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古代東北と王権 「日本書紀」の語る蝦夷 みんなのレビュー

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紙の本

タイトル負け

2005/12/17 18:36

5人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:Ikuno Hiroshi - この投稿者のレビュー一覧を見る

 内容は,化外の民であった「蝦夷」が大和王権の下に組み込まれる様を,日本書紀などを通して描くというもの。
 蝦夷と王権との関わりをいかに掘り下げているかと,大いに期待して読み始めたというのに,しょっぱなから躓いた。
 第1,2章。
 敏達天皇10年,大和王権の勢力圏に進攻した蝦夷の長「綾糟」が大和に呼び寄せられ,泊瀬川に入って三輪山に向かい王権に服属する誓いを立てたという記事に関する記述。
 詳細は煩雑なので省略するが,綾糟が三輪山に向かったのは,それが故国の山々(そこには国の神々がこもる)に似ていたからであって,「天皇霊の影さえ認めてはいなかった」。
 「似ていた」? 綾糟の住まう地がどこかはっきりともしていないのに,それと三輪山がどうして似ていると言えるのか?
 その前の文章で,「天皇霊は三輪山にはこもっていない」という論証をしようとはしているが,単なる仮説に仮説を重ねただけのものにすぎず,読む側としては納得していないところにいきなりそのような空想的印象を持ち出されるものだから,「何を得手勝手なことを書いてるんだ?」となる。
 一事が万事。
 読み進めていくと,この類いの記述が次々に出てくる。
 どうもこの本は,東北岩手の魔力に憑かれた著者の,その地の先住民たる蝦夷に対する「思い」が先に立って,それを元として想像された蝦夷像を述べ立てるために,我田引水的に日本書紀や国造本紀などを駆使しているだけの,「自慰本」らしい。
 蝦夷に限らず,特に岩手に関連する「遠野」「宮沢賢治」「平泉」に関する本に,資料を操作して論理的展開をするように見せかけながら,その論理が不完全なまま,最終的には対象に抱く自分の思い/印象を押しつけるといった,自慰的,自己満足的な本が多いように思えるのはなぜだろう。それは,岩手の地の人ではなく,外から来た人の書いたものによく見受けられるようでもある。
 ・・・それが,彼の地の魅(魔)力の為せる業なのか。
 著者が専攻するという「東北学」。
 それに限らず,地名を冠した「○○学」と呼ばれる地域研究が,果たして論理的な「学」を名乗るにふさわしいものなのかどうか。
 僕は一抹の不安を感じる。
 後半は,そのような「勢い」すら失われる。
 史書の蝦夷関係記述の敷衍的説明に過ぎず,「王権」の関わり方についてはごく初歩的な知識程度しか記述していない。これでは完全にタイトル負けと呼ばざるを得ない。
 もちろん,蝦夷/大和朝廷関係史を通して知りたい人にはいいかもしれないが,それにはタイトルがオーバーすぎるだろう。
 最後の第8章で,岩手県江刺市藤里の兜跋毘沙門天立像と東北人の心性の関連についての試論を,アテルイと絡ませて数ページだけ展開しているが,いっそこちらをメインテーマとしてそこから蝦夷/大和朝廷関係史を掘り下げていった方が,著者が本来専攻する哲学からしても興味深いものになったであろうと思われる。
 かつて「隠された十字架」などで梅原猛が(賛否はともかく)迫力のある所論を展開したように。

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紙の本

異境に暮らす異形の民は獣心の野蛮人なのか?〈征夷〉の問題を東北学者が問い直す

2001/09/17 22:15

1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:井上真希 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 古代中国の人びとは、自らを中華、四方の異民族たちを東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・南蛮・北狄(ほくてき)と呼んだ。夷・戎・蛮・狄はいずれも〈えびす〉、荒々しい未開人を意味する蔑称だ。同様に、日本の古代において、ヤマト朝廷は東国の辺境の人びとを東夷、奥羽から北海道にかけて住む異俗の人びとをとりわけ粗暴な〈蝦夷(えみし)〉として侮った。
 ヤマトタケルの蝦夷との会戦や、敏達10(581)年の蝦夷の首長、綾糟の降服、舒明9(637)年の蝦夷叛乱の鎮圧など、『日本書紀』には少なからず蝦夷にまつわる記述が見られる。「男女が雑居し、父子の別がない。冬は穴に宿り、夏は木のうえに家を構えて住んでいる。毛皮を着て、血を飲み、〔…〕山に登るときは、飛んでいる鳥のようであり、草を走るときは、逃げる獣のようである。〔…〕攻撃をしかければ草に隠れ、追って行けば山に入ってしまう」。こうした蝦夷たちの習俗は特異で野卑に映り、都に連行して見せ物として民の前を練り歩かせたばかりか、斉明5(659)年には遣唐使船に乗せ、中国の天子にさえ見せたという。

 異境に暮らす異形の民を、獣心の野蛮人として蔑むことは簡単だが、朝廷の支配力の及ばない、いわゆる国家の〈外〉で王化に服せずにいた彼らは、まったく別の正義を生きていたのではないか。〈果て無しの空間〉としての森の領域、東北の奥深さ、魔界にも似た不均質さに魅せられてきた著者が、『日本書紀』とそれに続く『続日本紀』『日本後紀』のなかに記された蝦夷征伐の問題を、従来の歴史解釈によらず、独自の視点から浮き彫りにしようと試みたのが本書である。一方にとっての大義名分は、他方にとっても正義であるとは限らない。〈征夷〉もまた、蝦夷にしてみれば朝廷による侵略だったのだと。

 洞窟や隠れた道が地下茎のように伸びた山野の迷宮を知りつくし、土地間のネットワークがもたらす情報をもとに、東北の大地を縦横無尽に駆け抜けた蝦夷たちの雄姿にしばし思いを馳せた。 (bk1ブックナビゲーター:井上真希/翻訳・評論 2001.09.18)

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