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学生時代に、母親が持っていた単行本を読んでハマり、このハヤカワ文庫版を自費で購入するにあたりました。
神とはなにか、人とはなにか、名の持つ意味、目に見えるもの、目に見えないもの、本当に大切なものは?など、とても考えさせられた物語。
壮大なスケールで、いまだに読み返す本の一冊です。
セリフの一つ一つが印象的です。
今の自分を構成していると言えるくらい影響を受けました。
単なる少女マンガとは一線を画してます。
その第四巻。
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言葉を口にすることの重さと大切さがあります。
言葉は、大好きな人への呼びかけであったり、自分の想いであったり。
言葉のもつ意味は、思われて、口に出されて、音になって、少しずつその力を強めていきます。
だから、口から出る言葉は、出来る限り「いい言葉」であってほしいと思います。
難しい世の中なので、そういうわけにはいかないのですが。
それが、どんなに実現不可能そうにみえても、万感の思いをこめて、
「大丈夫だよ」
と。
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人を殺め絶望した透祜は心を閉ざしてしまいますが、青比古との対話で夭祜の全てを受け入れ、真に一つの魂となります。
対立したり、惹かれ合い引き寄せ合ういくつもの対の存在が重層的に語られることで、<目に見えぬ神々>とは何か核心に迫っていきます。
解説は大森望さん。
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青比古は重症を負いつつも、眠りに落ちた透祜の精神世界に入り救出する。彼女は透祜=妖祜が混然一体となった新しい命として生まれ変わる。ここで第二部が終了。
第三部は亞神の側にいる鷹野・桂・火夷のグループと鬼幽に捕らえられた青比古・透祜のグループがともに、天音という亞神の治める不二に向かうという話。
青比古は感情がないがゆえに幸不幸は感じないクールな人物と語られているのに、徹底してなぶられたうえ、自己懐疑からも解放されない変態マゾっぷりに、聖人セバスティアンの殉教図を思い浮かべてしまった。一方、翼をはやした鷹野はラファエロ前派あたりのテイストの天使を想起させる。切れ長の目をもった亞神・威神たちは菩薩をイケメンに進化させた感じ。鬼幽にはウルトラマンエースを思い浮かべたが、ウルトラマンのデザイナー、成田亨もたしか菩薩に着想しているはずだ。
それからこの作品の人間模様は惹かれ、反発しあう関係によって特徴づけられるけれども、そこにBL的なテイストを加えていくあたりもうまい。火夷や黄実花のような俗人も丁寧に描かれていて、奥行きがある。絵も、人間描写も、ストーリーテリングも、全てが高水準。