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高校生の時に読んで、結構衝撃的でした。オトナって、というか老人て、というか谷崎て……深い、深すぎる。
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読み終わってすぐに最初から読みなおした本。
谷崎作品のクライマックスって感じで期待を超えた面白さだった。
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77歳にして,このように夢中になれることがあるのは幸せだろうな.足が悪くって歩くのがおぼつかなくても,手が痛くても,日記を書きながら現実と妄想の世界を行ったり来たりする.この妄想力が私など足下にも及ばない.巻末の解説で吉行淳之介が言っているように,ここまでくるとある種の滑稽感も感じられる.実際,「そこまで考えるのかよー」というような感じで吹き出してしまった箇所がいくつかあった.(滑稽でなく,ただ気持ちが悪いと思う人がいても,それはおかしくはないと思うが).
これを書いたとき,著者自身77歳だったそうで,なんともすごい作家が日本にもいたものだ.
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老人変態思考満載。日記方式、主人公の老人、テーマなどは著者の別の作品である「鍵」に似ている。「鍵」はゾッとさせられるところもあるが、こちらは喜劇にちかい。読むのなら「鍵」と読み比べると面白いとおもう。
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間が悪くというか、鍵の次に読んだので、少し類似感があった。それと、谷崎さんの中で、私の中では幇間と1、2位を争う怖さ?気持ち悪さはあるかも。。。ちなみに、カタカナ多用で読みにくさはあります。棟方志功の板画は美しい。
古典であり、あらすじはいたる所で紹介されていることと思うので、軽く。見てくださる方は、お気をつけてください。
孫の嫁に性的懸想を抱く老人と嫁の日々が、老人の日記形式で描かれる。最後に大どんでん返しがある。気持ち悪いが、やっぱりすごいとは思う。あとがきに有るように、なかなか老人の性、しかも性欲、そしてそれに体力が続かない物悲しさ、こっけいさ、ある種のカワイラシサ?を感じさせる作品はない。
何がすごいって、谷崎さんが主人公と実際に同世代であるということ。
嫁は踊り子あがりで、蓮っ葉に描かれており、主人公をいいように翻弄しているが、老人の眼に映るより実は常識的で、老人の精神状態を案じ、彼の孫である旦那と精神科医に相談に向かっていたことが最後で発覚。どっちが本当なの?という点で、少し安部公房の箱男を思い出した。
途中で、その嫁の関心を引こうと、嘘泣きをするシーンがある。ところが、これに対して、ひ孫が純粋な気持ちで心配して部屋にやってくると、予期せぬ涙が出てくる。こういったシーンもきっちりある点が、気持ち悪いだけで終わらず谷崎さんらしいと思う。そして、ひ孫が入室を禁じられているので、恐る恐る気配だけ漂って、なかなか入ってこない描写などうまい!
私が読んだのは1977年初版で、2001年発行のもの。
吉行淳之介の解説、そして千葉俊二氏の舞台裏の解説は面白く、颯子のモデルである渡辺千萬子との往復書簡集を読みたくなった。
実際に読んだ後だと、千萬子とたをり親子の薄汚さが分かって、嫁とひ孫の気遣いが嘘だと発覚
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まさに私の同居の義理の父が77才。老人の滑稽な面に失笑しつつ、気味悪い後味の悪い感がぬぐえない。
谷崎の執筆当時と比べれば現代の老人は元気溌剌、性生活までは知るよしもないが、自由な思考のもと、謳歌している老人も多かろう。
これもまた読んで開眼。
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とにかく凄い小説。物語じたいももちろん凄いが、コレを現在でいう後期高齢者になった谷崎が書いているというのも凄い。内容としてはほかの作品にも見られるような、著者の真骨頂ともいえるフェティシズム、マゾヒズムが全開になっており、77歳の老人・卯木督助が、息子の妻である楓子に対して性的に溺れ、また仏足石をつくりたいという願望を抱くようになるというもの。「ネッキング」の場面の描写などを読むと、所詮は創作とはいえ、谷崎本人もつくづく「変態」であるということがよくわかる。ただ、それだけではただのポルノ小説である。このようにたんに性慾を吐露するだけではなく、老人ゆえの死生観や、気持とは裏腹に日日衰えゆく身体の様子なども描かれていて、それがまた巧みである。やはりノーベル文学賞候補になっていただけあって、谷崎はじつに偉大な作家である。
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谷崎潤一郎 「瘋癲老人日記」
死ぬまでマゾヒズムを探究した老人を描いた小説。
老人の性を 滑稽に描きすぎて 主人公に 哀れさを感じたのは 時代感覚の違いかもしれないが、作品自体に下品さは感じなかった。文学として面白かったと思う
文学(人間描写)の面白さ
*日記形式が 死のカウントダウンを感じさせ、マゾヒズムの探究が 死の恐怖を克服している〜死と性のテーマが成立している
*息子の嫁への妄想が 亡母への思慕に直結し、お墓に入ることが母の母胎に戻るような感覚で捉えられる〜老人の子供戻り、人間の退行現象が見てとれる
カタカナの文体はとにかく読みにくい。主人公の病質性を示す意図があるのかもしれないが、読みにくくて 物語の筋を見落としている気がする。
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77歳の卯木老人は、息子の妻・颯子に惹かれ、素っ気なく気まぐれな彼女に冷たくあしらわれることにも喜びを覚える。愛を得ようと、大金も与え、生命の危険も顧みない。ひいては颯子の足型から仏足石を作り、それを墓石にしようと企む。
颯子は『痴人の愛』のナオミの系譜にあたる。
しかし、発作を起こしたあとは看護婦や医師、娘の手記に変わり、そこで描かれる颯子は案外常識っぽく、老人の日記の颯子は自身の願望によってデフォルメされていたというのがわかるようになっている。
老人が颯子に駄々をこねるシーンは異様。
ほぼ全編カタカナ表記なので、少し読みづらい。
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カタカナ文主体で読みにくい…
かと思えば意外とスルスル内容は入ってきた
谷崎文学はフェティシズムとマゾヒズムが特徴的と言われるが、まさにこの作品もそんな特徴を遺憾なく発揮している
俺は好きな女の子であっても踏まれたくはない…