サイト内検索

詳細検索

ヘルプ

セーフサーチについて

性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示を調整できる機能です。
ご利用当初は「セーフサーチ」が「ON」に設定されており、性的・暴力的に過激な表現が含まれる作品の表示が制限されています。
全ての作品を表示するためには「OFF」にしてご覧ください。
※セーフサーチを「OFF」にすると、アダルト認証ページで「はい」を選択した状態になります。
※セーフサーチを「OFF」から「ON」に戻すと、次ページの表示もしくはページ更新後に認証が入ります。

e-hon連携キャンペーン ~5/31

hontoレビュー

ほしい本の一覧を見る

Spider’s strategy みんなのレビュー

予約購入について
  • 「予約購入する」をクリックすると予約が完了します。
  • ご予約いただいた商品は発売日にダウンロード可能となります。
  • ご購入金額は、発売日にお客様のクレジットカードにご請求されます。
  • 商品の発売日は変更となる可能性がございますので、予めご了承ください。

みんなのレビュー4件

みんなの評価5.0

評価内訳

  • 星 5 (2件)
  • 星 4 (0件)
  • 星 3 (0件)
  • 星 2 (0件)
  • 星 1 (0件)
4 件中 1 件~ 4 件を表示

紙の本

古く汚くなった街並みに感謝の花束を

2002/03/22 15:11

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:かいたろー - この投稿者のレビュー一覧を見る

 たったひとつのカメラで、東京の街を撮り続ける。土門拳賞を獲りながら、いまだに生活のために、夕刊紙配達のバイトをしている。私がテレビ(トップランナー)で知った金村修に関する情報はそれだけだが、それだけで写真集がもうれつに欲しくなった。すごく大切で、急速に失われつつあるものが、そこに写し取られている予感がしたからだ。

 都会では家やビルが無くなると、かつてそこになにがあったのかすら思い出せない。毎日見ていたはずの光景でもだ。人はそれほどに街の風景に無関心である。変わったことにすら気が付かない。
 かつて、新宿ゴールデン街を再開発すると聞き、なんて惜しいことをするのだと憤ったことがある(その後、バブル崩壊で、中途半端にではあるが残ってしまい安心したが)。街の風景は、人の日々の営みが作る生き物のようなものだ。50年かけてできたゴールデン街は、一度なくしてしまえば、もう2度と再現できない。そこにあった文化も人も、時には記憶さえも消える。後に残るのはあっという間にスラム化してしまう、コンクリートとガラスのビルだ。

 金村のカメラは、そんな東京の片隅に、ひっそりと息をする街の風景を捉える。たとえそれが排泄物のような光景でも、排泄物がでるのは生きている印だ。人までもが風景になってしまったかのようなその写真には、何十年かけて熟成してきた、街の顔がある。

 古くて汚い町並みを綺麗にするのがいいことなのか? 捨てられてしまうものに価値はないのか? 人は生きて、みんな古く汚くなっていくのだから、古くて汚いものを慈しもうよ。そんなことを感じながらページをめくると、最後の桜のショットが打ち上げ花火にも墓標にも見えた。自分の生きてきた街に花を手向けたい。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

錯視という名のノイズ

2002/02/17 18:04

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:coil-tg - この投稿者のレビュー一覧を見る

 写真が既にあるモノしか捉えることができないというのが、前提としてあるのはわかりきったことだが、改めて印画紙に写しだされた風景をみると、果たして、ここに写し出された風景は本当に実在するのか? と思うことがある。赤の他人が聞いたら、こいつどうかしているんじゃないかと、言われそうだが、そうした意見の方が正しいことはわかっている。しかし、それは私たちが生きている世界に対して、一点の疑いも持たず、ただ流れ行く日々を甘受しているだけに過ぎない。ある意味、それは利口な生き方だが、世界は多くの人間が思っている以上に平穏ではなく、目に見えない不穏が漂っている。

 金村修氏の写真を見るたびに、果たしてこれは現実かと疑問を持つ。世界がこれほどまでに腐敗していたかと信じられない気持ちにさせられる。しかし、写真は眼の前に現存するものしか撮ることが出来ないのだから、金村氏が撮り続けてきた世界はまぎれもない現実だ。だとしたら、余計に愕然とせざるを得ない。世界は我々の手に負えない状況に陥っている。

