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漫才作者秋田実 みんなのレビュー

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みんなのレビュー3件

みんなの評価4.5

評価内訳

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3 件中 1 件~ 3 件を表示

紙の本

知らん間に漫才作者になってしまった笑いの天才

2001/11/24 15:53

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Snake Hole - この投稿者のレビュー一覧を見る

 昭和初期,上方漫才が現在の形になる揺籃期の傑作に,エンタツ・アチャコの「早慶戦」というのがあった。とゆーとまるでオレがえらい詳しいみたいだが,名前を知ってただけ。…海の向こうの似たような話芸,アボット・コステロの傑作がやはり野球ネタの「Who's on first? (誰が一塁?)」(実をいうとこれはちゃんと収録されているCDを持っている)なのと妙な符合であるなぁ,と思っていたんだけどね。この本は,その「早慶戦」を初めとする数多のしゃべくり漫才を書いた「漫才の育ての親」,秋田實の評伝である。
 文字で漫才を読むと言うのは同じ話芸である落語を文字で読むのと同様,いやそれ以上にまどろっこしい行為なんだが,一応その「早慶戦」も全文収録されている。なるほどこういう話だったんか,と思いましたね,それだけでも捨てられない資料的価値があるぞ,この本は。
 いやそれにしても,昭和初期,旧制大阪高等学校を出て東京帝国大学に進学,そこで社会主義の活動家になった秋田實が,大阪朝日新聞記者の白石凡の紹介で横山エンタツに逢い,当人の言葉を借りれば「知らん間に漫才作者に」なってしまうまでの経緯は大変興味深かった。
 なんてのか,ジャンルを問わず新しいモノが産まれるその時に立ち合っているその興奮が富岡多恵子(もともとは詩人なんだよな,このおばはんは)の筆致で鮮やかに浮かび上がる。面白い本でありました。…とこれだけぢゃあんまりなので,「早慶戦」からちょっと引用しよか。
 アチャコ:あの時に山下が盗塁したやろ?
 エンタツ:盗塁をねぇ。
 アチャコ:はぁ,滑り込んだがな。
 エンタツ:レフトへ!
 アチャコ:なんでレフトに滑りこむのやな?
 エンタツ:いや,そこんとこ君,いうけどね。そこらが野球の作戦でっせ。
……どっかにCDないかなぁ?

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紙の本

ある“転向”——プロレタリア文学から近代漫才へ

2001/04/23 17:43

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:たけのこ - この投稿者のレビュー一覧を見る

 近代漫才の育ての親である秋田實(1905-1977)の、語られざる若き日の社会主義青年時代を掘り起こした評伝。東京帝大新人会に所属し、日本金属労働組合の書記として実践活動にも首を突っ込んでいた秋田は、プロレタリア文芸誌の編集にかかわって小説も書いていた。

 1931年、左翼運動の弾圧下、生まれ故郷の大阪に帰った秋田は、大阪朝日新聞の記者であった白石凡の紹介で横山エンタツ(1896-1971)と出会い、意気投合して漫才の台本作家としての道を歩み出す。本書は、その後も数年間、秋田が新人会の先輩である大宅壮一の編集する雑誌などに風刺雑文を書いて生計を立てながら、一方でずっと非合法活動に携わっていた事実を明らかにする。

 秋田が台本を書き、横山エンタツ・花菱アチャコが演じた「早慶戦」がラジオで放送され、全国的な人気を博すのは1934年のことである。野球通を気どるエンタツが慶応のバッテリーはと聞かれてわからず、「そんなら早大は?」と聞かれて「親族の?」と返す(「誰が親族の総代を尋ねてるのや」)序盤から、最初はゆっくりと、しかし試合の展開とともにどんどんスピードアップして笑いのボルテージを上げていく構成は、いま読んでもみごとなもので、けっして古臭くなっていない(本書に全文収録)。

 医者の息子で旧制中学出のエンタツがめざしたのは、低級な娯楽と見下されていた漫才の洗練であった。洋装で舞台に上がり、楽器を持たず「しゃべくり」一本で、なおかつ「です」「ます」の標準語を使ったところに、旧世代の芸人——たとえば鼓を持って高座をつとめた最後の「万才」師・砂川捨丸(1890-1971)——との決定的な差異がある。

