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いわずとしれたパスカルの名書パンセ。機知に富んだパスカルの名言がたくさん詰まっています。彼の神学的な思想の深さに驚かされるでしょう。もちろん、あの有名な考える葦の断想も載っています。
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パスカルが書いた哲学書?
学生やってると1度くらい哲学を味わってみたくなるもんです。
てか、厚すぎ!
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パスカルは若くして亡くなったが、数学、物理学においていくつもの偉業をなした天才と言われる。彼は病に煩わされながらもこの本の原稿を執筆するが、彼の生きているうちには完成しなった。彼は多くのメモや原稿を残すが、それはほかの人々の手によて纏め上げられたものが「パンセ」である。この本は、パンセの残した断片的な一言メモなども含まれているので、意味がわからない部分も多かった。しかし、飛ばし読みしても問題ないのがこの本の強みである、と訳者も記しているように、分厚い割に早く読めるし、読むのが苦になりにくい。
私が、特に印象に残った点は、・繊細な精神の人は直感で、幾何学的な精神の人は原理に基づいて判断する。
・人に話をするときは、その人の身になって見ることが必要。言い回しを自分自身に試してみて、その言い回しがその心にあっているかどうか見なければならない。
・人は自然の中の虚無と無限の間の深淵な溝にいる。このことに気付けば、人は怖れを抱き、その自然を僭越な心で探求するのではなく、沈黙のうちにそれを眺めるだろう。
・信仰とは、理性だけでなく、心情も必要とすることが、彼の宗教に対する考え方であるようだ。神は試そうとしているものには姿を見せず、神を求めるものだけに姿を見せる。
などの点である。この本は拾い読みするような気持ちで重要なところを自分で見つけてじっくり読むのが言いと思う。
・人間の真の善とは神である。
1、2、4、8章読。後はキリスト教をもう少し知ってから。
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「人生は須らく暇潰しである」シニカルでありながら、人間愛に満ちたパスカルの言葉はどこを取っても琴線に触れる。
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ちょっと難しいところもあるが、飛ばして読んでもOK。印象に残った点は、・繊細な精神の人は直感で、幾何学的な精神の人は原理に基づいて判断する。・人に話をするときは、その人の身になって見ることが必要。言い回しを自分自身に試してみて、その言い回しがその心にあっているかどうか見なければならない。・人は自然の中の虚無と無限の間の深淵な溝にいる。このことに気付けば、人は怖れを抱き、その自然を僭越な心で探求するのではなく、沈黙のうちにそれを眺めるだろう。 ・信仰とは、理性だけでなく、心情も必要とすることが、彼の宗教に対する考え方であるようだ。神は試そうとしているものには姿を見せず、神を求めるものだけに姿を見せる、などである。 割とありきたりな問題から、パンセの天才的な鋭い洞察まで味わえる。
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後半のキリスト教義についての章は未読だが、前半の箴言集を読むだけのために買って読んでも損はなかった。人間についての鋭い箴言がちりばめられている。断章は各々短く、内容も独立しているので、パラパラとどこから拾い読みしてみても良い。宝石箱のような箴言集だ。
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かなーり昔の本ですか、現代においても通ずるところがたくさん。
気が向いたときにパラパラめくって目にとまった項を読むだけでもok。
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自分の宗教体験をきっかけに護教論を書こうとしたパスカルの、その草稿メモを集めたもの。全編をとおして含蓄に満ちた、まるで散文詩のような言葉がちりばめられています。感想がとてもまとまりそうにないので、私が衝撃を受けた断章と、それについてのコメントをつらつらと書いてみます。
断章23「言葉は、ちがった配列をすると、ちがった意味を生じ、意味は、ちがった配列をすると、異なった効果を生じる。」
私が大学、大学院でやってきた「読み」についての研究内容を、パスカルはたったの1文で表してしまいました。おそるべし。
断章77「私はデカルトを許せない。・・・彼は、世界を動き出させるために、神に一つ爪弾きをさせないわけにいかなかった。それからさきは、もう神に用はないのだ」
直感と信仰とを尊び、合理主義を徹底的に批判したパスカルの、デカルトと時代と母国とを同じくしたからこそ抱いた怒りのように、感じられます。
断章139「・・・彼らには、気ばらしと仕事とを外に求めさす、一つのひそかな本能があり、それは彼らの絶えざる惨めさの意識から生じるのである。・・・」
人は何もしないと、自身についてただ考え苦悩せずにいられなくなるような、不幸で惨めな存在である、と指摘するパスカル。私たちはなぜ仕事を持たないといけないのか。深く考えさせられます。
