言葉の一点突破、あるいは真理を知るための唯一の方法
2001/11/05 22:29
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:KAJKEN - この投稿者のレビュー一覧を見る
ビートルズの中期作品で『I am the walrus』という曲がある。その曲の出だしはこんな感じだ。
——僕は彼で、君は彼で、君は僕で、僕らはみんな一緒なんだ——
『天国が降ってくる』執筆にあたって島田雅彦がモチーフにしたのは、自意識の壁を取っ払ってしまうこと。つまりかぎりなく他者との敷居を低くしていくことで同化を試みる魂の、その痕跡を標すことだったと言えよう。例えば僕たちが他者との同化を求める瞬間、恋愛の最中であったり、親から注がれる愛を受けようと身構えるような時、自ずとその対象に心を開こうとするはずだ。自分を受けいれてもらうことで、他人を受け入れようとする、というのが、この行為の基本的手段であるからだ。
しかしこの小説の主人公葦原真理男は違う。他者に心を開く、という感覚がそもそも欠落してしまっているのだ。その教育課程において親から見放された真理男には、義理の叔母妙子や、妹りりかとの擬似恋愛の中にしかその魂の拠りどころを見出せない。さらにその体験すら、一度言葉に「変換」することでようやく体験として消化できるのだ。
この物語は、悲しい「一人あがき」のお話である。冒頭のビートルズの詩ような「他者との一体感のある世界」、ユートピアをめぐって、主人公が果てしなく苦悩し、もがきぬく、救いがたい小説なのである。
しかしその救いがたさゆえに、この物語は圧倒的スピード感をもって読者の胸に突き刺さる。ここで島田雅彦が成し遂げたのは、終末のカタルシスへの予感だけで読ませるという、現代小説におけるストーリーテリングのもっとも先鋭的な離れ技であると言えるだろう。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
青春の書がいつまでもサリンジャーでは世界も進歩がないだろう。現代日本の若者はもっとひねくれている。でも若さゆえの弱さは抱えているのは変わらない。ここに書かれた、真理男は自分自身だ、そう感じた若者はおれの知る限りでも三人(その一人はオレ)。まだまだライ麦畑には勝てないか?
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
衝撃作という言葉が似つかわしい。島田雅彦のすかした感じは嫌いではないが、同時にそれは作家としての限界のようにも思う。しかしこの作品には良くも悪くも力を感じた。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
若い島田雅彦が書きながら主人公とともに壊れていく様子が相当面白い。
この人の作品、やはりこれ位の悪意とあきらめが込められていないと面白くないね。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
僕は模造人間に感銘を受けたが、この話の主人公はヒロイックな人間では決して無い。
かといってアンチヒーローでもない。ただひとつだけいえることは主人公がぶっ飛んでいることだけだ。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
主人公の壊れ方が胸に突き刺さる。痛くなりました。
アシワラマリオに恋をした。
人を喰って生きる特殊な人間の特殊な食生活。
島田雅彦を核にして、私はその分身達に千回恋をする。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
島田雅彦の小説の主人公(一人称)は、どれもこれもかっこよく見えてしまう。
ぶっとんでる→かっこいい?
かっこいいと思うかは人それぞれかもしれないけれど。
マリオのキャラの強烈さったらない。
かっこいい。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
島田雅彦が\'85年に発表したこの作品は、狂気と刺激、そして愛に満ちた人生に於いて極めて強烈に残った一作です。初めてこの作品に触れた十代の頃はとにかく主人公・真理男に自身を重ねていたものです。彼の狂気の言動と行動が私の十代の感性にはリアルに感じられていたのだろう。感情移入するのにそう時間はかからなかった。真理男の言葉は滅茶苦茶でも真理を深く秘めている。彼は単純に世界を憎んでいるわけでも見下している訳でも無い。この世が天国であって欲しいと云う「願い」が強すぎるあまり、其の反作用として嫌悪が激しいのだ。それは焦がれる「世界」に認められない愛に飢えた孤児の様に。
この作品の中には多くの印象的なシーンが登場する。例えば真理男が書いた「金脳児の生涯」という童話や彼がロシアで迷子になる場面、真理男の恋の遣り取り、最後に部屋に引き篭もる場面、総てのシーンが島田雅彦氏の流暢な文章で鮮明に描写される。其れらはどれも振り返るに、島田自身の生涯に密接に関わる出来事の描写ではないかと感じる。あたかも架空の世界を描いてある様に思わせながら、実は自伝とまではいかないまでも作者自身の体験して来た様々な嫌悪をここにぶちまけたのかも知れない。現に話の最後には真理男という人間が、作者その人であり読者自身であることを悟らされる。そう、この物語の主人公はやはり私たち読者だったのである。だが、その総ては作者の理想に満ちている。作者から読者への期待に満ちている。「真理男の様に生きろ」と。そしてこのメビウスの輪のような世界を断ち切れ、と。(…決して絶望しないように。)読後感に残る切なさを胸に大人となった私たちが天国に近づいているのかどうか、いつかあらためて読み返してみるのもよいかも知れない。
投稿元:![ブクログ](//image.honto.jp/library/img/pc/logo_booklog.png)
レビューを見る
最後は文章の通り、天国が降ってくるのが見えた。読み入りは少し難しいかもしれないけど、半分超えたあたりからは映像を見ているような感覚になる。