紙の本
人の中で生きる
2001/08/24 17:13
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投稿者:長崎夏海 - この投稿者のレビュー一覧を見る
障害者のタチバナさんのたくましさがユーモラスで、一緒に散歩してみたくなる本。人は支え合って生きていること、人と共に生きていくことを、一瞬の出会いの中から語ってくれる。
タチバナさんは、20歳すぎても小さな子どものような体です。寝たきりなので、生まれてこのかた歩いたことがないので、背骨も足もニボシのように曲がっています。
でも、タチバナさんは、散歩が大好き。なまけん棒で障子をあけ、さわやかな空を見て、さっそく出かけます。お母さんにへんてこりんなベットのような車にのせてもらって、玄関の外へ。そこからは一人。のんびり空を眺めながら、だれかがくるのを待つのです。
はじめに通りかかったのはにきび面の青年。青年はしぶしぶ車を押しはじめ、なんとはなしにしゃべっていくうち、だんだんと話もはずんできます。「大変だなあ」と言う青年に「べつに。だってぼくはこうしてねそべっているだけですから」と答えるタチバナさんのまわりには、ゆったりとした空気が流れているようです。青年は「もっと先まで押していく」と言いますが、タチバナさんは断ります。
「いや、きみはここまでの人。ここからはまつぎの人。そしたら、ぼくはもう一人、また別の人と知り合えるだろ」
タチバナさんは、頼んで、しゃべって、そう、口で歩いていくのです。ノートには、そうして知り合った人の名前がたくさん書かれています。散歩というより旅のようです。
タチバナさんの出会いは続きます。神がかりのおばさんにはまいってしまって、いたずらをして追い返しました。公園で出会ったおじいさんはひとしきり愚痴をいうと、「また、わしの話しをきいてくれよ」と車は押さずに帰ってしまいます。でもタチバナさんは思うのです。——おれも捨てたもんじゃないぞ。こんなおれをたよりにしてくれる人がいるんだもんな——と。
学校に行っていない男の子に出会った時は、いろいろ質問して、途中で帰られてしまいます。タチバナさんは心の中に土足でふみこんでしまったと、ため息をつきました。それから、自分から声をかけてくれた美人にぼうっとしたり。「あなたと話をしていると心がやすらぐ」と言ってくれたご婦人にも出会いました。「わたしがあなたをささえているようにみえて、実はあなたもわたしをささえてくれているのですよ」と。そのご婦人が書いてくれたノートをひらくとひまわりの絵が描かれていました。
「人の世話になってまで散歩するな」とどやされた時は、くやしくて落ち込みます。
でも、帰り道は、さっき車を放りだした男の子が待っていて黙って車を押してくれ……とにかくいろんな人間がいて、いろんな考えがある。その中に飛び込み、人のぬくもりを感じていくタチバナさんがとてもすてきだ。
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児童文学論レポートのために借りた本その2。
寝たきりの生活を送る青年タチバナさんは、ある朝、知り合いの上野さんのところに行くことを思いつく。歩くことはおろか自力で動くこともままならない彼の移動方法は、車輪付きベッドに寝転がり「口で歩く」こと。道行く人に声をかけ、ところどころまで押して行ってもらうのだ。そんなタチバナさんが出会った人々を、障害者視点で描く一冊。
この本を読み終わって思い出したのは、小学校だか中学校だかで、体育館に全校生徒で集まってみたアニメ。病気だか事故だかで片足を失った男性雑誌編集者が待ち合わせ場所の喫茶店で会ったのは、タチバナさんのように車輪付きベッドの乗った子供の背丈しかない男性。どうやってここまで来たのか、という問いに彼は「道中、いろいろな人に声をかけてここまでやってきた」……。うろ覚えな点があるが、確かこんな話だったと思う。大阪弁を話していたような記憶があり、話の内容も違うので、多分「口で歩く」のアニメ版ではないと思うのだが……。本作品では障害者から見た健常者が少しユーモラスに描かれていて面白い。しかしながら、不躾に「障害者?」と聞いてきたり、自分たちの税金で食べているんだから散歩などするべきではないと冷たく突き放したりする登場人物もおり、まさに現代社会における障害者への偏見や問題点をも同時に描いている。登場人物のおばあさんが言うように、年をとって「みんなのお世話になる」ようになり、体がいうことを聞かなくなってからではないと障害者の気持ちにはなれないのかもしれない。だが、せっかく人間はしゃべることと協力ができるのだからそれを使わない手はないだろう。
相手の気持ちになって考えること、言葉が持つ力、協力することの大切さを、少し変わった視点で教えてくれる作品。
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体のほとんどが動かず寝たきりの主人公。けれど、彼は散歩にでかけます。どうやって?車輪付きのベッドに寝転がって道路に出て、そのベッドを押してくれる人を待つのです。そうすることで様々な人々と出会い、一瞬のつながりを持つ。それがどんな出会いであれ、何かしらの意味がある。彼の一期一会の人生を通じて、人間の様々な面が見えてくる作品です。