 ある日、街を歩いていたら、ある種の既視感に襲われた。そこはよく歩く場所だ。何故そんなところで既視感を感じたのか、釈然としないでいると、ふと思い出した。それは金村氏が捉えた場所だった。その場所を現実の空間ではなく、平面に置き換えられた写真の中でも体験していたのだ。あたりを見回すと、日常が何の変わりもなく進行し、様々な音が反響し合っている。そういえば、金村氏は写真以前に音楽をやっていたなと思い出した。金村氏は現実の事物を感覚しながらも、同時に錯綜する音の群れをも感覚しながらシャッターを押しているのではないかと考えながら、その場を去った。

 金村氏は聴感覚のメディアから視感覚のメディアへと移行した。
 その感性は写真の中にも表れているように思う。金村氏はメロディもコード進行も無視したただ音がひたすらに鳴っている、そんな空間を捉えている。それは、楽譜に起こすことできないノイズだ。普通の人の耳では耐えられないほどのノイズだ。しかし、人々はそんなノイズまみれの日常を通り過ぎている。それも、何の疑いも持たずに。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

紙の本

「汚い街」。敗戦から六〇年、日本及び日本人が必死に頑張った結果

2001/02/28 15:15

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:安原顕 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 この写真集のプロデューサー、澤田陽子は実にしぶとい女性だ。まず平凡社の編集者を辞め、ユニークで主張のある季刊写真誌『デジャ=ヴュ』の創刊に関わり、後にはその編集長、その後はタブロイド版月刊写真誌『デジャ=ヴュ ビス』を創刊、しばらく連絡がないなと思っていたら、こんな写真集を制作した。聞けば「bk1」のタカザワ君と組んで「写真集サイト」も手伝っているようで、このサイトの第1回は、タカザワ君が聴き手になり、大倉舜二写真集『TOKYO X 』を巡るロング・インタヴューが載っている。
 『スパイダーズ・ストラテジー』の写真家金村修は1964年、東京生まれ。92年から作品を発表し始め、97年、日本写真協会新人賞、00年、第19回土門拳賞を受賞した。本書には磯崎新の「金村修論 蜘蛛の戦略、あるいは記法の廃墟に」が載っており、帯裏のその抜粋があった。ぼくも、引用するならこの部分だなと思ったので、以下に書き出しておこう。「……建物らしいものがみえる。だが建築と呼ぶにはあまりになげやりだ。/都市の光景らしい。だが、本来は、都市を特徴づけた調和した景観なんてない。いわんや広場と呼ぶもののかけらもない。/路地だろうか。しかし、懐かしい生活の雰囲気は消えている。(……)金村修の写しとった路地や裏通りやガード下に、私はジャンク・ヤードのゴミの山と、震災の瓦礫の散乱をみてしまった。それは都市の排泄物、建築物の断片。いずれもが廃墟だ。とはいっても、日常的な既視感のあふれる場所であり、ほとんどが放置されたあげくに忘却されている。ここでの特徴は、わずかの残余もない程に、ガラクタのように物品で、都市空間らしいものが蜘蛛の巣状に埋めつくされていることだ。パリにもニューヨークにも類似の場末はみいだせるかもしれない。だが、この断片的な光景こそが大都会(メトロポリス)という形骸をまとってはいても深層部において、既にメルトダウンを起こしている東京という街を代理表象してするとみえるのだ」。
 とにかくこの写真集には「汚い街」しか写っていない。発展途上国の場合、その「汚さ」は活気を意味する場合もあるが、金村修の写し撮る日本のそれは、瀕死の病院の汚物や、貧乏の果てにやる気をなくし味噌と糞の区別もつかず、ただ朽ちるのを待つだけの街を想起させもする。敗戦から六〇年、日本及び日本人が必死に頑張った結果がこれとは、あまりに情けないような気がした。

このレビューは役に立ちましたか? はい いいえ

報告する

2011/03/22 22:27

投稿元:ブクログ

レビューを見る

4 件中 1 件~ 4 件を表示
×

hontoからおトクな情報をお届けします!

割引きクーポンや人気の特集ページ、ほしい本の値下げ情報などをプッシュ通知でいち早くお届けします。