紙の本
日本人が忘れてきたもの
2002/04/06 12:20
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投稿者:片桐真琴 - この投稿者のレビュー一覧を見る
敗戦直後の日本の社会状況を概観した上巻に引き続き、この下巻は天皇の戦争責任をめぐる駆け引きや新しい憲法の制定をめぐる政治状況、東京裁判に代表される戦争犯罪追及の状況を概観している。さすがにピュリッツァー賞を受賞した作品だけのことはある。膨大な資料を読み解き、その当時の時代の雰囲気や生き馬の目を抜くような交渉のありようを巧みに描ききっている。これだけの大作で、テーマも重いものであるにもかかわらず、最後まで一気に読ませる著者の力は並大抵のものではない。特に新憲法制定をめぐる場面は、それに関する本をこれまで何冊も読んできたが、最も優れたものであると断言できよう。戦後の日本を語るのにもはや本書抜きには語れない。
紙の本
戦後の日本人を冷静に分析する温かな視線
2001/09/22 01:37
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投稿者:フォックス - この投稿者のレビュー一覧を見る
風俗史の雰囲気が強かった上巻から、下巻はいきなり天皇の戦争責任の話になる。戦後の日本人がいかに論理矛盾を起こそうとも、天皇を戦後復興のための中心に据えようという涙ぐましい努力がジョン・ダワーによって冷静に語られる。当然ながら日本人なら自然に染み付いているような天皇へのタブー視もない。この時期の日本ではさまざまな価値観がドタバタを演じていたことを的確に分析している。
戦後は8月15日に思い出すだけの歴史の一ページになりつつある。そんな軽いものではないはずだ、ということを感じさせてくれる、最高の戦後史研究書だ。
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現代への遺産
2002/04/27 19:58
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投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
上巻が敗戦後の民衆と文化と革命をめぐる過去の物語であったとすれば、「さまざまな民主主義」(天皇制民主主義、憲法的民主主義、検閲民主主義)と「さまざまな罪」(勝者による戦犯裁判、死者に対する懺悔)と「さまざまな再建」(占領軍の経済政策)を取り上げた下巻は、政治と経済をめぐる現代の物語である。
上巻に収録された写真が何かしら懐かしさを喚起する「記憶」のインデックスであるのに対して、下巻のそれ、たとえばマッカーサー元帥と天皇裕仁の初会見時の写真や戦争犯罪人の絞首刑の写真は、あまりに身近すぎて客観化できない無意識あるいは起源神話ともいうべき「忘却」を形象化するアレゴリーである。
──敗戦と占領を経て現代の思想状況や社会システムのうちに引き継がれたものを端的に言い当てる言葉は「ダブルスタンダード」と「ハイブリッド」であり、それは歴史家によって次のように表現されている。
《この検閲民主主義は、イデオロギーを超越した根深いところに遺産を残した。表向き「表現の自由」を謳うなかで実施された秘密検閲システムと思想統制が、戦後の政治意識になんの害ももたらさなかったと、ほんとうに信じる人などいるだろうか? 屋根のてっぺんで「表現の自由」の旗を振りたてながら、その一方で、マッカーサー元帥の批判も、SCAP当局の批判も、巨大な占領軍全体の、占領政策全般の、アメリカをはじめとする戦勝連合国の、戦犯裁判における判決はもとより検察側の弁論の、買った側が実利的な理由から「ない」と決めた天皇の戦争責任の、ありとあらゆることの、批判を徹底的に抑えこんでおきながら?(中略)
この観点からみると、この「上からの革命」のひとつの遺産は、権力を受容するという社会的態度を生きのびさせたことだったといえるだろう。すなわち、政治的・社会的権力に対する集団的諦念の強化、ふつうの人にはことの成り行きを左右することなどできないのだという意識の強化である。征服者は、民主主義について立派な建前をならべながら、そのかげで合意形成を躍起になって工作した。そして、きわめて重要なたくさんの問題について、沈黙と大勢順応こそが望ましい政治的知恵だとはっきり示した。それがあまりにもうまくいったために、アメリカ人が去り、時がすぎてから、そのアメリカ人を含む多くの外国人が、これをきわめて日本的な態度とみなすようになったのである。》
