紙の本
読みやすい
2020/04/10 10:39
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:kazu - この投稿者のレビュー一覧を見る
カズオ・イシグロの作品は初めて読みましたが、思ったよりも読みやすかったです。
多分、会話のテンポがいいんだと思います。
紙の本
得体の知れぬ不安感
2019/07/14 19:52
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:たあまる - この投稿者のレビュー一覧を見る
長崎が描かれる。
期待して読んだ。
だって、ノーベル文学賞だもの。
村上春樹だって、評価してたもの。
ミステリアスな会話が続く部分はけっこう楽しめた。
ただ、翻訳文であるだけに、
もとはどんなテイストなんだろう、
この訳文でいいのかしら、
などと、自分で評価できない部分が気になってしまった。
稲佐山の「ケーブルカー」が出てくる。
え、ロープウェイちゃうん、と思って読み進めると、
描写からすると、やっぱりロープウェイやんか。
そんなことも、落ち着いて読めなかったひとつの原因。
また、長崎時代の回想の章は、常に得体の知れぬ不安感、悲劇の予感みたいなものがつきまとって、それも落ち着かなかった理由の一つ。
紙の本
一級品の「語り」
2003/09/22 19:44
1人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:メル - この投稿者のレビュー一覧を見る
『日の名残り』で有名なカズオ・イシグロの作品を初めて読んだ。悪くない小説だけど、なんとなく嫌悪感を覚える。変な言い方だけど、この小説は優等生が書いた小説、という雰囲気がある。たとえば小説創作学科というものがあれば、そのクラスできっと「優秀である」と先生から認められる作品なんだろうなあ、と。たぶん、小説の構成とか語りの方法とか、いかにも「小説的」だ、と言いたくなるようにきっちりと生真面目に書かれてあるからだろう。お手本通りに書いた書道のようなもので。たとえば、先生のお手本通りの書道って、すごく巧いなあと感心するけれど、心を揺り動かされるということが少ない。イシグロの小説に感心したのは、きっとこの「巧さ」であり、嫌悪感を感じたのもこの「巧さ」なのだ。
小説は、母とその娘の関係を繊細な手法でもって、微妙な心理を書いている。物語は、娘、景子を自殺という形で失った悦子が、もう一人の娘ニキの訪問をきっかけに、かつて過ごした長崎のこと、そこで出会った佐知子とその娘万里子のことを回想する。悦子は、佐知子のことがどうしても理解できなかった。佐知子は、夫を亡くし、長崎の伯父のところへ身を寄せていたが、そこを万里子と飛び出し、アメリカ人男性と一緒になりアメリカへ行くことを望んでいる。娘、万里子にとってもそれが一番良いと信じている女性だ。そんな佐知子に対し、悦子はとまどいを隠せない。佐知子の生き方を否定することも肯定することもできないでいる。
佐知子の娘、万里子はどこか影をもった不気味な存在として描かれている。それは、普段悦子は、「万里子さん」と呼ぶのに、時々万里子が周囲とのコミュニケーションを拒絶する時、「女の子」と呼ぶことからも理解できる。そんな万里子は、しばしば女の人が現れると言う。佐知子は大人に関心を持ってもらうためのいたずらだと、はじめは説明していた。しかし、その女性は、戦時中、佐知子と万里子が東京で暮らしていたときに見かけた人であり、自殺したと言われる。佐知子と万里子はある日、その女性が赤ん坊を堀割の水の中に浸けていたのを目撃したのだった。
この光景は、物語中にもう一度反復される。それは、佐知子がアメリカ人男性と一緒になるために神戸に引っ越しする際に、万里子が子猫を一緒に連れて行くと言った時、佐知子はどうしても連れて行けないと言い、最後は近くの川の中に子猫を沈めてしまうのだ。
