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戦後ドイツの社会思想がどのような状況のなかで展開され、そこにどのような意義を認めることができるのかを論じた本です。
著者はまず、フンボルトの掲げる近代的な「教養」の理念がドイツの知識人社会のなかではぐくまれてきたことを指摘しています。そのうえで、アーリア民族の精神を掲げたナチス・ドイツという体験をくぐり抜けたことや、戦後の学問の専門化の急速な進展によって、かつての教養の理念がそのままでは受け入れられなくなったことを明らかにします。こうした背景のもとで、ゲーレン、シェルスキー、ハーバーマス、ルーマンといったドイツの思想家たちが、どのようなしかたでそれぞれの社会思想を構築していったのかが明らかにされていきます。
ゲーレンやシェルスキーの社会思想についてはあまり知られていませんが、ハーバーマスやルーマンの思想についてはある程度広くその概要は知られているといってよいのではないかと思います。本書では彼らの思想に関してあまり突っ込んだ議論が展開されているわけではありませんが、戦後ドイツの大きな状況のなかで彼らの思想がもっていた役割に焦点をあてるというユニークな試みがなされており、それなりに興味深く感じました。ただ、彼らの周辺の思想史的状況について、もう少しくわしい議論を展開してほしかったという気もします。