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two swallows
red of neck
sitting on this beam,
and my mother
dying!
いきなりの横文字で恐縮であるが、これは茂吉の歌のなかでももつとも人口に膾炙したものの英譯である。
篠田成之といふ人とSanford Goldsteinといふアメリカ人の共譯「Red Lights」所收だそうな。
著者の北杜夫はいはずと知れた「どくとるマンボウ」博士で、私も主に中學、高校時代には讀み耽つたものだ。特に「どくとるマンボウ青春記」は愛讀書のひとつで、文庫本ながら表紙がすりきれるほど何度も讀みかへしてゐる。
ご存じの方も多いと思ふが北杜夫は本名齋藤宗吉、齋藤茂吉のれつきとした(?)次男である。大歌人を父に持つた北杜夫は青年時代さぞ鬱陶しかつたことだらう。
しかしながら、此の本は次の文で結ばれてゐる。
「こういうことをこの齡になって書くのはいかにも恥ずかしいが、いかなる天の計らいか、私は茂吉を尊敬してしまった文學者の中の微小な一人であり、そして、いかにも卑俗ながらも今も亡父を敬愛している不肖な息子なのである。」
私が茂吉の歌に初めて接したのは中學の頃で、さきに記した「青春記」であつた。それまでは名前すら聞いたことがなかつた。その後文學史の授業で冒頭の歌を習つたような氣がするがよく覺えてゐない。大學に入つてから「赤光」を岩波文庫で讀んだのが茂吉體驗といへるかもしれないが、けつして良い讀者とはいえなかつた。
そんな私の好きな歌。
あかあかと一本の道とほりたりたまきはる我が命なりけり
今囘この本を讀んでいくつかの茂吉の秀歌にあらためて觸れることができたことを倖せに思ふが、それ以上に、北杜夫の父に對する思ひが傳はつて來て、しみじみとした氣分になつた。
私が北杜夫の作品に初めて接してから、はや30餘年。マンボウも既に70歳、いつまでも矍鑠として「幽靈」のやうなリリシズム溢るる作品を書き續けてもらいたいものである。
蛇足ながら冒頭の歌のオリジナル。
のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳ねの母は死にたまふなり
2003年4月4日讀了