紙の本
二つの翻訳
2002/10/08 00:07
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投稿者:アルケー - この投稿者のレビュー一覧を見る
この書はタイトルが「翻訳とは何か」となっているが、これは全体で6章あるうちの1章にすぎず、残りは翻訳についてのエッセイである。副題の「職業としての翻訳」もやはり1章を当てられているにすぎない。
私はタイトルの「翻訳とは何か」について感想を述べてみたい。ここにこの書物の中心モチーフがあるように思えるからだ。
著者は「翻訳という言葉で一般に考えられているのは、原文の表面を伝えようとするものである。現在では、これとは大きく性格が違う翻訳、つまり、原文の内容を日本語で伝えようとするものが主流となっている」とこの章をまとめている。両者の代表として、ヘーゲルの「精神現象学」の二つの翻訳、金子武蔵訳と長谷川宏訳とを取り上げて論じる。
二つの違いはまず文体の違いである。金子訳は「原文の表面に忠実な翻訳」として、英文和訳のときに使われる文体。長谷川訳は「日本語で書き下された文章」と変わらない文体であり、翻訳であることを意識させない文体。
次に訳語の違い。金子訳が原語と訳語との一対一の対応を目指しているのに対して、長谷川訳はこの原則を放棄し、文脈によって訳語を変えている。
二つの訳では目的に違いがある。金子訳は原書購読を助け、読者は、訳文を手がかりにして原書を読み込み、内容を理解するように求められている。これに対して長谷川訳は、訳書だけで読者が理解できるようにすることを目的にしている。このため、金子訳は「原文の表面に忠実な訳」であり、長谷川訳は「原文の意味を伝える訳」になっている。こう著者は述べる。
その結果、金子流の翻訳は「難解な訳」であり、長谷川流のそれは「わかりやすい訳」だと思われている。特に90年代以降、「わかりやすさ」を追求する傾向にあるが、長谷川訳では「難解さ」の正しい側面と「わかりやすさ」の正しい側面の両方をもつ。
両者の共通点。原語と訳語との一対一の対応を求める伝統を重荷と感じている点では両者の認識は一致している。長谷川はこの伝統を拒否し、金子はこの伝統を受け入れながらも、訳注をつけて日本語として理解可能になるようにした。従って訳注と解説とが一体となって翻訳が成立する。
これからの哲学の分野ではどちらがより有効になっていくであろうか。
一般に書物を読むとは著者の意図を理解することにある。原書から理解しようとするものは金子訳を用いるであろうし、翻訳から理解しようとするものは長谷川訳を用いるであろう。だが、ヘーゲルの場合のように、どちらからも理解できない場合があるのだ。そのときはどうしたらよいであろうか。世にはすでに解説書なるものがあふれていて、それを利用することになるのだ。翻訳からも原書からも理解できない書物はそれでよい。
では翻訳からでも十分理解可能な本の場合はどうであろうか。このとき固有の意味で翻訳というものが価値をもつことになる。従って翻訳を論じるのはこういう本についてであろう。また、本来翻訳可能な本が英文和訳になって、著者のいわんとするところが無視されてしまう。ここから本当の意味での翻訳がはじまる。
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実務翻訳を志す人は、必ず読んでおいたほうがいい本。かなり厳しいことが書いてあるけど、翻訳者になる前に厳しい現実を知っておいたほうがいいんじゃないかと・・・。
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容易な評価指標がない仕事は、社会的に低く評価される傾向にあると思う。翻訳もそのひとつ。消費者、発注者が翻訳の質に高い価値を認めづらいため、翻訳者は安定した収入を得ることはできない。消費者を含めた関係者が維持、発展のための努力を怠るのなら、産業の衰退は免れないのだろう。
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三蔵法師など歴史上重要な翻訳を行った翻訳者の紹介から、
現代の翻訳市場をめぐる動きまで考察した一冊。
翻訳は質の高いものができるようになれば競争はそれ程激しくないとのこと。
ただし、翻訳者は個別的に編集者や出版社と結び付いているので
どうやってつながりを見つけるかについて経験年数の壁が存在する。
自宅で翻訳をするなら最低10畳を超えるスペースに、
図書館に引けを取らない辞書など参考資料が必要になるとのこと。
また、翻訳は執筆活動の一種のため
外国語の勉強は言わずもがな、日本語の勉強も必要となる。
主語の訳し方を学ぶには三上章の『象は鼻が長い』などが参考になるらしい。
日本語の書き方は三島由紀夫や谷崎潤一郎、丸谷才一の『文章読本』が参考になる。
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エンターテイメント性もなく専門外なのにすごく面白かった。
私は日本語として不自然な訳文が気になってしょうがなくて「賢い人が書いてんだろうになんでこんな文ばっかなの何か意図があんのおお」って苛立ちに近い疑問を持ち続けてウン十年、それに答える情報なんて欠片も出会ったことがなかったのに、この本が十二分に答えてくれた。スッキリした通り越して興奮した。
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翻訳という仕事の現実を、業界の現状、収入、志望者のレベル等で論じていく。
一般的な入門書などとは一線を画すどころかケタ違いで、翻訳業がいかに難易度が高く、得るものが少なく、陽の目を見ないかをとつとつと語ってる。
「著者が日本語で語るならどう著すかを考える」、「対象を自分で選べず、著者が語ることを一から十まですべて理解する必要がある」といったところは興味深かった。
日本のように母語を捨てず、母語で海外の文化を理解し、母語で議論し発展させることができる、というのは考えてみれば稀有なことかもしれない。
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今は亡き名翻訳者が、翻訳の歴史、翻訳者の生活、翻訳ビジネスなど、総括的に、多面的な観点で翻訳について語った本。