断章262「・・・よい恐れは信仰から起こる。偽りの恐れは疑いから起こる。・・・」
読んでいると、讃美歌「Amazing Grace」の2番を思い出します。パスカルの心情が2番に近いなら、デカルトのそれは6番「神は永遠に私のもの」に近いのかもしれません。
断章347「・・・たとい宇宙が彼を押しつぶしても、人間は彼を押しつぶすものより尊いだろう。なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。・・・」
「考える葦」で有名な断章の一節。考えて、人間の脆弱さを見つめることこそ、人間の尊厳の源であり、「道徳(=真偽を判断する力)の原理(=根源)」と説く。この謙虚な姿勢には感銘を受けるばかりです。
断章373「・・・私はここに私の考えを無秩序に、しかもおそらく無計画な混乱ではないように、書き記そうと思う。・・・」
パスカルはこのメモ書きたちの行く末を予見していたのでしょうか。少なくともこの「ブランシュヴィック版パンセ」は、この言葉通りの本になったのですから。
断章547「・・・われわれは、それと同時に、われわれの悲惨さを知る。・・・われわれは自分の罪を知ることによってのみ、神を明らかに知ることができる。・・・」
人間は欲深く高慢で惨めであると、パスカルは本書のなかで嫌というほど繰り返します。恐ろしくも迫力のあるこれらの指摘は、キリスト教徒ではない私をして、暗い奈落のふちに立ったような震えを起こさせました。
断章678「・・・符号は二重の意味を持つ。・・・まして文字どおりの意味に明白な矛盾が認められるときは、なおさらのことではあるまいか。・・・」
キリストの出現が旧約聖書の中にひそかに預言されていた、という主張の中の一節ですが、現代の記号論、暗号理論のような鋭い指摘です。
断章895「人は良心によって悪をするときほど、十全にまた愉快にそれをすることはない。」
こういうときほど、それを犯した人間の扱いに困るときはないし、こういうことが起こるから、倫理を規定し悪を予防することが難しいのだと思うのです。
(2008年6月 読了)
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ロメールの『冬物語』を観たら、セリフの中でパスカルが出てきてそれが凄く面白かったので興味が湧いて買ってみた。もちろん未だ全部読んでいない。この本はベンヤミンのパサージュ論の如く死後に遺稿を整理、寄せ集めて構成したものらしい。そういう書物は全て読む必要がなくて何だか気楽である。
そういえば中公文庫の1頁目に登場する怪しげな肖像は白井晟一によるものらしく、中公文庫渋いなあと思う年の瀬であります。
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(本の内容から抜粋)
幾何学と精神と繊細の精神との違い
前者においては、原理は手でさわれるように明らかであるが、しかし通常の使用からは離れている。
・・・
ところが繊細の精神においては、原理は通常使用されており、皆の目の前にある。・・ただ問題は、よい目を持つことであり、そのかわり、これこそはよくなければならない。・・あらゆる原理を見るために、よく澄んだ目をもたなければならず、次に、知りえた原理に基づいて推理を誤らないために、正しい精神を持たなければならない。
◆紹介:広報スタッフ
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「短い言葉が、それを露頭させている深い氷山の下の世界をよくうかがわせるに足る力をもっている」(大岡)
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644ページもあって,読み応え抜群で,ちょっとしんどかった.
読むのに2週間もかかった.
エリック・ロメール監督の映画「冬物語」で,登場人物がこのパスカルの言葉を引用しているシーンがあって,それが非常に心に残ったので読んだ.
冬物語より,パスカル「賭の論議」
「霊魂の不滅に賭けた場合,利得は大きく,確率の低さを補いうるし,不滅でないとしても不滅を信じることでよき人生を送れる」
というものであった.
私はこの出典がおそらく「パンセ」だろうと思って,読んだ.
実はこのパスカルの「賭け」についてという議論は有名な話らしい.
私が知らなかっただけだった.
上の論議ではそのロジックがいまいち不明瞭だけれども,本の方ではもうちょっと詳しく書かれている(ただし納得できるものではないが).
私は上のようなパスカルの考え方が好きだ.
これは神の有無などの問題を考えるときだけの話ではない.
何かをすべきかどうか,の判断で私がよく用いるロジックである.
人間,何かをすべきかどうか迷う場面がよくある.
する → 後悔する
する → 後悔しない
しない → 後悔する
しない → 後悔しない
の4通りがある.
だから,してもしなくても,後悔するかもしれないし,後悔しないかもしれないということになる.
ところで,この「後悔」とはなんだろうか??
当然,「しなかったらよかった」という気持ちである.
ここで重要なのは,なぜ「しなかったらよかった」と思うのか,である.
それは,そこにうまくいく可能性が残されていたからである.
この「可能性」というのがキーワードだ.
「可能性」というものは事象の生起が時間的に先である場合にのみ意味をなすものである.ゆえに,事象の生起が時間的に既に後ろである場合,すなわち,もう済んでしまったことの場合,可能性は意味をなさない.