 しかし一方、東京帝大中退の秋田が求めたのは、庶民大衆とまじわって得られる生活の実感であった。それは左翼活動において、ついに得られなかった種類のものである。仲間の芸人たちから孤立して漫才の地位の向上をめざしたエンタツとは逆に、秋田は漫才作者として芸人たちに慕われ、そのことが二人のあいだに微妙な溝を作り出していく。戦後もエンタツと秋田にはラジオの「気まぐれショーボート」「エンタツのちょびひげ漫遊記」などの仕事があるが、そのころには秋田にとってエンタツはすでに「過去のひと」(p.222)だったという。秋田が夢中になったのは、蝶々・雄二、いとし・こいし、Aスケ・Bスケら若手漫才の育成であり、漫才の複数化・複合化=「漫才芝居」化であった。

 富岡は、秋田實が漫才の世界に作者と演者の分離という近代的要素を持ち込みながら、アイディアのメモを漫才師らとともに練り上げていくスタイルをとったことで、結局は前近代的な楽屋共同体のうちにとどまり、「台本」の自立をさまたげ、台本作者の著作権すら確立できぬまま生涯に幕を閉じたと指摘する。それは社会主義青年の「転向」の帰結、観念から生活実感への反動の帰結であったのだろうか。近代日本の知識人論としても思考の素材を提供する。
【たけのこ雑記帖】

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紙の本

萬才ないしは万才から漫才へと表記が変わるとともに芸も変化した。その変革をになった台本作者の生活を追う

2001/06/05 18:17

0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:大笹吉雄 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 一九八六年に刊行され、その後絶版になっていた本書が、平凡社ライブラリーの一冊として復刊された。今回はじめて読んだが、復刊されただけのことはあると納得した。
 秋田實という漫才作者の評伝である。といっても、今の若い人たちはその名を聞いたこともないかも知れない。それどころか、漫才に作者がいることさえわからなくなっているのではあるまいか。
 秋田實が登場するまで、漫才に作者はいなかった。本書はその事情にスポットを当てたものでもあるが、一九七七年の秋田の他界後、秋田に匹敵する漫才作者は出ていないと言っていいだろう。つまり、秋田は漫才の世界で空前絶後の存在であり、秋田の死とともに漫才作者という職業も、あたかもなくなったかのごとくに影が薄れて現在にいたる。別に言えば、それだけ秋田實の存在が大きかったということになる。

 わたしはテレビが普及する以前の関西で育ったので、少年のころにラジオで始終、秋田實の名を聞いていた。秋田が関係した『漫才学校』や『夫婦善哉』などといった放送が人気番組で、家族そろって耳を傾けていたからである。ことにミヤコ蝶々と南都雄二が司会していた後者の印象が強い。
 実はこういう環境を整えたのが秋田で、秋田が漫才の台本を書きはじめるまで、漫才を家族で見たり聞いたりするのは、ちょっとはばかられることだった。いわゆる下ネタが多く、寄席はあまり品のよくない男天下だったのだ。そういう日陰の芸能を、日向に引っ張り出したのが秋田である。家族の団欒に漫才を聞くのは、大雑把に言えば戦後になってからに過ぎない。

 本書ではじめて知ったのだが、旧制大阪高校(現大阪大学)から東京帝大へと進んだ若き日の秋田は社会主義思想に共鳴し、実際活動に深くかかわっていたという。秋田が漫才の世界に近づくのは一九三一年に横山エンタツと出会ったことだが、やがて吉本興業に入社して漫才界に身を浸すのは、一種の「転向」だろうと著者は言う。ただし、秋田流の「ヴ・ナロード」であり、「大阪」の「発見」だったとも著者は言う。
 このころ、というのは一九三四年当時だが、漫才は「萬才」や「万才」という祝福芸の名残をとどめる表記から、「漫才」と書かれるようになったばかりで、秋田はこの動きに拍車をかける。漫才の革新であり、近代化である。同時に、大衆と直接出会った喜びが、秋田の漫才への情熱をかき立てた。インテリの漫才作者などいないころで、たちまち秋田は漫才界の中心に位置し、健康で、無邪気な笑いづくりに精を出す。その秋田の勉強ぶりを本書は丁寧に追っていくので、おのずと「漫才論」の側面をも持つ。これは現在のテレビのバラエティー・ショーを考える上でも無縁ではない。

 ともあれ、漫才好きを自認する大阪人の著者の、秋田實という人間への愛情がにじみ出ていて、それがさわやかな読後感をもたらしてくれる。 (bk1ブックナビゲーター:大笹吉雄/演劇評論家・大阪芸術大学教授 2001.06.04)

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