紙の本
ずっと以前から,太陰太陽暦による定時法と不定時法の併用を行っていた江戸時代のヒトの時間感覚に興味があった
2004/01/06 09:06
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投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
実はワタシ,ずっと以前から,太陰太陽暦による定時法と不定時法の併用を行っていた江戸時代のヒトの時間感覚に興味があった。……言ってること分かりにくいかな,説明してみよう。
よく時代劇とかで出てくる「子の刻」とか「戌の刻」とかいうのは1日を12個の「刻限」に等分した定時法なのね(子の刻が午後11時から午前1時までの2時間)。で,もう一つ,今でも「3時のお八つ」という言葉や「時そば」という落語に残っているような「いくつ」という時刻の言い方は,日の出と日の入りを基準にして昼夜をそれぞれ6等分して打った時鐘の数,すなわち不定時法だったわけ。
ちなみに「時そば」で最初にうまく1文ごまかすヤツは九つ(だいたい今の時間で午前0時過ぎ)にそばを食って「……七つ,八つ,何時だい?」「九つで」「十,十一……」てな具合にやるんだが,真似をするほうのぼうっとしたヤツはそれを四つ(午前0時前)にやっちまうもんだから,「……七つ,八つ,何時だい?」「四つで」「五つ,六つ……」と余計に払うことになるんだよね(笑)。
閑話休題,この本はそうした時制でやってきたニッポン人が,明治大正を通していかに近代的時間意識を獲得して来たか,またそれによって何を得,何を失ったかなどを分析した論文集である。その題材は多岐に渡っており,正直オレには退屈なものもないわけではなかったが,「歳時記の時間」(長谷川櫂),「明治時代における時計の普及」(内田星美)などはたいへん面白く読めた。「てっちゃん」方面のヒトなら「近代日本における鉄道と時間意識」(中村尚史),「1920年代における鉄道の時間革命〜自動連結器取替に関連して」(竹村民郎)なども興味深いのではないか。それにしてもこういう論文書くひとってホント「〜における」が好きなのな(笑)。
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日本人と時間の感覚について論じた一冊。時間の感覚の変遷が様々な社会的環境に左右されていたという事実は興味深い。
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元々鉄道の定刻発車ネタから興味が沸いて読んでみたのだが、一番面白かったのは明治期の工場や官庁の労働時間についての第四章。
総じて面白くはあったのだが、論文集的なモノなのでとっつきにくいと言えばとっつきにくく、読み物としては、ちとかったるい。話題も筆者も当然各章ごとに違うので、そういう本として読むとよろしいかと。
不定時法から定時法に変わると生活がどう変わるのか、というのはなかなか想像しにくいものがあって、この話題について追うだけでもかなり考える所の多い内容。
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日本人と時間と電車の定時運行に関する論文をまとめた本。
かなり古いものもあるのでしっかり難解で読みにくいが、非常に考えることは多かった。
今や「日本の特徴」とも言える電車の定時運行だけど、昔はそもそも不定時法であり、
太陰暦でもあった訳で、歴史上の流れの中で生まれた日本人の時間に関する意識は、
今もまだ変わり行く途中なのかもしれない。
季語が変わってしまった話や「時は金なり」の解釈についても興味深かった。
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ワークショップ「暦の本棚をつくろう!」:“本日の一冊”本 :“廣瀬賞” 僕は遅刻が多いので、この本を読めば遅刻の言い訳ができるかもと思って…。
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現代のような時間意識は古代からあったわけではなかったことがわかる本。
時間意識の形成には、蒸気機関を使った工場と鉄道が関係していることを初めて知った。
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第1章辺りは、日本人は時間を守る民族、勤勉で働き者という神話を明治期のお雇い外国人たちの発言、幕末の日本の記録などから崩しまくり、読んでとてもおもしろい。江戸時代、勤勉に働かせられていたのはあくまで農民であって、職人たちは午前中しか働かなかったり、明治に来日したオランダ人たちが困ったのは日本人労働者が時間にルーズ過ぎることだった。近代教育制度の裏の目的は、よい工場労働者を育成するため、命令に従順であり、時間を守り、反復作業を嫌がらなくすることであると言われるが、現在の日本人の国民性と言われるものの多くが、単に明治期に西洋人たちの協力で導入された近代義務教育によるものだったことがわかる。第2章ぐらいから、だんだん専門的な内容になっていき、読み通すのはかなりきつくなってくる。
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学校教育については、ほんのわずかである。それよりも時間という意識の発生について書かれた本ということのほうが当てはまる。「時は金なり」という格言の真偽という方がタイトルのあう。学校教育について遅刻について卒論を書くためには別の本を当たるしかないであろう。
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「現代の我々は一つの時刻体系と労働時間観念を当然の前提としているが、それはそれほど当然のことではない。」
「出勤率中和論~1.強励法、ⅰ.欠勤者の制裁、ⅱ.出勤者の奨励、ⅲ.追い出し、ⅳ工銀支払日の延期。欠勤者の制裁には「欠勤室への収容」、「食事を遅らせる」、「外出を許さない」、、」
「時は金なり」の謎。むしろ「金は時なり」か。
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日本人は時間に正確だと言われる。よく例に上がるのが、電車のスケジュール。
よほどのことがない限り時間通りに来る。
そんな日本は昔からそうだったのか、イヤそうではなかった。
文部科学省、経団連の人たちにとっては知りたくもないだろうが、時間にルーズだった「ラテン系」の時代がむしろ当たり前だった。
幕末に「不都合な」記録が残っている。
1857年から2年間、長崎海軍伝習所に滞在して、西洋式の操縦技術と科学技術を日本人に教えたウィレム・カッテンディーケは、『滞在日記抄』に「日本人の性癖」という一節を書いている。
「日本人の悠長さといったら呆れるくらいだ」とチクリ。
さらに「日本人は無茶に丁寧で、謙譲ではあるが、色々の点で失望させられ、この分では自分の望みの半分も成し遂げられないで、此処(このところ)を去ってしまうのじゃないかとさえ思う」と、おそらくため息交じりで書いていたのが想像できる。
カッテンディーケが今の日本の姿を見たら、「目がビッグ~♪」になって頭の中がフリーズするだろう。
そうなってしまうのにも理由があった。
明治5年まで、日本人は「不定時法」で時間を測り暮らしていた。
不定時法とは、昼と夜の時間をそれぞれ等分して時間を測る方法で、時間の進み方に合わせて1日の時間を一様に等分した。
時間の長さが季節によって変わるので、時間に対する概念が今と違うのも無理はない。
時間に正確になった要因として上げているのが鉄道網の整備により、時間でスケジュールを管理する必要があり、利用者も時間を意識しなくてはいけなくなった。
鉄道運行も試行錯誤の末、軌道に乗っていった。
運行する側も利用者も時間に対する感覚をアップデートしないといけなかったので、大変だったのは想像できる。
以前、他の本を読んでいたときに著者がこの本を引用していて気になった。
運良く神保町の古本まつりで見かけて「いつ買うか、今でしょ」ということで即購入。
遅刻をテーマにして300ページ以上の本が書けるのはすごいなあ。