物語のはじめに悦子は、自殺した娘景子のことを語るのではない、と言っていた。しかし、佐知子と万里子の関係を語りつつ、それは次第に悦子と景子の関係と示唆しているのではないかと思われる。まるで佐知子を語りながら、悦子自身の人生を語っているようなのだ。とすると、先ほどのエピソードすなわち赤ん坊や子猫を沈めて殺してしまった女性の反復は、悦子自身、自分もその女性たちと同じなのだ、という思いを抱いているからではないか。すなわち、娘景子を自殺に追いやったのは、自分ではなかったという自責の念である。
語りたいことを直接には語らず、別のことを語りながら、言葉と言葉のあいだから非常に繊細な心理を浮かび上がらせるイシグロの手法。この「巧さ」は、まさしく小説的だと感じるのだが、一方でこのような手の込んだ仕組みに多少の嫌味を感じないこともない。これは単に個人的な趣味な問題ではあるけれども。しかし、そうは言っても、この小説の語りは一級品であることは間違いない。
投稿元:
レビューを見る
内容は、大戦後、イギリスに暮らす女性の、娘(ニキ)との会話や、日本での生活の回想。女性の心情も、彼女に何が起きたのかも、戦後の日本に対しての考えも、読んだからといって何も分かりません。ただ、それがまた、人づてに話を聞いているような、ある種のリアリティを生んでいるようにも思います。何かが問題な気がするけど、それが何だか分からない。何をすべきだった気もするけど何をすべきか分からない。他人の心情は(主人公の心情すら)読者も想像でしか分かり得ない書き方は、まさに私達の日常で、どんなことも、忘れることはなくても、人生の山も谷も時間に隠れてただ過ぎ去ったこととなるのだなぁ、と。読後感は"日の名残り"と通じるものがあって、カズオ イシグロさんの文章力に敬服します。
話に起承転結を求める人には向きませんが、内面的で心に残る話が好きな人にはお勧め。
作者は、確かハーフで、日本にいたのは五歳までらしいです。幼少の記憶というのは曖昧なものなので、主人公たちの台詞は外人が考えた日本的会話、だそうですが、違和感は感じませんでしたね。
投稿元:
レビューを見る
終戦後の日本.
いろんな価値観が急激に変わったとき.
その流れに乗っていく人と,古い価値観を持ち続ける人.
成功する人,失敗する人.
対照的な人たちが登場します.
また,そうした転換期の女性の難しい立場がよく伝わってきました.
投稿元:
レビューを見る
時代の変化と価値観の変化。新旧上書きされるもの、繰り返し。思い出しながら描くとこんな感じになるのか。長崎弁で訳してくれればよかったのに。
投稿元:
レビューを見る
イシグロの実質的なデビュー作。たんたんとした雰囲気や乾いた会話に、小津安二郎の映画を思わせたが(イシグロ自身も小津作品を観たらしい)、それは池澤夏樹氏も解説で触れていた。訳はやや古臭い。改題前は『女たちの遠い夏』。このタイトルの方が好み。本作品以前の短編もぜひ読んでみたい。
投稿元:
レビューを見る
夏に読み始めたのだけれども、読了までにけっこう時間がかかった…。淡々として、本当に霞がかった遠景を眺めるようなかんじ。これが作風なんだろうけれども、痒いところに手が届かない、すっきりとした起承転結のないストーリー。が、まあ、読了してみれば、これはこれで…とも思うのだけれども、うーん、私の性質にはあわないのかなぁ…。アイボリー監督の映画になっていると、けっこうしっくりはいくんだけれども…。(2002 Mar)
投稿元:
レビューを見る
日本生まれのイギリス文学者。日本の話なのに翻訳されてる不思議。淡々と綴られる物語。一定のトーンで描かれる戦後の日本は、細かい説明がないのに、リアルに胸にせまるものがあります。
投稿元:
レビューを見る
カズオ・イシグロという作家は長崎出身の作家です。
長崎出身の作家が英語で書いた日本の物語を日本語に翻訳して読むという行為は不思議なことのように感じます。
イギリスの日本人作家のお言葉
▲緒方さんは笑って首をかしげた。「どこかよそへ行ってそれなりの仕事をしたとしても、けっきょく」と言いさして彼は肩をすくめると、淋しげに微笑した。「けっきょく、自分の育った土地へ帰りたくなるものなんですな」▲
