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記憶と回想の物語。今はイギリスで暮らす女性が、戦後の長崎で暮らしていた頃を回想する。女性の微妙な心の動きを描いた作品。読み応えはあるが、今ひとつ気持ちが乗らなかった。
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これも全編にわたって深い悲しみが覆っている作品。娘の自殺の痛みを受け止めようとしている母親が、その半生を回想しながら現実に淡々と向き合っていく。母と娘、女同士の友人など、女性同士の関係の微妙さ、細やかさを、男性である作者が見事に描いているように思う。
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同じ主人公が戦後の長崎と何年か後のイギリスという場所も時代も違う視点で物語が進んでいく。たんたんと物語が進んでいくけれど、内容的には波乱万丈な人生。長崎からイギリスに住むまでの間に何があったのか想像しなければなりません。
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今更ながら、カズオ・イシグロのデビュー作を読んだ。
「日の名残り」や「私を離さないで」を彷彿する作風ではあるが、謎もちょっとハンパな感じだし、深みもあまりなくて、へえそうなのか、と逆にちょっと安心した思い。それでも、一番最初にこれを読んだら、この人の他の作品も多分読みたくなっただろうな、と感じさせる偉大な作家だと思う。
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1つの薄命を丁寧に描いている。
この「遠い山なみの光」は著者のデビュー作らしい。
全体がぼやけていて抽象的な印象である。
話の舞台は戦後の日本である長崎。
その長崎である母と娘と出会うのだが、この母娘は不思議な親子だ。
また戦後の女性の生き方を聡明に描いている。
もろく儚い。
何かにすがっていかなければその当時の女性は生きていけない。
その事実を描きながらも心の移り変わりや女性のプライドなどが儚く壊れやすく映る。
男性の著者が女性の心情を情緒的に表現するのは難しいのに、この著者はデビュー作で心の脆さを描いているから驚きだ。
ただただ繊細。
その中で懸命に生きる女性達の生き様が美しい。
そんな美しい文章を読ませて頂きました。
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長崎ではなくNagasaki の物語。それでもどこか胸しめつけられる郷愁を感じる。そう、多くの日本人にとっても、パラダイムシフトの只中にある戦後長崎は、Nagasakiに他ならない。時代の変化と個人の記憶をめぐる問題は、いつの時代、どこにいても普遍なのだから、当然か。生まれる前に流行った英国のsswの曲に懐かしさを覚えるのと少し似た感覚。
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わりといくつかの大きな謎を謎のまま明かさずに終わった。
そういうのはスッキリしないから、あんまり好きじゃないけど、
この作品の暗い不安定な雰囲気はすごくリアルだし、
やっぱりすーっと頭に入って引き込まれるその文章は好きだ。
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日本語を解さない日系イギリス人作家が日本を舞台に日本人の会話を書いているのだが、ほとんど違和感がない。 唯一あるとすれば、うどん屋の藤原と際限なくお辞儀し合っているというシーンぐらいだろうか。巻末の解説を読むまでもなく、小津映画の会話シーンが思い起こされる。 作家が小津映画を参考にしているのかと思ったが、翻訳に依る処が大らしい。テーマとしては、かみ合わない会話、暗示される将来、繰り返しのパターンということで、普遍的なものが流れているが、会話中心で解説のない文章でこれを受けいれ高く評価したイギリス文壇の読解力には感心する。 万里子が紐を恐れるシーンが2度出てくるが、少なくても2度目は脈絡なく出てきて、虐待を匂わせているのかとも思ったが、これは記憶全体の曖昧さの象徴、もしくは悦子の娘の景子との関連付けのダメ押しということだろうか。
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カズオ・イシグロって村上春樹とよく似ているな~
イシグロの小説は何冊か読んできたけど、
この小説を読むと本当にそれを感じる。
この二人の共通点は、
どちらも「運命に対する態度」みたいなものを問題にしてるってことかな?
