投稿元:
レビューを見る
内容の濃い良心的な作品。
終戦後の混乱期の日本を描いて、光の当て方に独自性があります。
しんどい内容なので、読み込むのは大変。
他に人はどう書いていることなのだろうかと思うが、とても調べきれない…
占領期に官僚が強化された体制が、今日に至る問題に続いているという指摘には、考えさせられます。
投稿元:
レビューを見る
長く日本にも滞在し、日本近代史を専攻する米国リベラル派の歴史学者が、終戦の8月15日からサンフランシスコ講和条約締結までの約7年間を膨大詳細な資料を渉猟しながら戦後日本を克明に描いた日本論。
’01年版。
投稿元:
レビューを見る
読み終えた感想としては、思っていたのと違ったなあということ。10年余りの積ん読の間、この本は戦争に敗れ打ちひしがれた日本の人々が、それでもたくましく這い上がってきた道程を描いた本だと思っていた。だから、3・11後のいま読もうという気になったのだ。
だが読んでみれば、日本人とは……したたかで、軽佻浮薄な人々だったのだという印象。昨日までは鬼畜米英と言っていたのが、クルリとアメリカ礼賛に転じ、弱い国民の立場になって当時の指導者を糾弾する。まあ、これでいいのだし、どこの人々でもこんなものだろう。そもそも、日本人だけが特別に抑制の利いた秩序立った人々なんだと思うことのほうがおかしいよね。
また、日本は戦後の範をアメリカにとったけど、占領軍も日本をいいようにしてくれたもんだなという気持ち。当初、理想郷を作ろうとした点は、満州での日本の振る舞いを髣髴とすらさせるし、その後、冷戦が深刻になった途端、軍隊をもつよう言い出すとは、それ以上のご都合主義だなあと。
投稿元:
レビューを見る
現代の日本がなぜこうなのか、疑問に思う人はこの本を繙くがいい。
米国人が書いたこの本。日本にも米国にもどちらに対してもフェアー。
新聞の投書から文学書から学術書からを縦横無尽に渉猟していて、なぜ外国人がこれだけ調べられたのだろうか。奥さんが日本人のためか。
この本を読んで、戦後日本はまだ米国の呪縛から解放されていないこと、今の低迷は終戦時に起源を発していることがわかり、それだけに克服するのは容易でない。
投稿元:
レビューを見る
(2012.08.25読了)(2012.01.17購入)
【8月のテーマ・[太平洋戦争を読む]その③】
副題「第二次大戦後の日本人」
アメリカ軍占領下で何が行われていたのかについて、詳細に記述してあります。
統治のためには、天皇制の維持が必要と判断し、戦争責任からは除外するように動いたようです。憲法改正の草案は、日本側に任せると明治憲法の手直し程度にしかならず、民主化が不可能と判断し、自分たちで作成した草案を日本側に渡し、これを基に新しい憲法を作るように提案してきたこと。
占領下では、検閲が行われ、検閲が行われていることが、読者に伝わらないように処理することがマスコミに求められていたこと。伏字とか、空白は許されなかったのです。事前検閲で、全面的に没になることもありました。
東京裁判やBC級戦犯についても述べてあります。A級戦犯については、対象がかなり恣意的に選ばれていることなども記されています。
【目次】
第四部 さまざまな民主主義
第九章 くさびを打ち込む 天皇制民主主義(一)
第一〇章 天から途中まで降りてくる 天皇制民主主義(二)
第一一章 責任を回避する 天皇制民主主義(三)
第一二章 GHQが新しい国民憲章を起草する 憲法的民主主義(一)
第一三章 アメリカの草案を日本化する 憲法的民主主義(二)
第一四章 新たなタブーを取り締まる 検閲民主主義
第五部 さまざまな罪
第一五章 勝者の裁き、敗者の裁き
第一六章 負けたとき、死者に何と言えばいいのか?
