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日の名残り みんなのレビュー
- カズオ・イシグロ (著), 土屋 政雄 (訳)
- 税込価格:1,012円(9pt)
- 出版社:早川書房
- 発売日:2001/05/01
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文庫 ブッカー賞 受賞作品
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電子書籍
何か限界を感じる
2022/02/20 10:55
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投稿者:allemande - この投稿者のレビュー一覧を見る
「華麗なるギャツビー」の語り手と同じく、この執事は信用できない語り手の類。傾聴すべき点もまああるが、自己満足、見栄っ張りで、後で振り返ると結果的にはまっとうだった(自分の父や解雇されたユダヤ系従業員を守ろうとした同僚、欧州の中で四面楚歌の米国人大使、車の故障で寄った村で声高に発言する意識高い系の男)を見下し、一方で時代遅れの密室の貴族外交を繰り広げて結果的にナチスを利することになったご主人様にはひれ伏し、最後までそれに気づかない。自分を守りたい潜在心理で、恋の誘いもスルーするが、未練はある。全知全能の語り手でも私小説的な語り手でも、後知恵的に全てを悟った告白者でもなく、あくまで弱く愚かな生身の1人の人間として描出する。これは、ちょっと考えてみれば後々うまくいかなくなることが分かるようなポピュリズムの信奉するような人々を、リベラルな知識人がただ軽蔑するだけでは何も動かない、というイシグロの主張と重なる。話の進め方には余談、雑談の類のアネクドート、脱線話(aside)が満載で、このジャンルの傑作、チェコのハシェクの『兵士シュシュヴェイク』シリーズを思わせる部分もある。
そしてテレビの連続ドラマの脚本のように、話が退屈になってくると、すかさず結末が気になる挿話(suspension)を入れてくる。また小説全体としても(上の内容に関係する)人物に再開するというクライマックスに向けて進めることで、読者が執事やその主人の俗物ぶりに辟易して途中で投げ出さないような仕掛けになっている。
ただ、このような計算があまりに露骨で作為的で、伏線の張り方も、この世の力学(心理的なものでも運命的なものでも不条理でもなんでもよいが)ではなく、ただストーリーを読み続けさせるためだけに張っているという作為が見えすぎて、次第に鼻についてくる。それでも途中でやめると気持ち悪いから最後まで読むが、ストーリーは何とか回収・収斂させている割に、浅すぎて何も残らない。今まで気づかなかった世界や人生の断面が自分の中に侵入してきたようなショックが何もない。結局、執事を1人の弱い人間として描いてはいても、プロットの駒にしか見えず、あまり「自分も結局は同じかも」とも思えずに、今度は読者が結局全知全能の語り手になっているだけのように思える。
執事Jeevesもののウドハウスにしても、アネクドート型のハシェクにしても、そこで語られるおバカすぎる話や策略を通じて、人が逃れられない悲しみや一時的な喜び、人の命など何とも思っていない愚かな貴族たちや国家や社会の不条理(カフカ的な)、書き手の叫び、というものが隅々にまでこだましている。一方、この話にはそれがない。イシグロは、不完全な語り手として突き放してこの執事を描いたつもりかもしれないが、実はイシグロ自身がこの執事と同種の自己満足の語り手になってしまっていて、それに気づいていないのではないか、と強く思わずにはいられない。この執事が自分に欠けていると自覚しているウイットがなく傍観者的であるのも共通している。
確かに最後まで読者に読ませる力はあると思うが、一方で小説を勉強中の作家が一生懸命プロット表や人物相関図を作り、いったん書き終えてから前に戻って伏線を張りにいくなどの生硬な作為性が目立ち、目指しているものの古めかしさを感じる(ジョイス的な小説がよいというのではなく、たとえば鴎外はこ小細工のできない『渋江抽斎』を題材を自らに課しても、次のページを読ませる筆力があった、という差)。