物語がかもし出す不気味さ、不安感も似ているね
相も変わらず回想調の美しい文章。。
白黒の日本映画のような哀感が素晴らしい
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後半で色々な謎が解き明かされるのかと期待したけど、謎のままでスッキリしない。でも、鬱蒼とした感じは嫌いじゃない。けど、スッキリしたかった。
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<娘の自殺を期に、英国から戦後の長崎に思いをはせる―そこには生活に打ちひしがれる母娘がいた・・・。>
カズオ・イシグロの長編デビュー作にして、王立文学協会賞。
戦争、原爆、敗戦、民主化・・・
そういった大きな変化は人自身も変化させるもので、(訳者あとがき曰く、「価値のパラダイム」)
イシグロ作品の多くのキャラクターはその変化に苦しむ。
そしてその中でも、光を求め歩んでいくのはこの本でも一貫している。
今作の主人公も娘の自殺を期に戦後の長崎、高度成長期の長崎を想起する。
このように主人公が過去を思い出したのは、
過去の義父や母娘の姿を見ていたにも関わらず、
自分がした選択に悩んでいたから。
イシグロ自身が、作中で「記憶はうつろい易いもの」と述べているように
過去の愉快な記憶の中に自身の娘の名前をいれたところに
主人公の深い後悔を想った。
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淡々としていて人によっては読みにくいかも。個人的には漱石の「こころ」を読むようなスタンスで読破。主人公の一人称で、過去回想と現在と行ったり来たりするし、過去の記憶が曖昧で同じような情景が二度出てきたりと、読みながら大分混乱した。が、いい意味で暗くて気持ちの悪い読後感。正直最後まで、色々がハッキリしないので人によってはただただ退屈かも。解説がフォローしてくれてるので、そこでやっと話の整理が出来る。この作家の本を何冊か読んでからトライした方が読みやすいかも。
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長編デビュー作ということで、昨今の作品ほどの圧倒的な完成度と壮大さを求めるのはいささか残酷な気がするけれど、書いているものはブレない、芯がまっすぐ通っていて、カズオ・イシグロは本当に信頼のおける小説家だと改めて思う。
この本も、浮世の画家も、戦争前後の時代変化に翻弄される市民が主人公だけれども、この既成の価値観というものの軟弱さに比べそれに向き合ってゆくことのできる人間のたくましさよ、とため息が出る。正解はこうです、と書いてあるのではなくて人間はこんなかんじですかね?こんな弱さを持った人が多いですよね?と控えめに書く。そのカズオ・イシグロの世界から私たちは多くのものを読みとることができるのであり、その世界に魅了されてしまうのだとおもった。
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カズオ・イシグロの長編デビュー作。1年前、読み始めたのだが、50ページほど進んだところで、止まってしまった。解説の池澤夏樹氏は訳者を誉めていたが、私個人はこの訳文に馴染めなかった。
カズオ・イシグロは長崎県生まれの日本人。5歳のときに父親の仕事の都合で英国に渡った。
長編デビュー作の舞台に長崎を選んだのかは詳しい事情は分からないが、長い英国暮らしの中で日本人以上に日本人であることを意識してきたということはあろうから、ごく自然な流れであったのだろう。
主人公は日本人の夫との間に長女、さらに英国人と再婚してハーフの次女を持ち、今は英国で暮らしている悦子。その悦子が長女の自殺をきっかけに、戦後間もない長崎での暮らしを思い出す、という仕立てになっている。
当時、日本人の夫との間にもうけた長女を身ごもり、地道に暮らしていた悦子の前には、米国暮らしに憧れ、移住を考えている佐知子という女性がいる。悦子は佐知子を援助しながらも、なんとなく違和感を持って見つめる。
現在と過去をクロスオーバーさせ、ヒロインの心の動きや変化を見せようという仕掛けは面白いと思ったが、会話が冗漫で、言葉の繰り返しが退屈に思えた。
それは、訳への違和感かもしれない。あるいは、標準語(東京弁)で会話する「嘘くささ」に拒絶反応を覚えてしまったかもしれない。
この物語の世界観はあくまでもカズオ・イシグロが想像した「NAGASAKI」と見て、読んだほうが、この物語の世界を楽しめたのかも。
英語圏で英国人が読むのと、日本語訳で日本人が読むのでは、違った印象を持つ作品かもしれない。個人的には、長崎在住の方はこの物語をどう読んだのかが気になる。
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3作目にして、Ishiguro作品を初めて日本語約で読んだ。(原題は"A Pale View of Hills") 小野寺健氏による日本語訳が、もとから日本語で書かれたものであるかと錯覚させるほど素晴らしかった。特に会話文の部分など。 この小野寺氏は解説の中でIshiguro氏の作品を「薄明」と表現している。 虚無感みたいなものが、暗くなりすぎずに、しかしどうにも逃れられない薄霧のように読後感として残るのが特徴ではないかと思う。 誰もが心のどこかに抱く不安定感がこれに共鳴せざるを得ないのだ。 また会話文が見事で、すべてを語らせていないのに、裏の心情までが伝わってくる。5歳から英国で暮らしているそうだが、俳人のような趣も感じさせる。