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[ 内容 ]
八十八歳の映画監督の夜にしのびよるすさまじい孤独、ひとときの救いは一冊の本だ。
新しい本には秘密の扉を開くときめきがある。
古い本もまたいい。
そのときどきの自分の生きた時代に出会える。
そのむかし、心を揺り動かしたものが、いまどんな姿をしているだろうか、別れた恋人に出会うような気持ちである。
スーパー独居老人の読書三昧。
[ 目次 ]
西田幾多郎からシェイクスピアへ
ラスコーリニコフ
荷風の断腸亭日乗
漱石と子規の「私」
テネシー・ウィリアムズの「私」
チェーホフの「私」
ゲイリー・ギルモアの「私」
棄民たちの「私」
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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1912年生まれ、99歳になった映画監督新藤兼人氏の88歳の時の読書日記。
「罪と罰」「心臓を貫かれて」「阿部一族」「日本の屠場」
新作「一枚のはがき」の発表会の様子を見るとまだまだ元気、映画を見に行こうかな…
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妻に二度先立たれ、近くには本がある。
本、それも劇作の中には、
作者の、私は何か、何者か?
という問いが渦巻いている。
戦争では死なない、つもりが
戦争の形の方が変容して
身近く迫って来ている。
年齢を重ねると、
お迎えも近いし。
二人の妻は、むしろ近くに
息づいている。
岩波新書、赤いカバー。
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読もうと思った動機は、「老人の読書日記が読んでみたい」だったのだけれども、書かれているのは当代一流のドラマメイカーによる文芸批評論だった。「老人読書日記」だなんてとんでもない。ものすごく面白い、文藝評論。
この本が出たのが2000年、ということは98年か99年の執筆、だとしても86歳の時の原稿である。とは、思えない。
小説や映画をはじめとした創作作業というのは「人間を描く」ことなのだけれども、新藤にいたっては「すべての登場人物は『私』だ」という。これ、若い書き手であればあるほど抵抗のある言い分で、そもそも「人間を書くことだ」ということさえ否定されない状況において、でも創作って結局は人間の起こした現象を人間が書く、ということでしかないと思うのです。そこは動かしようがない。
動かしようがないはずが、「動く」と思っているからものすごく浅くなるんですよ。だから面白くないものばっかりで、読者も「これが普通」と思っちゃう。この辺はあたしの愚痴。
なにが好かったか。みんな好かったけれども、子規の「私」に対する言及の「漱石と子規の「私」」は新しかった。どこにも、どんな状況の人間にも創作や文学は発生しうる、という新藤の炯眼は、この人でしか出来ない仕事だと思われた。
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「私とはなにか」を問い続け、妻を亡くした老人の孤独と苦悩が赤裸々に語られる。その年齢にならないとわからない事があるというのを思い知らされる。そう考えると、老いる事も悪くはないのではないか?と思えてくる。
印象に残ったのは<罪と罰>の「老人というのはそんなおだやかなものではない、妄執、欲望、恐怖、で苛立つばかりだ。過去に裏切られた数々の無念、また裏切ったことへの痛恨、確実に死に向かって一歩一歩近づいている恐怖、家族に疎んじられている口惜しさ。平和を愛するどころか修羅の巷といっていい」
誰もが老人になる。その時開く本はどのような存在なのだろうか?
新しい本はヒミツの扉、古い本は別れた恋人との再会になるのだろうか?
そんな生活が送れるのなら上出来なんだろう。
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新藤兼人監督読書日記、というか、著名人の著書を引き合いにしてご自分の人生観、人間観を語っている本です。とは言っても、流石に新藤兼人さんで厳しく研ぎ澄まされた人間観察が語られているので、読者も心して立ち向かう姿勢が必要です。