そして、解説で池澤夏樹はこう述べます。
▲人間は互いに了解可能だという前提から出発するのが哲学であり、人間はやはりわかりあえないという結論に向かうのが文学である▲
読了 2007/8/5
投稿元:
レビューを見る
日本人による日本文学を英語で書いたものを別の人が訳したもの。このとても珍しい状況を楽しめて贅沢。
久しぶりにはまる作家が出た。でもそれは訳者の力かもしれない。次の本を早く借りに行きたい。
物語は戦後すぐの妊婦さんが主役、でも現在のおばあさんになったその人の回想録としての主役。舞台は長崎で復興がだいぶ進んだ状態。だんなさんと二人暮らしでお舅さんがたまたま滞在している。そこに謎の多い女の人と、無口な女の子が登場する。女の子はキーワード。おばあさんになった主役の人はなぜかイギリスに来ていて、ハーフの娘を産んでいて、もうひとりの娘は自殺してしまっている。だんなさんとはうまくいかなくなったのか死別してしまったのかいなくて、そもそもなぜイギリスに来たのかも分からなくて、そのあたりにはまったく触れられず戦後の日本を中心に物語りは進む。やがて静かに鍵は開けられるのだが、その終わりの充足感ときたら幸せといってもいい。よい小説はそれが幸福な終わり方でなくても気持ちを満たしてくれるのだな。
投稿元:
レビューを見る
カズオ・イシグロの長編第一作。後の長編、『孤児だったころ』、『私を離さないで』のようなストーリーのダイナミックさはないが、彩度が同じ。暗い。この作品では、実際に夕方の暗闇のシーンが多く、全体の印象となっているが、その分、夏の日差しが強烈な、猛暑の日の描写が際立つ。また、女性の自立や日本人の戦争への意識など社会的要素が多分に含まれており、メッセージ性が強い。
作者のインタビュー(http://www.globe-walkers.com/ohno/interview/kazuoishiguro.html)で、自身ののアイデンティティーや日本への特別な意識、作家として作品に込める普遍的テーマなど語っているが、いずれの作品にも共通して反映されている。「状況を受け入れていく人間」への興味と愛情、ささやかでも愛の力や希望の光がある。ただ暗く重いだけではない。
投稿元:
レビューを見る
めちゃ暗い話(汗)。長崎に原爆が落ちて何もかも失った戦後の暗い時代を生きた女性の回想録。え、万里子はクビをつったの?なんで悦子さんは縄をもってたの?あそこのシーンだけ「ひぐらし」みたいで怖かったです(汗)。佐知子の生き方も浅はかだ・・・・。
現代になってイギリスに住んでるシーンになっても長女がクビつってるし(汗)。暗い。暗すぎる。
二郎となんで別れたんだとか些末なことが気になります。
投稿元:
レビューを見る
カズオ・イシグロの処女作。イシグロ作品を僕はまだ、3冊しか読んでないのだけれど、長編においては、先に結果が置かれて、読んでいくうちに謎が少しづつ明らかになっていく、ミステリーのような手法はこの本でも使われていて、ページをめくる手が止まらなくなる。正直、オチらしいオチはないのだけれど、万里子と景子は、同一人物?と考えると、主人公がイギリスに向かったくだりがはっきりしていないので、最後、もやもやとした感じが残る。それでも、処女作にしても読ませますね。
…英語で書かれた日本の話を翻訳で読む…。不思議な感じだ。
投稿元:
レビューを見る
最初に私を離さないで,次に日の名残りを読んで,その次に読んだ。日の名残りを読んだときはこの人何を言いたいの?と思ったけど,遠い山なみの光を読んで少し腑に落ちた。日の名残りと遠い山なみの光は,価値観が大きく変わったときのそれぞれの立場の人の暮らし向きの変化や,人々の自問自答というかそういうのを描いたのかもしれないと感じた。
佐知子は正直読んでいて腹がたったけど,ああ,こういう人は私の田舎に確かにいたなと思うし,私に一番似ていたと思う。
登録日時は2010年5月30日だったので,買ってから読み終えるのにずいぶん時間をかけた。