうです。
【目次】
プロローグ 1+1はあぜ2なのか
カントのプロフィール
序章 すべての哲学が失敗した理由
1章 『純粋理性批判』の建築現場
2章 『純粋理性批判』見学ツアー
3章 『純粋理性批判』の動揺
A カントの不安
B 理性の深淵
エピローグ カントの広さと深さ
索引
●『純粋理性批判』のテーマ(10頁)
『純粋理性批判』が扱っているテーマは。実に膨大なものがある。空間/時間とは何か。自由と必然の関係はどうなっているのか。形而上学はいかにして可能か。神の存在証明は可能なのか、などなど。
●本書のテーマ(10頁)
客観的な認識とは何か
カントの用語でいえば、<超越論的真理>とは何か
●正しい認識(11頁)
常識では、正しい認識とは、事物の姿を主観を交えずありのままに受けとること、と思われている。しかし、カントが『純粋理性批判』で明らかにしたのは、<あるがままの事物>をとらえられると考えるのはおろかな妄想にすぎず、認識は徹頭徹尾、主観的な条件で成立しており、そのことによってのみ、認識は客観性を有する、という主張なのである。
●経験論の発想(38頁)
私たちの認識や知識は、すべて経験、つまり、感覚を通して外部からやってくるものであり、心は最初は何も書かれていない白紙のようなものである、というのが、経験論の基本的な発想である。
●合理論的発想(39頁)
ライプニッツは、心がもともと「多くの概念や教説の諸原理」を経験に先立って有していると考えるわけである。経験に先立って、心にはあらかじめ何らかの概念や原理が備わっているからこそ、認識が成立する、と考える発想を、ここでは合理論的発想と呼ぶことにしよう。
●知性と理性(62頁)
インテレクトゥス(知性)は、基本的に、媒介を経ないで全体を一瞬で把握する能力、他方、ラチオ(理性)は、これがこうで、それがそうだから、すると、あれがああなって、と理詰めで次々推論していく能力である。
●カントの形而上学(94頁)
人間認識の根源的構造を問うこと、つまり、具体的で個別的な認識が可能となるための主観の基本的構造はいったいなんなのか、という問題が、「形而上学」ということで考えられてきている
●時間・空間(104頁)
時間・空間は、ものそのものが成立するための条件ではなくて、ものについての人間の認識が成立するための条件である。つまり、時間・空間はものの側にあるのではなくて、認識する側にある存在である、ということなのである。
●真理成立の根拠(177頁)
『純粋理性批判』の決定的な意義は、真理成立の根拠を、神から人間に奪い取ったこと
●真理(188頁)
『純粋理性批判』によれば、真理は最初から誤謬や仮象と峻別されてア・プリオリに与えられているようなものではなく、実権や経験の検証を重ねる運動のうちから得られてくるものである。
☆関連図書(既読)
「永遠平和の為に」カント著・高坂正顕訳、岩波文庫、1949.02.20
「啓蒙とは何か」カント著・篠田英雄訳、岩波文庫、1950.10.30
「道徳形而上学原論」カント著・篠田英雄訳、岩波文庫、1960.06.25
「カント『永遠平和のために』」萱野稔人著、NHK出版、2016.08.01
(2016年12月26日・記)
(「BOOK」データベースより)amazon
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