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紙の本
正しい殺人のすすめ
2002/09/11 11:12
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投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私の友人は国際的な商品マーケットを舞台に投資活動を行うプロで、そのビジネスにはアメリカのロビーストとのコネクションが欠かせず、そのつき合いで得た、角栄失脚の真相、加藤紘一反乱劇のミステイク、小泉新政権の役割など日米政府間の裏情報を聞かせてくれるが、誠にミステリアスな世界である。彼が語るところでは「当分日本はアメリカのいうがままに、なすすべもなく敗走を続けるであろう」と悲観的である。アメリカは原則論の国なのだそうだ。「政治家は確固たる理念を持ちその原理、原則を整然と声高に主張する」。ところが日本の政治家は主張するに枝葉末節にとらわれ、信念としての国家観、主張すべき原理など自分のものにしていない、まして言語力が貧困では「議論して敵うはずがない」状態なのだそうだ。憂慮すべきことである。
「どんな国でも、国民が重要だとみなすものを基準として特有の道徳や倫理規定を持っている。名誉がもっとも尊重すべきとされた時代、品位にだけ関心を寄せる時代………。理性の時代は理性をもっとも価値が高いものと祭りあげ………、アメリカでは建国初期は労働倫理がもっとも大事な道徳表現であり、その後しばらく財産価値が他のなによりも尊ばれたが、近頃は変化した。今日、我々の倫理規約は、目的が手段を正当化するという考えの上になりたっている。我々は信じるだけでなく、口に出して言う。我々の政府高官はいつも自分の目的に基づいて自分の行動を弁護する」。
この言葉はかの友人の言のようだが、そうではない。ドナルド・E・ウェストレイク「斧」に登場する主人公の最後の独白である。この小説は途中面白いとは思わなかったし、読了しても、所詮B級でしかないのであるが、この部分だけが関心を寄せた強烈に印象的なところである。リストラされた平凡な男が、「家庭の平和と安寧を守るという崇高な理念・原理・原則」を達成するために再就職活動を進めるが、その活動はねじり鉢巻資格取得勉強でも、カンニング技法練達でもない。受験勉強と同じ感覚で、汗水たらしながら、なんと! ライバルたちを次々と殺害していくのである。アメリカに潜む狂気。この作品はブラックユーモアらしいが、友人のお話からこの狂気をあらためて現実のものとして受けとめました。なるほどこれでは日本は殺されてしまいます。
「斧」にわずかに光るものがあるとすれば、あの歴史的名画を想起させるからだ。
かの人が生きてきた時代の為政者に対する憤怒と弾劾の思いを、最後の一言に凝縮させ、万感ゆする痛烈な皮肉で告発する、それ以外はそのためだけにある作品。
大恐慌によって破産し、すべてをかけて守ろうとした妻子を失ったヴェルドゥ。生きる為に平然と「生きる価値のない社会の寄生虫」たる有閑マダムを次々に殺害し、資産を奪う。彼は実直に銀行員を勤めた平凡なビジネスマンで、これらの殺人をビジネスライクにこなす。そして裁判。彼は語る。「大量殺人は世界が奨励しているのです。大量殺人のために兵器を大量生産して、罪のない女子どもを実に科学的に殺しています。大量殺人では私はアマチュアです」。
牧師の祈りを振りはらって絞首台に向かう彼は最後に。「私にとって殺人はビジネスでした。ひとり殺せば殺人者。百万殺せば英雄。その数が殺人を正当化するのです」。
チャップリン「殺人狂時代」昭和22年の作品である。
紙の本
エンターテイメントな犯罪小説
2001/05/06 16:49
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投稿者:旅歌 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ノワールといえば、あのジム・トンプスンやジェイムズ・エルロイを思い出す。必要以上に自分のダークサイドを刺激されるのは決して気持ちの良い行為とはいえないが、きれい事を並べ立てた偽善よりはよっぽど人間の真実に近いような気がしている。ノワールを読むのには、単なるミステリ以上の体力を必要とするので、今回もかなり構えて読んだ。ああ、ところが、作者がウェストレイクだとすっかり忘れておりました。エンターテイメント小説の権化。
ウェストレイクは紛れもない、ミステリの最後の巨匠であると同時に、訳者・木村二郎さんの解説を読むまでもなく、他にいくつもの名前を持って、ミステリを中心としたあらゆるジャンルのエンターテイメント小説を書いていることでも知られている。それでも、巻末のジャンル・リストを見て驚いてしまった。そういう意味では、読者を楽しませようという作者の思いが充分に伝わる作品ではあった。
リストラに遭った主人公が職を得るために、自分の業界で似たような境遇にある求職者たち6人+αを殺害するというストーリィ。ともすれば、平坦なマンハントに陥りそうなストーリィに、家族問題やら何やらを絡め、殺人それ自体にも工夫を凝らして読者を飽きさせないように充分に配慮されている。短絡した主人公バーク・デヴォアの精神が揺れながら、自分の犯した罪を正当化する。主人公の強弁は破綻しているのだが、いつしか納得させられているような気分になってしまう。他人事と思えなくなるのだ。
主人公が善良(殺人者を善良とは呼ばないが…)な一市民なら、主人公に殺害される者も善良な一市民。そこで、作者が提出したアイディアが個人名の完全なる記号化なのだろう。個人名の記号化。例えば第一の標的はハーバート・コールマン・エヴァリー。彼の記号は、それぞれの頭文字を取って「HCE」だ。同じように、エドワード・G・リックスは「EGR」。6人+α全てがミドルネームを持っていて、全てが記号化される。これは作者の茶目っ気たっぷりなユーモア?ととれなくもないけど、善良なる精神を持った者が殺人を行うには、主人公バーク・デヴォアのようになるべく標的から人格を排除し、できるだけ交友を持たないようにして「記号化」する必要があったのではないかと推測する。
最後に。標的の軒先で殺人を繰り返すので、そんなのありかよ、と読みながらずっと思っていた。だって、それでも目撃者はいないし、証拠も残らないし、警察の手も伸びてこないんだから。でも、はたと気がついた。わが日本の住宅ならば、軒先で殺人を犯して住宅の密集地を何度も逃げ切るのは不可能に近いでしょう。だが、物語の舞台はアメリカなのだ。アメリカの住宅事情って、こんな犯罪を可能にさせるほど優雅なのか。おかしなところで、感銘を受けてしまったのである。
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