《…二一世紀への戸口にある日本を理解するためには、…一九二○年代後半に始まり、一九八九年に実質的に終わったひとつの周期に注目するほうが有益である。数十年間のその年月は短く、かつ暴力と変化に富んだ時期であったが、これを精密に観察すれば、戦後「日本モデル」の特徴とされたものの大部分が、じつは日本とアメリカの交配型モデル a hybrid Japanese-American model というべきものであったことがわかる。このモデルは戦争中に原型がつくられ、敗戦と占領によって強化され、その後数十年間維持された。そこに貫いていた特徴は、日本は脆弱であるという絶え間ない恐怖感であり、最大の経済成長を遂げるためには国家の上層部による計画と保護が不可欠だという考えが広く存在したことであった。この官僚制的資本主義は、勝者と敗者がいかに日本の敗北を抱擁したかを理解したときはじめて、不可解なものではなくなる。敗戦直後に流布したユーモラスな新語を借りて言えば、いわゆる日本モデルとは、より適切には「スキャッパニーズ・モデル a SCAPanese model[総司令部と日本人の合作によるモデル]」というべきものであった。》
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真の平和とは
2001/07/13 04:41
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投稿者:TP_ - この投稿者のレビュー一覧を見る
戦後から50年以上の月日がたった。現在になってようやく日本にも精神的な自立の芽生えが現れつつある。この本は日本の戦後50年がいかにして作られたかを示す貴重な資料である。
敗戦後日本に渡ってきたGHQによる支配。その中でこの国をこれからどうやって立ち行かせるか、そしてどれだけ自分たちの理想を込められるか、多くの苦難があっただろう。しかし、これらの理想は自分たちの国では決して成し得ない理想であった。自国ではとてもできない理想を当時の進歩的な人々がこの国でやったのある。そして大戦後、戦争に飽いた人々の願いが込められている。
だが、真の平和とはなんだろうか。かたや戦争を放棄し、他国の軍事力に守られるという、二重構造をもつこの国は果たして平和を守っているといえるのだろうか。我々自身が平和を求める国民だというのなら、我々の意思で平和を求める国を作らねばならない。
それは天から与えられるものではなく、自身の内発的欲求に拠るものでなくてはいけないのではないか。
日本人の自立は自身の手で憲法を作る時から始まるのではないでしょうか。
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第二次世界大戦直後の日本人の生き生きした姿を甦らせる傑作
2001/07/05 12:17
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投稿者:佐々木力 - この投稿者のレビュー一覧を見る
日本人が最も輝いていた時代はいつだろうか? 私の頭には、二つの時代が浮かんでくる。明治初期と第二次世界大戦終了直後の時代である。明治初期を代表する作品は、福澤諭吉の『学問のすゝめ』であり、『文明論之概略』であった。敗戦直後を代表する作品は、多様で数も多い。丸山眞男の日本政治論を扱ったいくつかの論文がその中に入ることは確実だろう。ともかく、日本人が本気で物を考え、本気で物を言った時代であった。
本書は、歴史上未曾有の敗戦という体験をした直後の、マッカーサー支配の時代の日本人の生き生きした姿を歴史的に堅実な筆で活写した文字通りの傑作である。相当の分量の書物だが、一挙に読了してしまえるほどの面白さである。この時代を扱った歴史書というと、社会風俗を平板に書き流した記述になりがちだが、本書を支える歴史家の手堅い手法がそのように安易な方向に流れることを防ぎ、強烈な現代へのメッセージを与える著作となりえている。
この時代を彩る言葉は、反戦と民主主義であった。しかし、その2つの価値は、マッカーサー司令部の政治的思惑と、依然として戦前の天皇制の護持にしがみつく日本の保守政治家の間の綱引きで揺れ動いていた。労働者を中心とする日本人は、熱心にその隙間を狙って、自らの解放の方策を考えた。しかし、その隙間は、朝鮮戦争という形で吹き出した冷戦という栓によってたちまちのうちに塞がれてしまった。が、天皇制は残されたものの、世界で稀に見る理想主義的な非戦と男女平等を謳い上げた憲法がいまに伝えられることになった。本書はまた、戦争直後のアメリカ軍の日本占領の時期が当初からもっていた問題点をも浮き彫りにしている。たとえば、原爆についての発言を禁ずることなどである。
朝鮮戦争のあと、日本は高度経済成長の波に乗り、さらにはバブルに浮かれ、反戦と民主主義という敗戦直後の理想を次第に忘れてゆくことになった。そしていま、理想を忘れた政治学者が日本人に向かって説いているのは、「普通の国家」になれということである。すなわち、軍隊をもち、天皇を敬愛する従順な「臣民」のいる政治的枠作りをやれということにほかならない。