第六部 さまざまな再建
第一七章 成長を設計する
エピローグ 遺産・幻影・希望
下巻注
訳者あとがき
索引
●天皇は平和に役立つ(12頁)
天皇にだけ責任を負う独立した軍部が日本にある限り、それは平和に対する永久の驚異である。しかし、天皇が日本の臣民に対して持っている神秘的な指導力や、神道の信仰が与える精神的な力は、適切な指導があれば、必ずしも危険であるとは限らない。日本の敗北が完全であり、日本の軍閥が打倒されているならば、天皇を平和と善に役立つ存在にすることは可能である。
●都市爆撃(16頁)
1945年6月17日付の内部覚書のなかで、フェラーズはこの都市爆撃を「すべての歴史の中で最も無情かつ野蛮な非戦闘員殺戮行為の一つ」だと書いている。
「ヨーロッパの戦争は政治的でもあったし社会的でもあった。それに対して太平洋の戦争は人種的であった」
●天皇であるがために(62頁)
後水尾は水痘を患っていたが、「現御神」であったために灸療法を受けることが許されなかったので、退位したという
支配する王として食べなければならない「聖なる」白米の代わりに、ソバを堪能したいために退位した天皇の話もあった
●天皇退位(71頁)
1945年10月下旬、近衛公爵が天皇退位の可能性を公然と口にし、そのあと内閣の圧力によって訂正したために動揺が起きた。近衛は、日米開戦を回避できなかったこと、また戦争の早期終結を実現できなかったことについて、天皇は個人的に重大な責任を負っていると考えており、それをいつになく率直に語ったのであった。
●日本案内(109頁)
この案内には、初期の明治政府は旧薩摩、長州藩出身の旧武士階級に支配されており、彼らは憲法のモデルを西欧に求めた結果、とんでもない雑種を生み出した、と記されていた。「明治憲法はプロシアの専制政治を父に、イギリスの議会政治を母に持ち、薩摩と長州を助産婦として産み落とされた、両性具有の生き物である」と、この案内は断じていた。
●広島・長崎(210頁)
壊滅した広島と長崎の写真が一般国民の前に示されたのは、占領も終わり、原爆投下からちょうど七年たった、1952年8月だった。
●東京裁判(268頁)
マッカーサー元帥は、レーリンクとの私的な会話の中で、自分としては、真珠湾のだまし討ち攻撃だけに罪状をしぼった略式軍法会議のような裁判をすれば正義は十分果たされると思う、と語っている。
●先例のない裁判(282頁)
冒頭陳述でジョセフ・キーナン首席検察官は、国際法の下に国家の不法行為について個人としての罪を問う点では、この裁判が「先例のないものであることを率直に認め」た。
●勝者の裁き(359頁)
バターン死の行進の「命令責任」を問われて有罪となった本間雅晴陸軍中将も、家族に宛てた最後の手紙の中で、「米国が公正な国だというのは真赤な嘘だ」と断言し、空襲や原爆で死んだ何十万人という人々に言及して、「宇宙上国際関係において正義というものは存在しない」と暗い指摘をした。
☆関連図書(既読)
「昭和天皇独白録」寺崎英成著・マリコ・テラサキ・ミラー著、文春文庫、1995.07.10
「憲法と私たち」憲法問題研究会編、岩波新書、1963.04.20
「憲法読本 上」憲法問題研究会編、岩波新書、1965.04.27
「憲法読本 下」憲法問題研究会編、岩波新書、1965.04.27
「占領下の言論弾圧」松浦総三著、現代ジャーナリズム出版会、1974.01.30
「秘録 東京裁判」清瀬一郎著、読売新聞社、1967..
