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紙の本
思索の力
2001/11/03 12:21
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:小田中直樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
一九世紀には平和イコール侵略しないことだった。第一次世界大戦後に国際連盟ができると、侵略国を罰することが付け加わった。第二次世界大戦後に国際連合ができると、さらに内戦や人権侵害がないことが付け加わった。そして、国連は内戦や人権侵害を放置する国に武力介入する権利を持った。それじゃ国連じゃない普通の国が武力介入すること、つまり「人道的介入」は可能だろうか。この本の冒頭で、著者の最上さんはこのように問いかける。こう問われて、うーむと唸らない人は、幸せなほど単純だ。だって、イエスと答えれば平和を否定することになるし、ノーと答えれば人権を否定することになるんだから。そう、最上さんがいうように「人道的介入を考えるということは…鋭い緊張関係のなかで重い倫理的課題に向き合い、実践的に平和への道を選び取るということ」(序)なのだ。この本で、最上さんは、そんな人権と平和の狭間にある人道的介入について、歴史、問題点、満たさなければならない要件、一番大切な目的、最近出現してきた考え方を紹介したうえで、人道的介入は認められるか、認められるとすればどのような場合か、どのような形態を取るべきか、といった問題を考察する。
この本のメリットは次の三点だ。第一、僕らが人道的介入を考えるときに必要な情報を提供したこと。たとえば、ドイツによるズデーテン地方(チェコ)の併合(一九三八年)やアメリカ合衆国のグレナダ侵攻(一九八三年)では、人道的介入が口実として用いられたこと。逆に介入が必要なときになされなかった事例があること。人道的介入は、不介入原則や武力不行使原則といった国際法の根幹に触れること。他方で、現在の国連体制は人権や人道の保障を根幹にするから、人道的介入を全面的に否定はできないこと。最近は、国連平和維持活動のなかから「犠牲者へのアクセス権」(一五二ページ)という考えが登場し、非政府組織から「武力的でなく非武力的であり、国家的でなく市民的である」(一六七ページ)介入や「予防のための介入」(一八二ページ)といった概念が提唱されるなど、新しい動きがみられること。こういった点を知るのは、感覚的で感情的な結論に陥らないために、とても大切なことだと僕は思う。
第二、人道的介入は可能か、可能ならどうあるべきか、といった問題について、説得的な結論を示したこと。つまり、人道的介入は例外的な場合だけ採ることができる。その根拠は人間の尊厳の尊重であり、判断の基準は被害者の希望であり、目的は加害者の懲罰ではなく被害者の救済、加害者と被害者の和解、そして人権侵害の予防にある。満たさなければならない要件としては、人権侵害が存在すること、他の手段が尽きたこと、人権侵害を止める以外の目的がないこと、必要最小限なこと、人道的な効果が期待できること、国際機関の承認を求める姿勢を失わないこと、できれば複数の国や地域的な国際機関でおこなうこと、などがある。つまり、これからの人道的介入のキーワードは予防、救済、非武力、連帯、市民、和解なのだ。そして(一国平和主義でなく)平和主義を国是とする日本こそが新しい人道的介入のあり方を模索できるという最上さんの主張に、僕は賛同する。
第三、人道的介入という、難しいから大抵は「あれかこれか」になりがちな論点を例に、二者択一を避け、広い視野を保ち、繊細に、慎重に、実践的に、批判的に考えるプロセスを僕らの目の前で展開したこと。一見ためらいがちで中途半端でどっちつかずにみえる思索のなかから、新しい人道的介入のキーワードが説得的に紡ぎだされてくるのを見るのは、快感であり、驚きであり、壮観ですらある。読みすすめるうちに目の前の霧がすーっと晴れてくような経験をしたのは、いつ以来のことだろうか。[小田中直樹]
紙の本
原点回帰かつパラダイムシフト
2014/08/04 04:15
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:セテムブリーニ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「介入せよ、上流で」というイグナチオ・ラモネの言葉が結論。
人道的介入を論じる上で、視点の転換が必要。
人道的介入というと、軍事介入をイメージしやすいが、その場合、絶対的平和主義と絶対的倫理主義が対立し、ディレンマが生じる。不介入原則と武力不行使原則を合法的に克服する難しさがそこにある。法的条件と道義的条件を同時に満たす必要があるのである。そのため、その土俵で論じるのは非常に難しく、両義的である。
ここで、軍事介入という"下流"から、NGOによる人道救援活動、軍組織による支援活動といった、極限状態に至る以前の介入、すなはち犠牲者のアクセス権や予防的介入という"下流"に視点を移す必要があり、そこにこそ人道的介入の可能性が潜んでいる。
人道的介入をする上で大切なのは、虐げられる人々が何を求め、何が彼らにとって望ましいかである。介入する側の政治的側面や軍事誇示という傲慢な側面に左右されるべきではない。
