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図説アイ・トリック みんなのレビュー
- 種村 季弘 (著), 赤瀬川 原平 (著), 高柳 篤 (著)
- 税込価格:1,980円(18pt)
- 出版社:河出書房新社
- 発行年月:2001.10
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紙の本
わたしたちがどれほどものが「みえていないか」
2001/11/28 22:16
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投稿者:赤塚若樹 - この投稿者のレビュー一覧を見る
遠近法を裏返しにしてイメージを歪める遊び「アナモルフォーズ」を利用した「隠し絵」、疑似空間を本物の空間にみせようとする「だまし絵」(トロンプ・ルイユ)、ひとつの図がふたつ以上の見え方をする「多義図」をもちいた「隠し絵」——こうした「視覚のトリック」にもとづく遊び、技法、芸術を紹介し、その原理や背景を解説してくれるのがこの『アイ・トリック』。「図説」という言葉がじつにふさわしい本だ。添えられた文章を読みながら、収められた図版を「みる」ことによって、自分の目がだまされたり、あざむかれたりしているのを知るという体験はなかなか愉快なものだし、そのトリックに感心することも多いだろう。(なお一応ふれておくと、これは、かつて「遊びの百科全書」というタイトルで刊行された書籍に、あらたに図版をくわえて再編集したものらしい。)
それにしても、わたしたちはどれほど「みる」ことにとらわれていることか。話を大きくするつもりはないが、本書を読んでいて、ふと思ってしまったのだから仕方がない。たとえば、誰かあるひとの人間性、ないしその本質的な部分を表現するために、「ものの〈見方〉」とか(少々大げさに)「世界〈観〉」といった言葉をもちいていることにもそれはあらわれている。だが、これは同時に、わたしたちがどれほどものが「みえていないか」ということでもあるのだ。本書であつかわれているような「視覚のトリック」の本当のおもしろさは、もしかしたら、こうした事実を暗に(あるいは、「あからさまに」?)語っている点にあるのではないだろうか。
このことについてはさらに、「アナモルフォーズ」や「トロンプ・ルイユ」が深くかかわっている——イメージの提示の仕方は正反対だとはいえ——遠近法なるものが16世紀になって本格的に研究されはじめたという事実に結びつけて考えることもできるだろうが、いまはこの問題についてはおいておくことにしよう。とはいえ、種村季弘氏の文章からつぎの件りだけは引いておきたい気がする。
《ちなみに造形芸術における視覚のトリック(遠近法)は言語芸術における修辞法[レトリック]と正確に見合っていて、畸形化[アナモルフォーズ]による歪みは詩における張喩[ヒペルベル]にほかならず、また数学における双曲線[ヒペルベル]、音楽における半音階法にも相当する。そういう観点から、誇大な張喩だらけのシェイクスピアの科白から大小のすり替えによる空間的幻覚を物語化した『ガリヴァー旅行記』のスウィフトの試みを経て、ダダやシュルレアリスムの一見何が何だかさっぱり分らないナンセンス詩という畸形化[アナモルフォーズ]の、あるいはスウィフトにはじまってヴィトゲンシュタインにいたる論理の畸形化[アナモルフォーズ]の系譜を、これまで述べてきたアナモルフォーズ造型の系譜と対照させてみれば、さぞかし興味深いことであろうと思われる。》
ところで、「娘」の横顔にも「老婆」の横顔にもみえる——というか、知らなければどちらかの「図」しかみえない——例の「娘と老婆」だが、じつは今回この本を読んではじめて、その「老婆」を「見て取る」ことができ、自分のものの「みえなさ」にすこしばかりあきれてしまった。というのも、恥ずかしながら告白すると、てっきりこれは、向こう側をむいている女性の横顔が「娘」にみえるのか、あるいは「老婆」にみえるのか、という心理学的な問いだと思い込んでいたからだ。なるほど、そういうことだったのか……。いまは、そのうかつさに自己嫌悪を覚えつつも、「娘」より「老婆」を先に認識するようになってしまい、とても損をしたような気がしている。 (bk1ブックナビゲーター:赤塚若樹/翻訳・著述業 2001.11.29)
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