「パール判事の日本無罪論」田中正明著、小学館文庫、2001.11.01
「日本無罪論 真理の裁き」パール著・田中正明訳、太平洋出版社、1952.05.03
「落日燃ゆ」城山三郎著、新潮文庫、1986.11.25
「BC級戦犯裁判」林博史著、岩波新書、2005.06.21
(2012年9月7日・記)
投稿元:
レビューを見る
これは持ってません 上巻は持ってます どこにあるか見つけるまで大変でした。
安倍首相はこの本を読んでいるのでしょうか?歴史観は政治家にとって 重要だと考えます
投稿元:
レビューを見る
下巻では、第四部「さまざまな民主主義」において、いかにGHQが天皇を利用することで日本の占領政策を有利に進めようとしたか、そのために国民主権と象徴性天皇という2つの概念を新たな憲法で両立させようとしたかという動きが克明に描かれていく。
また、日本的経営を考える上で本書の最終章にあたる「成長を設計する」は様々な示唆を与えてくれる。戦後の日本的経営を形成する要素は数多あるが、そのうちの重要な要素として銀行を中心とする間接金融による企業の「系列化」というメカニズムがある。本書では、財閥がGHQの指令により解体させられた後、結果として旧財閥の果たした役割をいかに銀行が果たしたか、そして銀行に対する官僚のコントロールにより日本の国家資本主義(ケイジアン的資本主義)とも呼べる経済政策がどのように形成されたかというメカニズムを克明に理解することができる。
戦後日本社会を考える上で、日本人ではなくアメリカ人が描いた歴史書として白眉な本書は、その極めて高いリーダビリティと日本社会に対する温かいヒューマニスティックな視線も相まって、傑作と呼ぶべき一冊。
投稿元:
レビューを見る
ピューリッツアー賞を含め、複数の賞を受賞したに恥じない内容であった。豊富な資料をベースに、日本の様々な階層に焦点をあてながら、戦後の日本を写実的に描きだそうという努力には圧倒された。一方で、欧米やアジアの読者達の思いへの配慮も忘れない。特に、戦争責任が曖昧化されていく複雑怪奇な過程を、戦争の勝者・被害者の目からみても、ある程度、事実を事実として、つかめる様に描こうとする態度には感服した。
投稿元:
レビューを見る
2001年(原本1999年)刊。著者はマサチューセッツ工科大学教授。
占領下の日本を叙述する上下巻中の下巻は、一般大衆に光を当てた上巻とは異なり、政治・権力側の動向を備に検討する。
具体的には①昭和天皇の人間宣言、②天皇免責の欺瞞、③新憲法制定(旧帝国憲法の改正)、④米軍検閲の闇、⑤極東国際軍事裁判、⑥戦争責任と被害者意識。➆経済復興の道筋。なお増補版は未読。
なかなか痛いところを突くなぁというのが正直な読後感。
まず著者自身は、米軍の日本の占領政策において、人種差別的目線が無かったなどと綺麗事は言わない。また占領下での検閲の凄まじさも、具体的事実を一々列挙して米国占領政策の悪徳を開陳暴露する。
しかしそれだけに止まらない。例えば、検閲に関して言えば、戦前・戦中の日本のそれは一層酷いという点も忘れていない。あるいは、東京裁判の茶番性につき、パル判事の称揚性という右派が喜びそうな撒餌をしつつ、その茶番性の真の要因が天皇不訴追にあることを彼方此方で仄めかす。
また裁判官の構成に付き、印と比以外の東南アジア諸国の非白人代表を出せなかった点、朝鮮人の裁判官がいない点も勝者の裁きとしては実は不徹底だと目される叙述も。
正直に言って、本書に横溢する発想は、占領政策全般への批判的目線を持つアメリカ人であるが故に叙述し得たものと言えそう。
それが一番表出するのは、戦争責任に関する日本人の行動・行為。もとより米軍など占領政策を主導した立場のダブルスタンダードを指摘はしている。が、その上で日本人の加害に対する自覚や行動が窺えない(あるいは僅少)点もまた、それ自体がダブルスタンダードであるとして鋭く指摘していくのだ。
かような本書の読後感はなかなか言語化しにくいものであった。
ところで新憲法の制定過程に関しては、古関彰一著の「新憲法の誕生」と重なる。
彼の類似テーマの書も数冊読破済みで新奇性は多くはない。
もっとも米側から見た憲法改正過程への感情・思いは、さすが米関係資料渉猟の成果を感じ取れる。例えば、米から見て、日本側改正作業での対米欺瞞性(遅延性含む)、為政者側の憲法改正の要なしとの考えや改正案(松本案など)の内容が表出した、民主制や人間の尊厳を放逐し、これを軽視する姿勢。米側がこれに呆れ失望した様は十分見て取れる。一方、民間提起の改正私案の卓見を評価する対照性が、改正交渉過程での米側の様々な行動・言動に結び付いていったことを十分認識できる解説になっている。
また、象徴天皇制という形で天皇制を維持するにしても、天皇退位推進が国内主勢力から起きず、またその実現の可能性が全くないと海外が看做してしまったこと。そしてこの不作為が対日信用度を大きく下げた可能性…。というように本書を読みつつ色々と想到してしまいそうだ。