人道的介入が長期的に目指すべきなのは、「対立する人々の和解」であり、いかなる介入も和解を遠ざけるものであってはならない。来たるべき和解を想定した七が真に「人道的」の名に値するのであり、この観点からすると、ユーゴ空爆は、コソヴォにすむ人々の和解を手助けしたものではなかったので真に「人道的」とは言えない、と著者は主張する。
最後に、私が本書を読んで、一番印象に残った言葉を引用したいと思う。度々引用されるオルビンスキの言葉の一つである。
「人道主義には限界があります。どんな医師もジェノサイドを止めたりはできません。どんな人道活動家も民族浄化を止めたりはできません。それはちょうど、どの人道活動家も戦争を始めることができないのと同様です。さらに、どんな人道活動家も平和をつくることはできません。しかしそれは、政治の責任であって、人道主義に必須の任務のどではないのです。
人道的活動はあらゆる活動の中で最も非政治的な活動ではあります。しかし、そこでおこなわれていることと、その道徳原則とがまじめに受け止められたなら、人道的活動は他の何よりも深い政治的意味合いを持つのです。」
私たちが人道的介入について考察し、論じ、あるいは行動する際、肝に銘じなければいけない言葉だと思う。
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人道的介入概念の分析
2002/10/23 19:06
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投稿者:kiyo - この投稿者のレビュー一覧を見る
一言に「人道的介入」といってもその言葉が捉えられる概念は驚くほど多岐にわたっていることに気付かせられる。
一般に人道的介入といわれているものを見渡しても、「手段」・「主体」・「目的」それぞれ異なっており、正統性を国連によって与えるべき人道的介入とは何なのか、について示唆を与えてくれている。
こうした業績を振り返ってみるまでもなく、その誠実さを知られる筆者だが、このような目に見えない概念について精緻化していく能力には目を見張るものがある。
紙の本
平和のための介入は成功するか?
2002/01/05 18:12
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投稿者:神楽坂 - この投稿者のレビュー一覧を見る
内戦、侵略、大量虐殺から人々を救う。その志は高いが、そうした介入はほとんど成功していない。1999年のNATOによるユーゴ空爆の国際的な批判は記憶に新しい。その他、ボスニアでもソマリアでもルワンダでも、介入は失敗している。加害者を罰することが正しいのか? ただ恨みを買っただけではないのか? そして、自分に何ら関わりのない紛争に、命がけで介入することへの疑問も当然あるだろう。最も厄介なのは、アメリカ主導の武力行使に、他の先進国たちがそれぞれの立場から荷担しているという現実である。とはいえ、武力を使わない介入はあり得るのか? これからの国際社会はその難題に取り組んでいかなければならない。
紙の本
本当の意味?
2003/06/16 02:07
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投稿者:濱本 昇 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書の捕らえ方を間違っていた。私は、ガンディーの「非暴力不服従」が理性ある外敵に対する最も人間的な抵抗手段であると確信している。しかし、ヒトラーの暴力に対して、これが有効であろうか? あるいは、9月11日の同時多発テロに対するアメリカの報復。あれは正義か否か? それらの答えを得たい為に本書を手にしたのである(副題に主眼を置いていた)。
しかし、やっぱり主題に沿って本書は言及されていた。いわゆる「人道的介入」である。国家による他国への軍事介入だけではない。いわゆる国内問題。非道なる大量虐殺、貧困、人間性を無視した非道な扱い、それらに対し、国際社会として、如何に対処するか?という問題である。
本書の結論として、正義としての「人道的介入」の定義は、簡単では無いという事を述べている。「こちらを立てれば、あちらが立たず」という単純な問題では無く、「こちらもあちらも立たない」という事態がほとんどであるという。
国連、NGO、NPO等、人道的介入を行える組織は存在するが、それぞれに問題点を含んでいる。しかし、NGO、NPOらの市民的介入は、その問題点が少ないという。ここで国家による人道的介入を入れていないのは、その問題点が大きすぎるからである。一国による他国への人道的介入というのは、「人道的介入」という名の元に、多々不合理な主義主張が含まれていると結論付ける。
本書で最後に我が国における「人道的介入」の捕らえ方に言及している。我が国では、絶対平和主義者と人道的介入の為には武力行使もやむを得ずという人達の対立であるという。しかし、ここで、「人道的介入」の本当の意味の議論を怠っていると結論付ける。全く、その通りだと思う。憲法問題にしてもそうである。自衛隊が合憲か違憲かという根本問題でさえ、あやふやにする民族である。
本書を読んで、「人道的介入」の本当の意味について深く考えさせられた。