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障がいをもつ人からみた世界。
体が自由に動かないタチバナさん。彼は一人で散歩へでかけます。
そこで出会ういろいろな人たち―。「口で歩く」の意味が分かると、なるほどと思うと同時に、唸っちゃいました。
中学年でも読めないことはないけど、高学年へおすすめします。
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寝たきりの青年がベッドみたいな車椅子で散歩に出かけて
いろんな人に話しかけて押してもらう
読みやすいけど
それなりに重い‥
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ある天気の良い日の寝たきりの方の散歩。散歩と言っても移動出来るベッドに寝ていますので、散歩自体が人と関わりながら進んで行くのです。著者のあとがきも読んでほしい。読みやすいですが、小学校4年生〜
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人にも勧めたいなぁ。と思った。
重度の障害を持ったタチバナさんが、自宅から友人の上野さん宅へ遊びに行くまでのお話。
タチバナさんの飄々とした人となりが、いい意味で裏切られた。障害者を描いた作品は独特の重さと笑えない雰囲気があるという先入観があったけど、そうではなかった。心無い人の言葉に憤ったり、人を傷つけたのではと反省したり、上品な喋り方につられたり、タチバナさんの心の在りようは、健常者とと何ら変わらない。
人は誰でも支え合って生きている。だから誰もが生きていることを肯定される存在なんだ。
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・私が、この作品を選んだ理由は1つです。ある病気で体を動かせない人が他の人とふれあいながら、友人の家へ行くというお話です。私はそういう人のことを考えたことがなかったので考えてみたいと思いました。
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肢体不自由のタチバナさんが,知人の家に行く為に通りがかる人びとに声をかけ,車椅子を押してもらいます.
「青い芝の会」の事を思い出します.
「さか立ちしても、ひとりで生きていくということはできっこないんだよ。だれかの手を借りなきゃ生活ができないんだ」「でも、ぼくはそれをみんなにみとめてほしいんです。人の手を借りなきゃ、生きていけない人間もいるってことを」pp. 73-74
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いろいろな人と出会って行くところが楽しい。ブックトークして、誰が好きだった?どうして?とおしゃべりしたい。
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タイトルからどういう意味かと思ったけれど、文字通り「口で歩く」主人公。
さらっと書かれているけれど、声をかけるとか、人が来るまで待つとか、相当勇気がいることだと思う。
福祉について勉強する4年生に勧めたい。
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子どもの頃からずっと寝たきりのタチバナさん。散歩には特製の車輪つきのベッドで。しかも道ゆく人に押してもらう。逆ヒッチハイク的な。タチバナさんの手助けをしているつもりがいつしか押す側の人がタチバナさんに話を聞いてもらったりして。障がい者も健常者も大人も子どもも、どんな人だって支えて支えられている。ひとりで生きている人なんていないから。ユーモアがあって飄々としているタチバナさんがよい。とてもおもしろかった。
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一人でなんでもできるようでも、誰かの助けが必要な時は必ずくる。助けられてばかりいるようでも、人知れず誰かの何かの役に立っている。全て物事は支え合い無しには進まない。当たり前でもわすれがちなことを教えてくれる一冊。
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#口で歩く
#丘修三
#立花尚之介
#小峰書店
自分では歩くことのできないタチバナさんと町の人々とのお話。美化され過ぎていないリアルな印象。私だって突然タチバナさんに声かけられたら戸惑うと思う。踏み込んでほしくないこと、逆に引いてほしくないライン。答えはないけど考え続けて過ごしたい。
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光村国語4年上巻末本の世界を広げよう掲載図書
タチバナさんは骨が発達しないような障害で起き上がれない。散歩をしようと通りに車付きベッドで母親に出してもらうとじっと待ちます。そう、散歩をお願いして、口で頼んで歩くのです。
さすが丘修三って感心するのは、押してくれる人が良い人だけでなく、色んなタイプの悪い(面倒な)人が来ること。スゴく現実感。
短い本なのに(大人なら20分かからない)、色々考えさせられ、感じさせられ、とても良かったです。