この傑作を読み終わって、私は考えた。どうしてこのような書物を日本人学者が書くことができなかったのであろうか、と。その答えは、多様であろう。占領期の史料はアメリカ人学者が利用しやすいこと、天皇制に対するタブー意識がないこと、等々である。
本書は、アメリカ占領期の日本人を「戦争の敗者」にはなったが、「平和の勝者」になりうる存在として描いている(下巻、326頁)。現在の日本は岐路に立っている。理想を喪失し、「平和の敗者」になってしまわないよう心がけようではないか。 (bk1ブックナビゲーター:佐々木力/東京大学教授 2001.07.06)
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内容の濃い良心的な作品。
終戦後の混乱期の日本を描いて、光の当て方に独自性があります。
しんどい内容なので、読み込むのは大変。
他に人はどう書いていることなのだろうかと思うが、とても調べきれない…
占領期に官僚が強化された体制が、今日に至る問題に続いているという指摘には、考えさせられます。
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長く日本にも滞在し、日本近代史を専攻する米国リベラル派の歴史学者が、終戦の8月15日からサンフランシスコ講和条約締結までの約7年間を膨大詳細な資料を渉猟しながら戦後日本を克明に描いた日本論。
’01年版。
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読み終えた感想としては、思っていたのと違ったなあということ。10年余りの積ん読の間、この本は戦争に敗れ打ちひしがれた日本の人々が、それでもたくましく這い上がってきた道程を描いた本だと思っていた。だから、3・11後のいま読もうという気になったのだ。
だが読んでみれば、日本人とは……したたかで、軽佻浮薄な人々だったのだという印象。昨日までは鬼畜米英と言っていたのが、クルリとアメリカ礼賛に転じ、弱い国民の立場になって当時の指導者を糾弾する。まあ、これでいいのだし、どこの人々でもこんなものだろう。そもそも、日本人だけが特別に抑制の利いた秩序立った人々なんだと思うことのほうがおかしいよね。
また、日本は戦後の範をアメリカにとったけど、占領軍も日本をいいようにしてくれたもんだなという気持ち。当初、理想郷を作ろうとした点は、満州での日本の振る舞いを髣髴とすらさせるし、その後、冷戦が深刻になった途端、軍隊をもつよう言い出すとは、それ以上のご都合主義だなあと。
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現代の日本がなぜこうなのか、疑問に思う人はこの本を繙くがいい。
米国人が書いたこの本。日本にも米国にもどちらに対してもフェアー。
新聞の投書から文学書から学術書からを縦横無尽に渉猟していて、なぜ外国人がこれだけ調べられたのだろうか。奥さんが日本人のためか。
この本を読んで、戦後日本はまだ米国の呪縛から解放されていないこと、今の低迷は終戦時に起源を発していることがわかり、それだけに克服するのは容易でない。
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(2012.08.25読了)(2012.01.17購入)
【8月のテーマ・[太平洋戦争を読む]その③】
副題「第二次大戦後の日本人」
アメリカ軍占領下で何が行われていたのかについて、詳細に記述してあります。
統治のためには、天皇制の維持が必要と判断し、戦争責任からは除外するように動いたようです。憲法改正の草案は、日本側に任せると明治憲法の手直し程度にしかならず、民主化が不可能と判断し、自分たちで作成した草案を日本側に渡し、これを基に新しい憲法を作るように提案してきたこと。
占領下では、検閲が行われ、検閲が行われていることが、読者に伝わらないように処理することがマスコミに求められていたこと。伏字とか、空白は許されなかったのです。事前検閲で、全面的に没になることもありました。
東京裁判やBC級戦犯についても述べてあります。A級戦犯については、対象がかなり恣意的に選ばれていることなども記されています。
【目次】
第四部 さまざまな民主主義
第九章 くさびを打ち込む 天皇制民主主義(一)
第一〇章 天から途中まで降りてくる 天皇制民主主義(二)
第一一章 責任を回避する 天皇制民主主義(三)
第一二章 GHQが新しい国民憲章を起草する 憲法的民主主義(一)
第一三章 アメリカの草案を日本化する 憲法的民主主義(二)
第一四章 新たなタブーを取り締まる 検閲民主主義
第五部 さまざまな罪
第一五章 勝者の裁き、敗者の裁き
第一六章 負けたとき、死者に何と言えばいいのか?
