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んー…。
熊の敷石も砂売りが通るも嫌いじゃないけど。
カマンベール投げがやたらと印象に残ったかな。
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「なんとなく」という感覚に支えられた違和と理解。そんな人との
つながりはあるのだろうか。フランス滞在中、旧友ヤンを田舎に
訪ねた私が出会ったのは、友につらなるユダヤ人の歴史と経験、
そして家主の女性と目の見えない幼い息子だった。芥川賞受賞の
表題作をはじめ、人生の真実を静かに照らしだす作品集。
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「なんとなく」という感覚に支えられた違和と理解。そんな人とのつながりはあるのだろうか。フランス滞在中、旧友ヤンを田舎に訪ねた私が出会ったのは、友につらなるユダヤ人の歴史と経験、そして家主の女性と目の見えない幼い息子だった。芥川賞受賞の表題作をはじめ、人生の真実を静かに照らしだす作品集。
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電車の中のやり取りが微笑ましい。
目の見えない子供に渡した熊のぬいぐるみの目がばつにしてあるところが、
なんとも悲しい。
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読んでいて入って行けない小説。評価がある程度高く、この小説を気に入っている人のすすめで読んだが、下手な翻訳小説を読んでいるような文体だし、何も感じなかった。私の感受性が駄目なのかと思ってしまった。人気があるらしい。書評などもしていて、偉い人らしい。僕は評価しないけど。
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フランスらしい、上品で格調高い雰囲気の中に、主人公の「私」と彼を取り巻くひとびととの交流が淡々と描かれる。内容といったらそれだけなのに、心の奥深くにずーんと重く響く話だ。ひとと分かり合おうとすること、相手が抱える過去や痛みも完全に理解しようとすることは、かえって傲慢なことなのかしら。
タイトルの『熊の敷石』は、ラ・フォンテーヌの『寓話』から取ったもの。
傷つけず傷つかないように、少し冷めた態度で友人と触れ合おうとする主人公の悲しさ、それと同調するようにして、この寓話の悲劇性が切なく心に迫る。
どこまでも灰色で、読みすすめるには曖昧な痛みを伴う物語だけれど、だからこそ深く心に残る、良い話だと思った。
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いくつもの物語に出会う旅は、
フランス人なら誰でも知っているという寓話にたどりついた。
☆熊の敷石
リトレ ラ•フォンテーヌ
忠実な蠅追いは敷石をひとつ掴むと、それを思いきり投げつける。
☆砂売りが通る
眠くなる
☆城址にて
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私は他人と交わとき、「なんとなく」という感覚に基づく
相互の理解が得られるか否かを判断し、
呼吸があわなかった場合には、おそらくは
自分にとって本当に必要な人間ではないとして
徐々に遠ざけてしまうのがつねだった。
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「熊の敷石」=いらぬお節介。
ノルマンディー地方のとある田舎にて、私は「なんとなく」意気投合をするユダヤ人のヤンと、フランス文学やら局所的な悲劇やらをテーマに言葉を交わし合う。
リトレの辞書からフォンテーヌの箴言を導き出す内、私は気づく。
結局、お互いに敷石を投げ合っているんじゃないか。
異邦人である私とヤンが、互いの傷を晒し嘗め合い、言葉を応酬することに何ら意味は生まれないはず、隣で全く目の見えない幼児こそ、その愚かさを知るかのようである。
評:情熱ではなく冷静な筆致でたんたんと描写される文章は、品の良さを痛く感じる。
知識に裏打ちされた確かな文学を久しぶりに目にする。
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(2005.08.08読了)(2001.03.06購入)
芥川賞受賞作の「熊の敷石」の他に2つの短編「砂売りが通る」「城址にて」が収められている。
フランス文学専攻で、フランスで暮らしたこともあるので、どの話にも、フランスのことやフランス語のことが出てくる。
ーーー
熊のいちばん大切な仕事は、老人が昼寝をしているあいだ、わずらわしい蠅を追い払うことだった。ある日、熟睡している老人の鼻先に一匹の蠅がとまり、なにをどうやっても追い払うことができなかった「忠実な蠅追い」は、ぜったい捕まえてやると言うか言わぬか、「敷石をひとつ掴むと、それを思い切り投げつけ」、蠅もろとも老人の頭をかち割ってしまったのである。
ーーー
●「熊の敷石」