これをふまえたうえで,最初の選択に立ち返ると,「する」という選択をした場合,「しなかった場合」の可能性は全て意味をなさない.
ところが,「しない」という選択をした場合,「した場合」の可能性はまだ意味をなすわけである.
ゆえに,どれだけ選択肢が多くとも,した場合の未来の可能性は,しなかった場合の未来の可能性よりも絶対に少なくなる.
可能性の多さが後悔につながる以上,これらの理由から,しなかった場合の方が後悔する可能性が高くなる.
ゆえに,「すべき」である.
このロジックに反論するのは簡単である.
しかしながら,その反論に反論するのも私は簡単にできる.
ゆえに,私は「すべき」であるという結論を支持する.
責任は持たんがね.
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“考える葦”でおなじみ、パスカルの草稿集。…最近よく本屋さんでプッシュしてませんか?(2012年6月25日 30刷発行か)
混迷の時代なんですかね。超訳ニーチェ、超訳ブッダ、そういうの多い気がするよ。
厳密には最初から最後まで「読み終わった」わけではないですが、そういう扱いにします。
時代のせいか(17世紀フランス)、キリスト教の話題が多めですね。
自省録(マルクス・アウレリウス)型の本ですな。
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人間は生まれたときに死へのカウントダウンが始まっている。
でもそれを考えるのが怖いので、気晴らしを求める。
昨日(2012/8/26)都内某所で自身初の哲学読書会を開催した。
その記念すべき初回にパスカルのパンセを課題本として選びました。
NHKの100分de名著6月号や、今年猫町倶楽部で暇と退屈の倫理学を
呼んでパスカルのパンセに非常に興味を持ったので課題本とした。
パスカルは恐るべし人間への観察力を持っていた。
もともと数学の天才だった彼が論理的に物事を考える能力を駆使して
人間を観察するもんだから、人間についてのコメントは300年も色あせない。
僕が気になった断章。412と413。理性と情念について書かれている。
人間は常に理性と情念の間で戦いをしている。
こうして人間は常に分裂し、自分自身に反対している。
例えば情念ではやりたいと思っていることを理性が止める。
これっていいことだろうと思うけど、
時にこの決断は僕を欲求不満にさせる。
生理的にやりたいことを否定するわけだから。
もう一つ気になったのは断章162
。人間のむなしさを十分知ろうと思うなら、恋愛の原因と結果とをよく眺めてみるだけでいい。
原因は私にはわからない何かであり・・・。
この章と断章163はグサリと心に刺さる。
こうして人間は不幸である、死について考えるのが怖い、
考えることが原罪であると言い切るんだが、
考えて考えて考えまくる人間は尊厳だといい、
人間は考える葦であるというあの名台詞へと至る。
これ以外のことは参加者に解説としてお伝えすることができたので、
ここではデカルトとパスカルについて述べ感想を終えよう。
デカルトとパンセは当時犬猿の仲だった。
パンセでは徹底的にデカルト批判をしている。
でも我々の先輩方はデカルトの理性は万能であるという考え方を採用し、
デカルトは近代哲学の祖といわれるまでになった。
でも21世紀になってから、そのデカルト的な考え方にひびが入っている。
その典型が原発事故。絶対安全だと政府は言ってきたので、
国民はそれを信じてしまった。でも結果はご存知の通り。
地震で安全神話は崩れた。パスカルは理性には限界がある、
時には直感を信じないといけないといっている。
あらゆる現象、出来事はメカニズムがあるというのはもはや一般人の
我々でも信用することが出来ない。
今こそパスカルの考え方に再度焦点を当てるべきではないか。
(参考資料:NHKの100分de名著-6月号)
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キリスト教が絡んでくる社会情勢の中で書かれたものでしょうから,パスカルの真意をよく汲み取れていないかもしれませんが,自分流の解釈をつけながら,記録していきます。
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哲学をばかにすることこそ,真に哲学することである。(断章4)
⇒否定学の精神か。「心理学をばかにすることこそ,真に心理学することである」も成立するのか?
人を有益にたしなめ,その人にまちがっていることを示してやるには,彼がその物事をどの方面から眺めているかに注意しなければならない。なぜなら,それは通常,その方面からは真なのであるから。そしてそれが真であることを彼に認めてやり,そのかわり,それがそこからは誤っている他の方面を見せてやるのだ。彼はそれで満足する。なぜなら彼は,自分がまちがっていたのではなく,ただすべての方面を見るのを怠っていたのだということを悟るからである。(断章9)
⇒物自体は見えない。ある側面からの解釈が全てではないという相対性を配慮しましょう。世界平和のためにも,科学論としても大事な視点だろう。