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鴻門の会は項羽のおじが項荘と剣舞をしてから、劉邦側の武将が剣舞したと書いててびっくり。項羽のおじの項伯は張良の親友だったことから助けたけど、劉邦のラッキーさにはびっくりです
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左遷って言葉はここから来てたんだ…馬鹿の語源といい勉強になる。
秦が滅亡し、項羽と劉邦の対立関係が浮き彫りに…
劉邦漢中入り。
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有名な「鴻門の会」を描く第4巻。息子が漢文の授業の予習で「鴻門の会」を書き下したものの、いまいちイメージをつかめていないようなので、「鴻門の会」そのものの流れと前後の経緯を理解させるために購入。元ネタは江戸時代の読本「通俗楚漢軍談」らしいので『史記』「項羽本紀」の記述とは多少異なるが、淡々とした描写がむしろ司馬遷の簡潔な文章と通じるものがあるかも知れない。このような形で中国史、中国古典に親しむことができるのも横山光輝先生のおかげだ。それだけに、先生の非業の死が惜しまれてならない。
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2022年5月19日
最初は咸陽にて皇帝3代目の子嬰が宦官達に降伏したほうがいいと言っているところから始まります。それを子嬰は受け玉璽を劉邦に渡そうとしていますが実はその夜1夜泣き明かしたと書いてあります。
数日後、子嬰は玉璽を劉邦に渡し降伏しました。ちなみに子嬰の在位は46日間ほどだそうです。そして劉邦の陣にて軍師として全巻仕えた張良、三国志にも似たような名前の人が出てきますね。
その張良や諸将が子嬰を許したのをなぜだと問い詰めますが、とある老将は楚王の項羽に任せた方が良いと言い楚王の項羽に任せられました。そして劉邦の家臣の簫何が書物のようなものに目を奪われ兵士たちは咸陽宮のお宝に目を奪われています。
ちなみに簫何が持っていった書物は項羽との戦いで活躍します。
そして劉邦は3000人の美女に目を奪われている言葉が出てきます。
ですが家臣たちの言葉により3000人の美女と宝は諦めました。
その後に劉邦は3つの法律を作りました。1つはまず人を殺した人は死刑、2つは人を傷つけたものは重罪、3つには盗みを働いた人はその軽重によって罪を決めました。「なんともわかりやすい法じゃ」「子供にも分かる」と諸県の長老たちは歓喜して劉邦の陣を出ていったというところで終わらせていただきます。
ここまで読んでくれたらありがとうございました!