投稿元:
レビューを見る
戦後の占領期における状況を多数の図版でヴィヴィッドに描く。
最後には、日本の官僚システムは戦前・戦中から引き継がれたものを占領軍が手を付けずに温存したもので、と指摘。
投稿元:
レビューを見る
第二次世界大戦で敗れた日本人が占領者のアメリカからの上からの改革にどのように反応したかを描く。占領当局は天皇が戦争責任を問われないようにと気を配った。それは日本占領を平和的に速やかに完了させ、新しい民主的な国を再建するためのものであったのか。
投稿元:
レビューを見る
市井の人々の姿を描いた上巻は実はさほど胸に迫ってこなかった。時間関係が読みづらいし、半藤一利さんの方が実感もあるし、と。下巻、特に四部がすごい。アメリカにも天皇にも市井の日本人にも徹底した厳しい目線で何が起こったのかを描き出している。日本人は必ず本書を読まなければならない、そして正に現代日本の礎となったこの時代を噛み締めて、明日から自分の足で歩むことを考えなければいけない。
投稿元:
レビューを見る
少し前に読んだ半藤一利『昭和史』とも事実の不整合はないようだし、日本人の心情にも踏み込んで描かれ、よくぞここまで。しかし「日本人がひたすらに経済成長を追求した背景には、(略)国としての誇りを求めてやまない、敏感で傷ついた心情があった」となると、ちょっと情緒に寄り過ぎかなあとも思う。
歴史は、情と理との両輪で分析しないといけないね。
投稿元:
レビューを見る
敗北を抱きしめて 下 増補版―第二次大戦後の日本人
(和書)2013年11月26日 23:02
2004 岩波書店 ジョン ダワー, John W. Dower, 三浦 陽一, 田代 泰子, 高杉 忠明
こんな本が存在しているのだな。
僕は知識人と弱者というものを考えた時に両者にある格差というものが格差の解消としての平等に対して究極的に盾として作用してしまうのではないかと懐疑していたのですがそういった考えが思慮の足りない浅はかな畏れでしかないと最近強く思い反省をしています。
自分が知識人として何らかの権威として格差をつけるということではなく真の知識人とは弱者につき格差の解消を目指すべきものであるということを思う。それには知識をえて知識人であることが格差の解消としてある自然状態が高次元に回復する哲学を単独性としてある現にある前提から考えることに奉仕するものであり又複数性としての政治においてもそういった哲学による連帯に奉仕するものであると思う。
非常に単純化して言ってしまえば格差の解消は平等であり支配とは格差をつけることであるからそれが解消されるということは支配からの自由であるということである。そういった平等と自由に関する哲学と連帯を考えたい。
知識人の権威ではなく奉仕として格差の解消と連帯を目指さなくてはならない。
そういった姿勢こそが哲学者に必要な絶対条件であると思う。
この本を読んでいて知識というものについて考えさせられる。そして知識を得るということが哲学としてそして連帯としてあり得るために必要であると思った。
投稿元:
レビューを見る
2021年にもなり、戦前戦後を経験した世代はどんどん退場していく過渡期な気がする。あとの世代に何を伝えていくべきなのか。
どんな視点でも構わないと思うのだけど、「何があったか」というファクトベースで考える時に、資料的価値は高い書なんだろうなと痛感する。
---以下雑感
先の戦争で、日本も悲惨な目にあった。上巻での描写を見ると割りを食うのは間違いなく権力者ではなく市政の民。
一方でアジアに進出して、様々な迷惑をかけたという側面もある。犠牲者であり加害者でもある。
戦犯として処刑された人たちの手記が数多く出版されたという。こうした遺書は、戦争責任への意識を希薄にするという側面もあり、
一方で軍国主義や戦争の人的コスト(悲惨さ)を描くという側面もあったという描写は、なるほど、と思う。
天皇制についても、アメリカが廃止しようとし、日本側が守ったという単純な構図では無かった。
GHQが占領政策に天皇を利用しようとし、日本の体制護持派が結託した。
その為に、戦争責任も回避し、東京裁判でも天皇は裁かれなかった。
憲法も押し付け憲法と言われたら、その側面ももちろんある。当時日本が作ろうとしていた憲法は明治憲法のリライトになり、今のような憲法ではなかった。
GHQ草案を様々な形で日本化していった経緯は壮絶でもあるし、ある意味にとても日本的に思える。
少なくともアメリカが作った憲法を唯唯諾諾と受け入れた、という味方は先人にも失礼になると思えてくる。
GHQが日本を占領するにあたって、平和と民主主義といった理想的な思想を植え付けようとした一方で、
検閲などのまったくもっての官僚組織対応が、後々の強い中央集権的な権力体制に繋がっていったというのは面白い。