主人公は日本人、翻訳の仕事をしているらしい。数年ぶりに訪れたパリで過ごしている。昔の友人に連絡をとって会うことにした。友人の名前は、ヤンというユダヤ人。カメラマンをやっている。
今、取り組んでいる仕事は、19世紀後半に「フランス語辞典」を書き上げたマクシミリアン=ポール=エミール・リトレの伝記についての紹介文と部分訳を作ることだった。ヤンが今住んでいるところは、リトレの出身地であるアヴランシュだと言うことがわかったので、訪ねてゆくことにした。モン・サン・ミシェルから車で30分ぐらい内陸に入った辺りだという。モン・サン・ミシェルは、海岸近くの小さい島で、潮が引けば陸続きになり、潮が満ちれば海に囲まれ孤立した島になる。その島に12世紀から13世紀にかけてベネディクト派のゴシック式僧院が建てられ、そびえている。
モン・サン・ミシェルをヤンのお気に入りの場所から眺めて、ヤンの家に泊めてもらった。ヤンの家にリトレの「辞書」の端本があるというので、敷石を意味するpavéを引いてみると「舗装に使う砂岩や固い石の塊」という説明にラ・フォンテーヌの引用があった。
忠実な蠅追いは敷石をひとつ摑むと、それを思い切り投げつける。
蠅を殺すためにわざわざ重い敷石を投げつけるとは、いったいどういう状況なのか。そして、石を投げたのはいったい何者なのか。
ヤンの友人の家で、ラ・フォンテーヌの「寓話」を見つけたので、第8巻第10話を見ると「熊と園芸愛好家」という題が付されていた。
山奥に住む熊と園芸好きの独り暮らしの老人が意気投合し一緒に暮らし始め、熊は狩に出かけ、老人は庭仕事に精を出した。但し、熊の一番大切な仕事は、老人が昼寝をしている間、わずらわしい蠅を追い払うことだった。ある日、熟睡している老人の鼻先に一匹の蠅がとまり、何をどうやっても追い払うことができなかった。「敷石をひとつ摑むと、それを思い切り投げつけ」、蠅もろとも老人の頭をかち割ってしまった。
この訓話が転じて、今ではいらぬお節介の意味で「熊の敷石」という表現が残っている。
●砂売りが通る
フランス語で眠くなることを「砂売りが通った」と言うのだ。
どうしてでしょう?
●文庫版
「熊の敷石」堀江敏幸著、講談社文庫、2004年2月
著者 堀江 敏幸
1964年 岐阜県生まれ
早稲田大学文学部仏文科卒
パリ第三大学博士課程留学
20世紀フランス文��専攻
1998年 「おぱらばん」で第12回三島由紀夫賞受賞
2001年 「熊の敷石」で第124回芥川賞受賞
(「MARC」データベースより)amazon
いくつもの物語に出会う旅は、フランス人なら誰でも知っているという寓話に辿り着いた。第124回芥川賞受賞作品。表題作のほかに「砂売りが通る」「城址にて」を収録。
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なんか私には難しかった(^_^;)
でも、フランスの寓話が色々でてくるので、フランスに興味ある人にはオススメだと思います。
表題作より2作目の「砂売りが通る」の方が好きだな~
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仕事で訪れたパリで少し余裕ができた私は
ユダヤ人の友達、ヤンと会うことにした。
彼が住んでいるところはちょうど私が今翻訳をしている
リトレの出身地のアヴランシュだった。
モン・サン・ミシェルのすばらしさ。
熊は蝿を追い払うために敷石を投げる。
装丁:堀江敏幸+磯上浩久(GRID)写真:エルヴェ・ギベール
情景描写がすごく上手いと思う。
地の文をじっくり読みたいって感じたのは久しぶり。
熊たちの上を走りぬけ、甘い水が歯にしみる。これは予知夢だったのか。
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人との付き合いには様々な距離感があり、知らないうちに他人を傷つけていることがある。全く問題なく接しているとは思っても、その人やその国の当たり前の気持ちや歴史を考えていない行動を実はしているかもしれない。なかなか難しい。内容も。
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不思議な日常。やっぱり異文化のせい?一緒に読んだ「ゼラニウム」より読みやすかったと思う。
あとちゃんと歯医者行こうやと思った。
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☆芥川賞
薄暗い山に迷い込んで、不思議な下草の上を歩いていた。しかしそれは、おびただしい数の熊の大群の背中だった。
…恐ろしい夢から覚めた「私」は、自分がノルマンディー地方の小さな村のはずれにある、友人ヤンの家に泊まっていたことを思い出す。そこは、「私」が仕事で関わることになったリトレの出身地、アヴランシュに程近い田舎だった。「私」は運命に導かれるようにリトレを追ううちに、ラ・フォンテーヌの寓話に辿り着き、熊の夢の暗示する意味を理解することになる。表題作の他、「砂売りが通る」「城址にて」の二作を収める。
タイトルの「熊の敷石」は、実はある訓話から発した教訓であった。その意味が明かされるシーンでは、心臓がヒヤッとした。まるで自分に対して警告されたかのよう。上手く言えないけど、初めて読むタイプの小説だった。