第六部 さまざまな再建
第一七章 成長を設計する
エピローグ 遺産・幻影・希望
下巻注
訳者あとがき
索引
●天皇は平和に役立つ(12頁)
天皇にだけ責任を負う独立した軍部が日本にある限り、それは平和に対する永久の驚異である。しかし、天皇が日本の臣民に対して持っている神秘的な指導力や、神道の信仰が与える精神的な力は、適切な指導があれば、必ずしも危険であるとは限らない。日本の敗北が完全であり、日本の軍閥が打倒されているならば、天皇を平和と善に役立つ存在にすることは可能である。
●都市爆撃(16頁)
1945年6月17日付の内部覚書のなかで、フェラーズはこの都市爆撃を「すべての歴史の中で最も無情かつ野蛮な非戦闘員殺戮行為の一つ」だと書いている。
「ヨーロッパの戦争は政治的でもあったし社会的でもあった。それに対して太平洋の戦争は人種的であった」
●天皇であるがために(62頁)
後水尾は水痘を患っていたが、「現御神」であったために灸療法を受けることが許されなかったので、退位したという
支配する王として食べなければならない「聖なる」白米の代わりに、ソバを堪能したいために退位した天皇の話もあった
●天皇退位(71頁)
1945年10月下旬、近衛公爵が天皇退位の可能性を公然と口にし、そのあと内閣の圧力によって訂正したために動揺が起きた。近衛は、日米開戦を回避できなかったこと、また戦争の早期終結を実現できなかったことについて、天皇は個人的に重大な責任を負っていると考えており、それをいつになく率直に語ったのであった。
●日本案内(109頁)
この案内には、初期の明治政府は旧薩摩、長州藩出身の旧武士階級に支配されており、彼らは憲法のモデルを西欧に求めた結果、とんでもない雑種を生み出した、と記されていた。「明治憲法はプロシアの専制政治を父に、イギリスの議会政治を母に持ち、薩摩と長州を助産婦として産み落とされた、両性具有の生き物である」と、この案内は断じていた。
●広島・長崎(210頁)
壊滅した広島と長崎の写真が一般国民の前に示されたのは、占領も終わり、原爆投下からちょうど七年たった、1952年8月だった。
●東京裁判(268頁)
マッカーサー元帥は、レーリンクとの私的な会話の中で、自分としては、真珠湾のだまし討ち攻撃だけに罪状をしぼった略式軍法会議のような裁判をすれば正義は十分果たされると思う、と語っている。
●先例のない裁判(282頁)
冒頭陳述でジョセフ・キーナン首席検察官は、国際法の下に国家の不法行為について個人としての罪を問う点では、この裁判が「先例のないものであることを率直に認め」た。
●勝者の裁き(359頁)
バターン死の行進の「命令責任」を問われて有罪となった本間雅晴陸軍中将も、家族に宛てた最後の手紙の中で、「米国が公正な国だというのは真赤な嘘だ」と断言し、空襲や原爆で死んだ何十万人という人々に言及して、「宇宙上国際関係において正義というものは存在しない」と暗い指摘をした。
☆関連図書(既読)
「昭和天皇独白録」寺崎英成著・マリコ・テラサキ・ミラー著、文春文庫、1995.07.10
「憲法と私たち」憲法問題研究会編、岩波新書、1963.04.20
「憲法読本 上」憲法問題研究会編、岩波新書、1965.04.27
「憲法読本 下」憲法問題研究会編、岩波新書、1965.04.27
「占領下の言論弾圧」松浦総三著、現代ジャーナリズム出版会、1974.01.30
「秘録 東京裁判」清瀬一郎著、読売新聞社、1967..