自分は翻訳を手掛けているが、きっかけは「能力があるので片手間で」程度だったか、自分の態度の甘さを思い知らされた。
英文和訳と翻訳の違い、翻訳学校の意義、翻訳学校のビジネスについての項は特に興味深く読んだ。
心に残ったのは、
翻訳学校に通っても、一流の翻訳家に学べる確率はそう高くはない。ところが、書店に行けば、一流の翻訳家がみな、訳書という形で翻訳のノウハウを示してくれている。自分が本当に尊敬できる翻訳家を選んで訳書と原著を手に入れ、訳書を見ないで原著を翻訳していき、訳書との違いをひとつづつ確認していけばいい。この方法なら、翻訳学校で教えていない翻訳家からも、亡くなっていて学べる機会がないはずの翻訳家からも学べる。無料で添削を受けられる。一流の翻訳を真似ることができる。
そして、これを書いた名翻訳者の山岡洋一氏も、今は亡き人となってしまったのかと感慨深く思った。
全体的に厳しいことをたくさん書いており、痛烈な批判も多いが、実際に接した方によると、山岡氏はとても温厚で、日本の翻訳業界の向上に努めようとされていたそうである。今は亡き人となってしまい、本当に残念。
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「海外文学」がどうしても好きになれなかった理由が、冒頭数ページの中に凝縮されていて、目からうろこ。
著者の、翻訳という自分の仕事に対する情熱や真摯な姿勢が、ストレートで厳しい言葉から伺える。いや、それどころか目を背けたくなるくらいきつい文章が胸に突き刺さってくる。
翻訳に関わる人だけでなく、文筆業で食べている人にはぜひ一度読んでほしい一冊。
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翻訳の歴史からはじまり、翻訳業界の実態、問題点まで厳しく書いた本。語学力を生かした仕事がしたい、小説は書けないけど翻訳ならできるだろう…多くの翻訳学習者が抱いている甘い考えを容赦なく切り捨てている。
翻訳は原著を深く理解し、日本語で表現する仕事。
英語の読解力について
第一段階→文法知識に基づき文章の構造を解析し、単語の意味を辞書で調べながら読む段階。学校教育で学ぶ英文和訳のレベル。
第二段階→外国語であることを意識せず、文章構造を意識しなくても自然と内容を理解できる段階。辞書がなくとも単語の意味が文章から推測できるため、辞書なしでいくらでも読み進められる。
第三段階→英文の内容を深く理解し、文章の構造や英語と日本語の違いを意識しながら、表現できる段階。
翻訳を学習する際は、最低でも第二段階まで達していなければならず、第二段階の目安として英語の本を百冊(!)程度は読んでいなければならない。
翻訳学習者のほとんどは「得意な語学を活かして〜」と言いながら第二段階に達している人はほとんどおらず、第一段階すらままならない人もいる、ということを指摘している。
半端な気持ちで翻訳者を目指すべきではないことを痛感させられる本。
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翻訳者の私には突き刺さる内容の本でした。「英文和訳」と「翻訳」の違い、翻訳の歴史の項は特に興味深く、また翻訳業界や翻訳学校の実態については大きくうなずくものばかり。自分が担当する翻訳について全責任を負う姿勢、日本語として商品価値のある文章を書く姿勢、尊敬する翻訳家の訳書と原著から学ぶ方法など、改めてプロ意識を高めてくれる内容で、翻訳者必読の書です。
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書名の通り翻訳者の歴史から説き起こし、翻訳の存在意義を考えさせたうえで、職業としての翻訳家の現状がどうなっているかを書いている本。本当の実力を持った翻訳家が国の発展に必要不可欠だと鼓舞する一方、現状の環境は実力を持った翻訳家を育成するようにはできていないと警鐘を発している。
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著者は経済金融分野の翻訳に携わってきた方。翻訳に関わる歴史、技能、市場等を解説している。縁遠かった翻訳の仕事が少しだけだがイメージできるようになった。著者は、語学力さえあれば翻訳ができるという誤解、プロの翻訳者対比圧倒的に多い学習者の存在に強い問題意識を持っている。
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翻訳の重要性と学者としてそれをしていく、論文を読むこととして、それに関わっていくときの対し方をそこに感じた。
通常思われている翻訳は、単なる英文和訳であり、本来的な翻訳とは、意味内容を捉えた上で、原著の内容を母語で再構築することである。それにより、翻訳には、外来語から母語への方向性を有し、原著者と同等、もしくは、それ以上の言語センスが無ければならない。と。
言語センスを磨かねば…
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ほんやくWebzineで公開されている、追悼10周年の企画で初めて著者の山岡さんについて知りました。
そこから辿るように、山岡さんが手掛けられていた翻訳通信なども拝見し、とても感銘を受けたのは翻訳というものに対する山岡さんの並々ならぬ情熱でした。
本書が、出版から20年経っていても、今なお後進の翻訳者の方々に影響を与え続けていることは、驚きでありながらも納得させられます。
翻訳業界を取り巻く厳しい現実を認めながらも、翻訳という仕事の魅力を少しも疑わず全力を注ぐ姿勢は、仕事(もっと広義で捉えるならば、自分が信じるもの)との向き合い方を教えてくれます。
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駆け出し翻訳者としては、繰り返し読みたい本です。耳に痛い内容もありますが、全般的にすごく真っ当なことを述べておられると思います。
図書館で借りて読んだものの、手元に置いておきたくなってAmazonを見たら、古本の値段がえらいことになってました。値段が落ち着くか、復刊されるまで待とうかな。