「パール判事の日本無罪論」田中正明著、小学館文庫、2001.11.01
「日本無罪論 真理の裁き」パール著・田中正明訳、太平洋出版社、1952.05.03
「落日燃ゆ」城山三郎著、新潮文庫、1986.11.25
「BC級戦犯裁判」林博史著、岩波新書、2005.06.21
(2012年9月7日・記)
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これは持ってません 上巻は持ってます どこにあるか見つけるまで大変でした。
安倍首相はこの本を読んでいるのでしょうか?歴史観は政治家にとって 重要だと考えます
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下巻では、第四部「さまざまな民主主義」において、いかにGHQが天皇を利用することで日本の占領政策を有利に進めようとしたか、そのために国民主権と象徴性天皇という2つの概念を新たな憲法で両立させようとしたかという動きが克明に描かれていく。
また、日本的経営を考える上で本書の最終章にあたる「成長を設計する」は様々な示唆を与えてくれる。戦後の日本的経営を形成する要素は数多あるが、そのうちの重要な要素として銀行を中心とする間接金融による企業の「系列化」というメカニズムがある。本書では、財閥がGHQの指令により解体させられた後、結果として旧財閥の果たした役割をいかに銀行が果たしたか、そして銀行に対する官僚のコントロールにより日本の国家資本主義(ケイジアン的資本主義)とも呼べる経済政策がどのように形成されたかというメカニズムを克明に理解することができる。
戦後日本社会を考える上で、日本人ではなくアメリカ人が描いた歴史書として白眉な本書は、その極めて高いリーダビリティと日本社会に対する温かいヒューマニスティックな視線も相まって、傑作と呼ぶべき一冊。
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ピューリッツアー賞を含め、複数の賞を受賞したに恥じない内容であった。豊富な資料をベースに、日本の様々な階層に焦点をあてながら、戦後の日本を写実的に描きだそうという努力には圧倒された。一方で、欧米やアジアの読者達の思いへの配慮も忘れない。特に、戦争責任が曖昧化されていく複雑怪奇な過程を、戦争の勝者・被害者の目からみても、ある程度、事実を事実として、つかめる様に描こうとする態度には感服した。
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2001年(原本1999年)刊。著者はマサチューセッツ工科大学教授。
占領下の日本を叙述する上下巻中の下巻は、一般大衆に光を当てた上巻とは異なり、政治・権力側の動向を備に検討する。
具体的には①昭和天皇の人間宣言、②天皇免責の欺瞞、③新憲法制定(旧帝国憲法の改正)、④米軍検閲の闇、⑤極東国際軍事裁判、⑥戦争責任と被害者意識。➆経済復興の道筋。なお増補版は未読。
なかなか痛いところを突くなぁというのが正直な読後感。
まず著者自身は、米軍の日本の占領政策において、人種差別的目線が無かったなどと綺麗事は言わない。また占領下での検閲の凄まじさも、具体的事実を一々列挙して米国占領政策の悪徳を開陳暴露する。
しかしそれだけに止まらない。例えば、検閲に関して言えば、戦前・戦中の日本のそれは一層酷いという点も忘れていない。あるいは、東京裁判の茶番性につき、パル判事の称揚性という右派が喜びそうな撒餌をしつつ、その茶番性の真の要因が天皇不訴追にあることを彼方此方で仄めかす。
また裁判官の構成に付き、印と比以外の東南アジア諸国の非白人代表を出せなかった点、朝鮮人の裁判官がいない点も勝者の裁きとしては実は不徹底だと目される叙述も。
正直に言って、本書に横溢する発想は、占領政策全般への批判的目線を持つアメリカ人であるが故に叙述し得たものと言えそう。
それが一番表出するのは、戦争責任に関する日本人の行動・行為。もとより米軍など占領政策を主導した立場のダブルスタンダードを指摘はしている。が、その上で日本人の加害に対する自覚や行動が窺えない(あるいは僅少)点もまた、それ自体がダブルスタンダードであるとして鋭く指摘していくのだ。
かような本書の読後感はなかなか言語化しにくいものであった。
ところで新憲法の制定過程に関しては、古関彰一著の「新憲法の誕生」と重なる。
彼の類似テーマの書も数冊読破済みで新奇性は多くはない。
もっとも米側から見た憲法改正過程への感情・思いは、さすが米関係資料渉猟の成果を感じ取れる。例えば、米から見て、日本側改正作業での対米欺瞞性(遅延性含む)、為政者側の憲法改正の要なしとの考えや改正案(松本案など)の内容が表出した、民主制や人間の尊厳を放逐し、これを軽視する姿勢。米側がこれに呆れ失望した様は十分見て取れる。一方、民間提起の改正私案の卓見を評価する対照性が、改正交渉過程での米側の様々な行動・言動に結び付いていったことを十分認識できる解説になっている。
また、象徴天皇制という形で天皇制を維持するにしても、天皇退位推進が国内主勢力から起きず、またその実現の可能性が全くないと海外が看做してしまったこと。そしてこの不作為が対日信用度を大きく下げた可能性…。というように本書を読みつつ色々と想到してしまいそうだ。
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戦後の占領期における状況を多数の図版でヴィヴィッドに描く。
最後には、日本の官僚システムは戦前・戦中から引き継がれたものを占領軍が手を付けずに温存したもので、と指摘。